さて、綱領改定案は戦後社会の第2の変化として、専制政治から民主政治への転換を挙げている。
「第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された現行憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は『国政に関する権能を有しない』ことなどの制限条項が明記された。
この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革の道を進むという道すじが、制度面で準備されることになった」。
この叙述の中で天皇条項に関する論点は後でより詳しく論じることにする。ここで重要なのは、戦後の変化として「主権在民を原則とする民主政治への変化」が挙げられていることである。これは、現行綱領の把握に比べて著しく一面的なものになっている。
まず第一に、現行綱領では、アメリカ帝国主義による「民主化」措置について語るとともに、それが対日支配にとって必要な範囲に限定され、戦後民主主義革命が挫折させられた事実について語っている。
「世界の民主勢力と日本人民の圧力のもとに一連の『民主化』措置がとられたが、アメリカは、これをかれらの対日支配に必要な範囲にかぎり、民主主義革命を流産させようとした」。
この二面的把握は、61年綱領が人民の民主主義革命を当面する革命に設定する上で前提となっている戦後認識である。戦後の「人民民主主義革命」が途中で挫折させられたからこそ、新しい人民民主主義革命が必要になるのである。もし単に「民主政治への転換」がなされただけならば、どうしてあえて「民主主義革命」が必要なのか? 綱領改定案も不破報告もこの点について何も語らない。戦後の「民主政治」への転換は、あくまでも「ブルジョア民主政治」への転換であり、そのように理解しなければならない。
第二に、現行綱領では、一連の「民主化」措置が、「世界の民主勢力と日本人民の圧力のもとに」なされたことがはっきりと書かれているが、綱領改定案ではそのような記述がまったく存在しない。あたかも、自然とそのような転換が実現したかのようである。現行綱領では、世界および日本の人民とアメリカ帝国主義との対峙と拮抗というきわめて動的で弁証法的な連関のなかで戦後秩序の形成がとかれているが、綱領改定案にはそのようやダイナミズム、歴史性がまったく存在しない。恐ろしく平板で、一面的で、教科書的である。不破のすべての講演、すべての著作物に特徴的な平板さ(しばしば「わかりやすさ」と混同されている)が綱領改定案にも貫かれている。
第三に、この「転換」の結果として「日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革の道を進むという道すじが、制度面で準備されることになった」と述べている点も、一面的である。
まずもって、この文章ではレベルの異なる事柄が無批判に並列されている。「国民の多数の意思にもとづく」ということと、「国会を通じて」ということとは、本質的にレベルの異なる事柄である。両者はけっして一致しない。自民党は国会での多数を通じて日本政治を支配してきたが、国民の中での支持はとっくの昔に「多数派」ではない。小選挙区制のもとでは、そのような乖離はなおのこと深刻になる。このような「不一致」こそが、ブルジョア議会制度の本質的な欠陥の一つなのである。
また逆に、国会を通じての政権交代が形式的に保障されていない政治的状況下でも、「国民の多数の意思にもとづいて」「社会の進歩と変革の道を進む」ことはけっして不可能ではない。戦前の共産党も、そのような道を目指したのではなかったか? 綱領改定案は、このレベルの異なった事柄を無批判に並列させることによって、あたかも「国民の多数の意思にもとづく」革命が「国会を通じて」しかありえないかのような議会主義的幻想をつくり出している。
さらに、この文章では、あたかも戦後社会の変化によって、国会を通じての「変革」が「制度的に準備され」たかのように書かれていることも一面的である。現行綱領ではそのようなことは何一つ書かれていない。国会が国権の最高機関として憲法で位置づけられたことは、たしかに変革勢力が国会で多数を握ることを形式的に可能にし、それを革命のてこにすることを可能にしている。だが、それは「形式的に」そうであるにすぎないし、またそれは「てこ」としてのみ機能しうる。61年綱領が最初から平和革命唯一論の誤りと対峙してきたことに示されているように、現行綱領の制定以降の党は、国会を通じた変革の形式的可能性と実質的可能性とを常に区別してきた(敵の出方論)。しかるに、「国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革の道を進むという道すじが、制度面で準備されることになった」という一面的な記述は、そのような緊張関係を解消してしまうものである。
後でより詳しく見るように、今回の綱領改定案において「敵の出方論」は実質的に放棄されるにいたっているが、そうした姿勢は、この戦後社会の変化を論じた箇所にも示されているのである。