次に改定案の具体的な中身に入ろう。まずは改定案の「第一章 戦前の日本社会と日本共産党」を検討する。まず目につくのは、その冒頭文の変化である。現行綱領では次のように書かれている。
「日本共産党は、わが国の進歩と革命の伝統をうけついで、日本人民のたたかいとロシア10月社会主義革命など世界人民の解放闘争のたかまりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義の理論的基礎にたつ党として、創立された。」
それに対して、今回の綱領改定案は次のようになっている。
「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする党として、創立された。」
現行綱領では、「世界の人民の解放闘争」としてあえて「ロシア10月社会主義革命」を出しているにもかかわらず、この文言が今回の綱領改定案では取り除かされている。この「ロシア10月社会主義革命」への言及は、1961年の第8回党大会における綱領制定時から一貫したものである。61年綱領の冒頭は次のようになっていた。
「日本共産党は、第1次世界大戦後における世界労働者階級の解放闘争のたかまりのなかで、10月社会主義大革命の影響のもとに、わが国の進歩と革命の伝統をうけついで、1922年7月15日、日本労働者階級の前衛によって創立された。」
この冒頭文は、宮本不在の最初の大会である第20回党大会において現行綱領の文言へと変えられたのだが、「ロシア10月社会主義革命」との密接な関係については引き続き叙述されていた。それも当然である。なぜなら、何といっても日本共産党は、日本独自の党として結成されたのではなく、ロシア10月革命によって成立したコミンテルンの日本支部として結成されたからである。ロシア革命なしには日本共産党は存在しない。ロシア革命こそ日本共産党の生みの親であると言っても過言ではないのである。
ところが、今回の綱領改定案では、この決定的な文言が取り除かれている。この事実について、不破はその報告の中で一言も説明していない。それはこっそりと何の説明もなく除去されたのである。
この変更の意味は何だろうか? それは、すでに『日本共産党の80年』を検討したわれわれの論文でも指摘したように、できるだけロシア社会主義革命やコミンテルンから日本の党を切り離して、過去の革命的伝統を清算しようとする現指導部の姿勢の現われであろう。それと同時に、ロシア革命やレーニンをめぐって今後とも生じうるさまざまな「暴露」(弾圧や抑圧の事実など)から身を守ろうとする保身的動機からも生じているのだろう。
次に綱領改定案は戦前社会の状況について簡単に説明し、戦前の党の二段階革命的戦略について述べ(ちなみに、この部分も第20回党大会ですでに改悪されている)、現行綱領と同じく、当時の党の行動綱領について述べている。その中で天皇制の問題に関しては次のように述べている。
「党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。」
この部分は現行綱領ではこうなっている。
「党は、きびしい試練にたびたび直面したが、まず民主主義革命をという正しい方針をつらぬき、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配とたたかい、天皇制をたおし、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかってきた。
目につく違いは2点である。第1に、現行綱領にある「きびしい試練にたびたび直面したが、まず民主主義革命をという正しい方針をつらぬき、」が改定案では削除されていること、第2に、現行綱領では「天皇制の専制支配とたたかい、天皇制をたおし」となっているのが、改定案では「天皇制の専制支配を倒し」になっていることである。
第1の変更は単に簡略化のためであろう。とくに政治的理由があるとは思えない。問題は2点目である。『日本共産党の80年』でも見られたことだが、「天皇制をたおす」という言葉が、「天皇制の専制支配を倒す」という言葉にさりげなく変えられている。後者の表現なら、「天皇制」そのものを温存しながら、ただその専制支配だけをなくせばいい、という解釈も可能である。この変更は十分意図的なものであると推測できる。