綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(上)

2、綱領改定案の「二つの主眼」

 まず最初に、7中総の不破報告は、今回の綱領改定案を作成するにあたっての二つの点に主眼をおいたとして、こう述べている。

 「一つは、以前から公約してきた、多くの人びとによりわかりやすい綱領となるように、表現をあらためる、という問題です。……第二に主眼をおいたのは、内容にかかわる問題です。私たちは、綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみだと考えておりますが、42年というのは、大きな歴史的変化をふくむ時期であります。そこには、情勢の面でも、理論や綱領のうえで新たな対応を必要とする大きな変化もありました。それからまた、42年の間の党の理論的、政治的な活動とその到達点には、当然、綱領路線に反映されるべき豊かな内容があります。
 私たちは、この間、1973年、76年、85年、94年と、4回にわたって党綱領の改定をおこないましたが、いずれも、組み立ての全体を変えない範囲での部分的な改定にとどまりました。今回は、21世紀の新しい情勢の諸特徴とこの間の日本共産党の政治的、理論的な発展を十分に反映した綱領改定案をつくるように、全力をそそいだものであります」。

 一つ目の「わかりやすさ」という「主眼」についてだが、科学的に厳密なものでなければならないはずの「科学的社会主義の党」の綱領が、「わかりやすさ」という基準によって全面改定されるということ自体、奇妙なことであると言わなければならない。もちろん、あえて難解でわかりにくい表現を用いる必要はいささかもないが、マルクス主義政党であるかぎり、厳密に日本と世界の現状および党の任務を規定しようとすれば、必然的に試されずみのマルクス主義の用語を用いないわけにはいかない。それを回避することは、実際には、綱領をわかりやすくするどころか、どこにおいても科学的に定義されていない「日常用語」(したがってその意味するところも人によってまちまちで、曖昧である言葉)によって表現することで、綱領の意味をまったく曖昧にするのである。
 使われている言葉が非日常的なマルクス主義の用語であったとしても、その意味は学習と研究によって十分に正しい理解に到達することができる。だが、厳密に定義しようのない日常語で表現されるならば、どのような努力をしても結局は一致した理解に到達することは不可能である。
 たしかに、大衆的な政治宣伝などの場面においては、マルクス主義の専門用語を、わかりやすい別の言葉で言い換える必要はある。なぜなら、それは体系的な学習や研究を前提としない広範な人々を対象にするからである。綱領がマルクス主義的に厳密な言葉で規定されているかぎり、それを「わかりやすく」言い換えても、その本来の意味を逸脱することは少ないだろうし、逸脱してもそれを是正することは比較的容易であろう。だが、党の綱領は、党員が入党の際に承認し、その革命闘争の指針となるべきものであり、一定の学習と訓練を前提としている。それを宣伝ビラといっしょくたにして、「わかりやすさ」を基本的な基準にすることは許されない。綱領そのものを「わかりやすい」言葉で書き換えてしまうならば、もはや、厳密に解釈可能な統一した基準というものが完全に失われてしまう。それはむしろ、宣伝ビラ水準での「わかりやすさ」さえ不可能にするだろう。
 しかも、実際の綱領改定案をみるならば、そこには本来の意味での「わかりやすさ」など何もなく、ただ平板で陳腐になっているだけであり、そこで論じられている事柄の本来の意味を規定している重要な歴史的背景などが改定案では削除されていて、かえって意味が曖昧でわかりにくくなっている。
 「わかりやすさ」なるものは、第22回大会の規約改定でも合言葉になり、今回も合言葉になっているが、実際には、その名のもとに現行綱領の持つ革命的・戦闘的性格を剥奪するための口実なのである。そして、「わかりやすさ」を最重視する立場は、最も欺瞞的な口実によって世間の「常識」なるものに屈服し、結局は社会の支配的イデオロギーである支配階級のイデオロギーに屈服することである

 ※注 別刷り学習党活動版第1号を見ると、「わかりやすさ」という基準をもっと絶対化させて、「革命」や「統一戦線」などの言葉さえもなくすよう主張している投稿が複数見られる。不破指導部にとっては願ったりかなったりの後押しであろう。これらの投稿者の願いがいずれかなえられる日が来ることは間違いない。いっそうのこと、綱領などすべてなくして、「日本と世界をよくするためにがんばります」というスローガンだけにすれば、いちばん「わかりやすい」のではないか? 党名も「共産党」などというわかりにくい名前を改めるべきだろう。

 第二の「主眼」についてだが、不破によれば、今回の綱領改定案においては、42年間の経験と理論的蓄積が反映されているそうである。だが、以下の考察で明らかなように、重要な変化の多くは、これまで一度も党内で言われていなかったような唐突な新解釈、新理論(しばしば不破の個人的思いつきによっている)にもとづくものであり(天皇制解釈や共産主義の二段階論の否定など)、あるいは、不破が全権を握るようになったこの数年間の「経験」や「蓄積」を盛り込んだもの(自衛隊の段階的解消論や天皇制の将来についての受動的態度など)にすぎない。逆に、この42年間ずっと堅持され、蓄積され、豊富化されてきたわが党の多くの蓄積や理論的到達点があっさりと投げ捨てられている(「二つの敵」論、自衛隊の性格、日本の帝国主義的復活・強化論、統一戦線政府と革命政府の区別など)。不破自身が、党指導者としてこれまで声高にその正当性を主張してきたマルクス主義のさまざまな基本概念さえもが、大部分投げ捨てられているのである。

←前のページ もくじ 次のページ→

このページの先頭へ