次に綱領改定案の「第2章 現在の日本社会の特質」を検討しよう。基本的に現行綱領の文言をそれなりに受け継いでいた「第1章」と異なり、この第2章は全面的に書き改められている。その大きな変化の中心は、現行綱領においては、日本の敗北とアメリカによる事実上の単独占領、そのもとでの戦後改革と民主主義革命の流産、戦後的な支配体制の構築といった、戦後的秩序形成に向けた歴史的過程を簡潔に振り返っているのに対し、綱領改定案では、そうした歴史的過程の叙述をなくして、いきなり、戦後の主要な変化は何かという話から始めていることである。
こうした叙述の変化について、不破報告は次のように説明している。
「いまの綱領では、日本の現状分析にあてられた部分のなかで、戦後の時期についての歴史的な経過を追っての記述が、量的にも大きな比重を占めていましたが、それには、背景がありました。日本の情勢を規定する重要な要因である日米軍事同盟が、日米共同作戦条項――つまり、日本の軍事力を動員する条項を含んだいまの形でできあがったのは、1960年の日米安保条約改定によってでした。そして、党の綱領が採択されたのは、その翌年、1961年の第8回党大会においてでしたから、そこで日本の現状分析をやるときには、当然の内容として、敗戦からその時点にいたる戦後16年間の歴史の経過的な総括が、大きな部分を占めざるをえなかったわけであります。
しかし、現在、私たちは、それからさらに40年以上を経た時点にいるのですから、改定案では、経過的な叙述ではなく、戦後の日本に起こった変化を3つの点に整理して示し、それぞれの変化がもつ今日的な意義づけを明らかにすることにしました。
今回の不破報告においてきわめて特徴的なことは、61年綱領の重要部分を否定する理由説明がきわめて皮相的なことである。ここでは、現行綱領が戦後の社会変化の歴史的過程を叙述していた理由について、日米安保条約の改定が行なわれた1960年からわずか1年後に第8回大会が開かれたという時期的な問題を持ち出している。そして、現在はそれからさらに40年以上が経っているのだから、もはやそのような歴史的過程の説明はいらないというのである。
しかし、61年綱領が戦後の社会変化の歴史的過程についてある程度詳細に論じたのは、戦後社会の支配体制というものがどのような政治的・社会的背景のもとで、どのような政治的・階級的力学のもとで形成されたのかを明らかにするためであった。それはけっして、戦後まもない時期であったからだとか、60年安保改定から1年しか経っていないからだとかという理由ではないのである。戦後の現状というものを科学的かつ変革の立場で分析するためには、そうした「現状」というものが歴史的にどのように形成されたのかを明らかにする必要がある。また、そのような分析の仕方をしてこそ、戦後の現状を構成している種々の諸要素が相互に深く連関しあった全体として浮かび上がってくるのである。この肝心なことをすっ飛ばして、戦後の変化の主要点なるものを平板に列挙することによっては、けっしてその「主要点」の真の意味も理解することはできないだろう。
現行綱領では、世界支配の野望を持ったアメリカ帝国主義による単独支配という決定的な点を機軸として、日本の従属国化、戦後の民主化、その限界、日本独占資本の復活・強化といった一連の事態が相互に密接に連関しあったものとして明らかにされている。ところが、綱領改定案では、これらの諸要素が相互に切り離されて、平板に列挙されている。これが、「わかりやすい」叙述だというのだから驚きである。
しかし、こうした平板な列挙というやり方は、科学的かつ実践的に欠陥があるというだけではない。実際には、戦後の歴史的過程を取っ払った理由はもっと深いところにある。それは何よりも、戦後の天皇制に関する現行綱領の叙述をまるごと一掃するためである。
まず、現行綱領は戦後すぐの党の闘争課題について次のように述べている。
「戦後公然と活動を開始した日本共産党は、ポツダム宣言の完全実施と民主主義的変革を徹底してなしとげることを主張し、天皇制の廃止、軍国主義の一掃、国民の立場にたった国の復興のために、民主勢力の先頭にたってたたかった」。
ここで重要なのは、戦後すぐの党が「天皇制の廃止」を掲げて闘ったという事実である。不破は、この事実を綱領から一掃してしまおうと考えた。そのためには、戦後の歴史的過程の叙述をまるごと削除することが手っ取り早いと考えたのである。
さらに重要なのは、戦後憲法における天皇条項の位置づけである。現行綱領は、現在の憲法がどのような政治的状況のもとで、どのような階級的・政治的思惑のもとで制定されたかについて次のようにはっきりと述べている。
「世界の民主勢力と日本人民の圧力のもとに一連の『民主化』措置がとられたが、アメリカは、これをかれらの対日支配に必要な範囲にかぎり、民主主義革命を流産させようとした。現行憲法は、このような状況のもとでつくられたものであり、主権在民の立場にたった民主的平和的な条項をもつと同時に、天皇条項などの反動的なものを残している。天皇制は絶対主義的な性格を失ったが、ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた」。
これに対して、綱領改定案は、このような歴史的過程を完全に取っ払って、現行憲法の天皇条項がどのような政治的状況のもとで作られたかについていっさい語っていない。
「形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は『国政に関する権能を有しない』ことなどの制限条項が明記された」。
このように綱領改定案は、日本がアメリカ帝国主義の従属国になったという歴史的背景と完全に切り離した形で天皇条項の問題を論じている。なぜ、何のために、「形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項」という「民主主義の徹底に逆行する」ものが憲法に入ることになったのか? 綱領改定案は完全に沈黙する。そして、その天皇条項が政治的にどのような位置にあるのかについても沈黙する(以上の点については後述)。
こうして、まさに天皇問題に関する現行綱領の革命的・戦闘的立場を一掃するために、戦後の社会変化の具体的な歴史的過程に関する叙述が削除されたのである。