雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

国連の無力さを隠蔽し、国連憲章を美化する志位報告

 5月24日、25日に第6回中央委員会総会が開催され、志位委員長が中央委員会を代表して報告を行なった。
 この報告の最初の部分は、当然のことながら、アメリカによるイラク侵略戦争に割かれている。その中で志位委員長は、アメリカの勝利に終わったとしても、今回の無法な戦争が許されるわけではないこと、攻撃の口実となった大量破壊兵器がいまだに発見されていないこと、アメリカの先制攻撃戦略が世界の平和を脅かしている元凶であることなどが指摘されている。われわれもこの指摘に同意する。
 しかしながら、国連をめぐる志位報告の評価に関してはまったく同意できない。まず第一に、志位氏は、国連無力論に反論しつつ、次のように述べている。

 「国連が戦争を食い止めるための本来の機能と力を、今回ほど発揮したことはありませんでした」。

 この評価は妥当なものだろうか? なるほど、国連は、加盟各国の抵抗と世界中における反戦運動の圧力を受けて、アメリカの先制攻撃に国連のお墨付きを与えることはしなかった。しかしながら、それをもって、「戦争を食い止めるための本来の機能と力を発揮した」と言うのは、誇張にすぎるというものであろう。
 まずもって、国連はこれまでもイラクへの経済制裁を決議し、イラク国民を大量死に追いやるお先棒を担いだ。経済制裁で死んだ国民の数は、今回の戦争で死んだイラク国民の数の数千倍なのである。
 さらに、国連は建前上、侵略を行なった国に対して何らかの非難や制裁を行なうことで、はじめてその「戦争を食い止めるための本来の機能と力を発揮」するはずである。日本共産党指導部も認めているように、今回のアメリカの対イラク戦争は、一方的かつ全面的な侵略戦争であった。国連加盟国であるイラクに対して侵略行為を行なったのであるから、当然、国連は侵略国に対して何らかの非難決議を上げるか、あるいは何らかの制裁を発動するべきであった。しかし、国連はそのようなことを何もしなかった。非難決議さえ上げられなかったし、ましてやそれ以上の実効的な制裁は何もされなかった。提案さえなされなかった。
 国連は、アメリカが国連のお墨付きを必要としている範囲においてだけ、一定の力を持ちうるにすぎないことが白日のもとにさらされた。アメリカ政府が開き直り、国連を無視して武力行使を開始したなら、国連は事実上それを追認することしかできない。国連事務総長のもごもごとした「苦言」は、その物質的・精神的無力さをよりいっそう際立たせただけであった。
 もちろん、このことの確認は、国連を舞台にした攻防を否定するものではない。それは各国政府への人民の圧力を通じて断固遂行するべきである。だが、その努力は、国連の根本的な限界をはっきりと認識した上でのことでなければならない。日本共産党指導部のように、国連に対する幻想を掻きたてる方向でなされてはならない。
 第二に志位氏は、国連におけるフランス、ロシア、ドイツ政府の役割を無批判に持ち上げ、「理性的な流れが形成された」とまで礼賛している。これは驚くべき発言である。かつて現代修正主義としてわが党が猛批判したフルシチョフのケネディ美化論と何ら変わらない帝国主義美化論である。帝国主義諸国間の分裂を促し、それをできるだけ利用することは重要であるが、そのことと、帝国主義諸国の一方の側を「理性の流れ」などといって美化することとはまったく異なることである。
 まずもって、フランス、ロシアなどは、当時のフセイン政権のもとで石油利権をすでにもっていた。だからこそ、フセイン政権を武力で打倒して、石油利権をアメリカが独占しようとする動きには同意できなかった。このことが、これらの帝国主義諸国がアメリカによるイラク攻撃に反対した最大の理由である。さらに、アメリカの強引の手法が、安定した世界秩序を不安定化させ、不必要にイスラム世界との対立を深め、また必要以上に反戦の動きを世界的に作り出すことへの大きな懸念があった。少なくとも、アメリカに安易に同調することで、イスラム世界で今後、帝国主義的商売を行なうことに支障が生じることを、これらの国の政府首脳は恐れた。
 いずれにせよ、フランス、ロシア、ドイツ政府などの動きは「理性の流れ」などと呼べるものではなかった。あえて「理性」を用いるとすれば、それはしょせん、日本などの無批判的追従諸国よりも「理性的」な帝国主義のマヌーバーにすぎなかったのである。
 その証拠に、実際にアメリカが軍事行動を起こすと、これらの諸国は何ら本気になってアメリカのこの無法な戦争に抵抗しなかった。断固糾弾を声高に叫ぶこともしなかったし、ましてや何らかの実効ある対抗措置もとらなかった。それどころか、開戦直後に、アメリカとの友好関係は今後も変わらないとすぐさま約束することによって、アメリカ政府を安心させることに腐心した。これらの国に、本気でアメリカの無法な戦争に抵抗する気などなかったのである。アメリカ政府は最初からそのことを知っていた。だからこそ、アメリカ政府は、あのような手段に打って出ることができたのである。
 第三に、志位氏は、国連の力を過大評価するだけでなく、帝国主義的世界秩序の一表現形態でしかない国連憲章を「平和のルール」と規範化し、「世界の平和のルールをとりもどし、築きあげていく展望」について語っている。これも驚くべき発言である。国連憲章は、日米安保条約やNATOを含むあらゆる軍事同盟を容認しているだけでなく、集団的自衛権も制裁戦争も認めている。日本共産党はたしか、日米安保条約をはじめとする軍事ブロック、軍事同盟の論理こそもっとも現代の忌むべき体制であると非難し、攻撃していたのではなかったか? 国連憲章の「平和のルール」とは、自国の安全を核武装を含むあらゆる自衛武装や軍事同盟などを用いて守ることを容認しているのである。これが、各国の見習うべき「平和のルール」ならば、日米安保条約を糾弾することはできなくなるだろう。
 今回のアメリカの戦争が、アメリカ政府をはじめとする帝国主義諸国自身が定めた「国連憲章」をさえ正面から蹂躙するものであったと批判するのは、まったく正当である。それは、今回の戦争の無法ぶりをより広く世論に訴えるうえで一定の効果を持つ。しかしながら、そのことと、「国連憲章」を「平和のルール」として天高く持ち上げることとは、まったく異なる。後者の立場は、反帝国主義という立場に反するだけでなく、憲法9条の擁護という立場にさえ反するものである。
 第四に、それほど本質的な問題ではないが、今回の志位報告で奇妙なのは、この間の世界の抵抗の動きを論じた箇所で、わざわざ中国政府についてきわめて賞賛的な調子で触れていることである。志位氏は次のように述べている。

 「第三に、中国は、昨年八月の不破議長と江沢民総書記(当時)との会談で、『イラク攻撃反対』を言明し、昨年十一月には、フランス、ロシアとともに平和解決をめざす『共同声明』に名を連ねるなど、積極的立場をつらぬきました。中国は、自国の経済建設のために、平和的な国際環境づくりを重視し、安定した中米関係を望む立場を持ちながらも、米国の覇権主義的行動を認めず、国連憲章を守り抜くという原則をつらぬきました」。

 「積極的立場をつらぬきました」「国連憲章を守り抜くという原則をつらぬきました 」というように、わざわざ2回も「つらぬく」という言葉が使用されている。あたかも、中国が世界平和を守る「前衛」であるかのごとくである。しかし、アメリカ多国籍企業からの投資を呼び込むために何でもする用意のある中国政府が、本気でアメリカの戦争に反対したり抵抗したりする姿勢にないことは明白ではないか。この間、ますます顕著になりつつある中国美化の姿勢は(そのついでに、共産党の野党外交をも持ち上げること)、ここにも示されている。

2003/5/29  (S・T編集部員)

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