<投稿論文>八十歳を迎えた日本共産党・指導部の混迷

「ソ連の存在と崩壊」がもたらした理論的混迷

 綱領は、ロシアの社会主義革命は、革命当初の時期には、世界の進歩に貢献する業績を残したが、その後、スターリンらによって旧ソ連社会は社会主義とは無縁な体制に変質したことをあきらかにしました。そして、ソ連・東欧諸国の支配体制の崩壊は、科学的社会主義の原則をなげすて、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産だと解明し、ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の解体は、大局的な視野でみれば、世界の革命運動の健全な発展へのあたらしい可能性をひらいたものだと評価しました。(『八十年史』287頁)

 「『八十年史』のソ連、東欧諸国に対する評価」についての私の見解はひとまず保留するが、ソ連、東欧諸国の崩壊(極論すればソ連の崩壊)は、「大局的な視野でみれば、世界の革命運動の健全な発展へのあたらしい可能性をひらいたもの」という評価はあまりにも一面的であるが、その側面があることは否定できない。
 1917年のロシア革命があったればこそ、世界各国に共産党、労働者党が誕生したのであるし、マルクス主義(マルクス・レーニン主義というべきか)が、世界的な権威を獲得したのも、ソ連の存在なしに語ることはできない。
 歴史的事実としても、第二次世界大戦において、ファシズムをうち破る上で果たしたソ連の役割、ヨーロッパ各国共産党や中国共産党の役割は大変に大きなものであった。この点については、さざ波通信第30号「不破史観の確立と発展――『日本共産党の80年』の批判的検討(上) 8、ソ連とヨーロッパ共産党の反ファシズム闘争」を参照されたい。
 ソ連社会が、八時間労働制、女性の地位の向上、教育、医療など社会生活の上でのさまざまな権利、社会保障において、多くの不十分さを伴いながらも、先駆的な役割を果たしたこともまた紛れもない事実であった。アメリカ合衆国を除く、多くの先進資本主義国における労働運動は長いあいだ社会主義の強い影響を受けていたし、多少とも「自制した」資本主義が存在し得たことも、ソ連の存在なしに語ることはできない。
 中国革命の成功、革命後のキューバの自立、ベトナム革命(ベトナム戦争)の勝利も、ソ連の存在なしには考えられないことであった。
 これらのことは、いずれも否定的な側面を持ちながらも、社会進歩における積極的な貢献であり、スターリンらのソ連指導層の誤謬とは区別して論じられるべきものであり、「ロシア革命とソ連の存在」は20世紀の歴史に巨大な足跡を残したのである。

 今日的視点でながめれば、マルクス・エンゲルスらの展望したプロレタリア革命、社会主義と、実際に誕生した一国革命のロシア革命、ソ連社会主義とは大変な相違があることは明らかである。
 この相違は、ソ連が現存していたときからすでに部分的には認識されていたものではあったが、「現にソ連が存在する」という事実──私的所有の廃絶、労働者階級の権力の存在、勤労者の利益を優先する政治、等々──が、この相違が大したものではなく、「ソ連は社会主義である」とする観念の最大の根拠であった。いうなれば「社会主義が現存する」という事実の重みであった。ほかならぬ不破氏もこのことを大いに喧伝したし、ほとんどの共産党員もこのことを信じて疑わなかった。

 『八十年史』は、ソ連が崩壊した今日、「旧ソ連社会は社会主義とは無縁な体制に変質した」とか「ソ連・東欧諸国の支配体制の崩壊は、科学的社会主義の原則をなげすて、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産だ」とか、「ソ連覇権主義という歴史的な巨悪」であるなどの議論を行っている。しかし、これらは、ロシア革命、ソ連の誕生から崩壊までの歴史の総括に基づいたものではない。その最大の根拠は「ソ連の崩壊」という、これもまたほとんど「事実の重み」だけを根拠としたものと言ってよい。
 ソ連の崩壊が、我々に与えた「世界の革命運動の健全な発展へのあたらしい可能性」の最大のものは、「ソ連が現存するという事実によって支えられた従来の理論の再検討、再構築の必要性を認識させた」ことにほかならない。「社会主義の全否定」のような風潮の中で、社会主義の可能性を解明するためには「ソ連社会主義の全面的総括」が不可欠であると私は考える。
 『八十年史』から垣間見ることができる「不破指導部の変わり方」は、この歴史的課題に正面から取り組もうとせず、「ソ連は社会主義とは無縁なものであった」と片づけ、「社会主義は将来の問題」として、歴史の彼岸に追いやることによって切り抜けようとしている。しかも、「世界資本主義が深刻な危機的状況にある今こそ社会主義の旗を高くかかげるべきという時に」である。
 さらに、「ソ連の崩壊」に端を発する「社会主義の否定」は、社会主義の思想と深く結びついてきた反戦平和の運動や労働運動の退潮、各階層各分野の大衆運動の著しい退潮と軌を一にするがごとき傾向を示してきている。このような中で、「ソ連は社会主義とは無縁なものであった」という苦しい言い訳をする「社会主義を語ることができない」共産党にどうして支持が寄せられるであろうか。
 これも私見ではあるが、今日の不破志位指導部の第二の特徴は救いがたいほどの理論的混迷である。

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