綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(上)

10、戦後憲法と天皇条項(3)
――象徴天皇制と君主制

 さて次に、不破の新理論そのものを具体的に検討しよう。不破によれば、象徴天皇制は、(1)憲法で主権在民の原則が明記されていること、(2)天皇が国政に関する権能をいっさい持っておらず、形式的・儀礼的な国事行為しか行なわないこと、(3)およそ世界に国政に関する権能を持たないような君主は他に存在しないこと、という理由から、象徴天皇制は君主制の一種ではなく、天皇は君主でもない、ということになるらしい。
 しかし、(1)も(2)も(3)もすべてとっくに知られている常識的事実である。『さざ波通信』の論文の中でもこのことは指摘されているぐらいである。『さざ波通信』第5号の論文「新ガイドライン法の成立と従属帝国主義(下)」の中で、戦後の象徴天皇制の特異性について、H・T氏はこう述べている。

「象徴天皇制というのは、およそどの世界にも存在しないものです。少なくとも、それは、近代立憲君主制の一形態ではありません。立憲君主制においては、君主は君臨すれど統治せず、ですが、日本の天皇は君臨することさえ憲法では認められていないのです。それは、国民によって選ばれた内閣の言われるままに国会を召集したり、国会で承認された法律や条約を形式的に公布したり、といった国事行為をするだけです」。

 このように、何も不破の報告を待たずとも、戦後の象徴天皇制が、法的・形式的には世界のどこの国にも存在しない特殊な制度であることは十分認識されている。それはある意味で、憲法学界の常識といってもよい。しかしながら、そこから象徴天皇制がいかなる意味でも君主制の一種ではない、という結論はけっして導き出されない。
 実際、綱領改定案発表のわずか2年半前の2001年1月に中央党学校で不破が行なった講義においては、ここで述べられている話とほとんど同じことが言われているが(イギリスの女王が議会で施政演説方針を読むという話まで出てくる)、そこではやはり天皇制は君主制の一種とみなされているし、現行綱領の「ブルジョア君主制の一種」という一句についても、「これは、主権在民の政治体制のなかで、天皇制(君主制)が温存され、その性格が変わったということを指摘している文章で、日本を君主制国家――主権在君の国家と規定したものではありません」(前掲『日本共産党綱領を読む』、61頁)と言われている。まったく同じ事実を出しながら、わずか2年半前には天皇制はやはり君主制の一種であったのが、今回は君主制ではない証拠になっているのである。
 ちなみに、憲法学者の中には、不破と基本的に同じ論拠を用いて、象徴天皇制は君主制ではない、天皇は君主ではない、とする説を採っている学者もいる(宮沢俊義、横田耕一など)。しかし、このような説は学界では少数説であり、多数は、象徴天皇制を君主制のきわめて特殊な一種ないし残存物とみなすか(清宮四郎、長谷川正安など)、あるいは、君主や君主制の定義いかんで変わるとして特定の立場をとらないか(芦部信喜、樋口陽一、など)、のいずれかである。
 実際のところ、憲法の解釈のみから、象徴天皇制が君主制であるか否かが一義的に出てくるわけではないのは、そのとおりである。それは、「君主制」をどのように定義するかにある程度依拠している。たとえば、象徴天皇制=非君主制論をもっとも熱心に説いている横田耕一は、君主に関する伝統的定義を持ち出し(1、世襲であること、2、統治権を名目的にせよもつこと、3、対外的に国を代表すること)、象徴天皇は1の要件しか満たさないので、天皇は君主ではなく、天皇制は君主制ではない、という結論を引き出している(『憲法と天皇制』、岩波新書、1990年、27頁)。
 しかし、横田が挙げた君主の伝統的定義は、いわばイギリスの立憲君主を「君主」として定義するために確立された歴史的な定義にすぎない。現実に存在するものは、学者の定義よりもはるかに多様であり、中間的であり、矛盾的である。もともと、本来の君主(国王や皇帝)は、統治権を名目的にではなく実質的にも持っていなくてはならなかった。統治権を名目的にしかもっていない君主などいなかったからである。だが、ブルジョア民主主義革命の時代が到来し、ブルジョアジーと旧支配層との妥協の産物としてさまざまな形態の立憲君主制が成立するようになると、従来の君主の定義では定義できない「君主」が登場するようになった。そこで、定義を広げて、「統治権を名目的にせよもつこと」というのが定義を構成するようになったのである。したがって、横田が持ち出す定義そのものが、イギリスの立憲君主(「君臨すれど統治せず」の「君主」)を包括するために確立された歴史的・過渡的定義にすぎないのである。
 このような歴史的定義を機械的に適用して、日本の象徴天皇は君主の一種ではないとするのは、まったく形而上学的、機械的、抽象的態度であると言わざるをえない。あらかじめイギリス型の立憲君主までしかあてはまらないような定義を用いて、日本の象徴天皇を君主ではないと「定義」するのは、一種の同義反復である。象徴天皇が、国政に関する権能を形式的に持っていないにもかかわらず、なお多くの「君主」的な要素を持っていることにこそ注目しなければならない。
 第1に、憲法上世襲の地位であること(これは身分制の一種たる君主制の最も重要な要素の一つである)、第2に、特殊な独任の地位であること(つまり、ただ一人の人間のみが就くことのできる地位)、第3に、国家統合の象徴という重大な政治的機能を果たしていること(「国家の象徴」という機能は君主に本質的にともなっている重要な機能である)、第4に、公的にも私的にも特権的地位をもっていること(その生活全般が国家財政によってまかなわれ、しかも一般庶民の想像を絶する高い水準で保証されている、など)、第5に、国民一般とは完全に区別された特殊な身分であること(国民の持つ選挙権、被選挙権を持っていない、刑事訴追されない、一般法ではなく、皇室典範という特殊な法律に律せられている、など)、第6に、自己の行為について責任を問われないこと、第7に、たとえ形式的・儀礼的であれ法律・政令・条約の公布や議会の召集や内閣総理大臣の任命や栄典の授与といった重大で権威を持った国事行為を行なうこと、第8に、明治憲法と同じく、憲法の第1章で(つまり、主権者であるはずの国民より先に)その地位が定められていること、第9に、天皇という「君主」的呼称を持っていること(「天皇」はまさに国王や皇帝と同じく君主を意味する言葉である)、第10に、象徴の地位についている天皇本人のみならず、その家族もまた国家財政で養われるなどの特権的地位をもっていること(もし天皇が単なる国家の一機関にすぎないのなら、どうしてその家族までもが特権に浴するのか)、第11に、文字通り絶対主義的君主であった昭和天皇(裕仁)がそのまま戦後も天皇の地位を引き継ぎ、また戦前の皇室がそのまま戦後も皇室としての地位を引き継いでいること、第12に、その地位に何らかの伝統的要素がつきまとっていること、など。
 これらの諸要素はいずれも、君主一般あるいは戦前の天皇と共通する諸側面である。これらの要素をすべて無視して、統治権を形式的にも持っていないというただ一点でもって、象徴天皇制の君主制的性格を否定するのは、科学的に見てまったく一面的である。また、天皇制が君主制でないとするなら、それはいったいいかなる国家制度なのかについて積極的に定義しなければならない。しかし、非君主制説を採るものは、この点についてまともなことを何も言えていないのである。
 現実に存在する象徴天皇制は、戦後の民主主義革命の挫折、占領軍による政治利用の思惑、旧支配層との妥協といった政治的都合にもとづいて制定されたものである(ちなみに、憲法を起草した占領軍の側は、象徴天皇制を君主制の一種であるとみなしていた)。それはけっして、君主制に関する学問的定義から演繹されたものではない。生きた諸勢力の対立と妥協によって生じた現実は常に、あれこれの定義と矛盾する側面を持っていて当然である。こうした現実内容を踏まえて規定するならば、戦後日本に存在する象徴天皇制は、一般の立憲君主制とも異なる「象徴君主制」という特殊な、世界でただ一つの制度であると定義することが、憲法解釈として適当であろう(なお、この制度を社会科学的に規定するならば、現行綱領が述べているように、「ブルジョア君主制(権力がブルジョアジーに存在するもとでの君主制の残存物)の一種」とみなされる)。
 また不破は、一方では象徴天皇制は君主制の一種ではないとしながらも、では日本はすでに共和制なのかという問題に何も答えていない。日本にすでに君主制の残存物さえないのなら、日本はすでに共和制の国であるということになる。しかし、綱領改定案では将来の日本の政体として「民主共和制」があるべきものとして言及されている。ということは日本はまだ共和制ではないということになる。この点で不破の主張は支離滅裂である。象徴天皇制=非君主制という立場に立っている横田耕一は日本は「世襲の象徴天皇制を持つ共和制」の国であると述べている(前掲『憲法と天皇制』、28頁)。論理的には当然そうなるだろう。ところが、不破は、現在の日本の政体について沈黙を守っているのである。
 なおつけ加えておくと、象徴天皇制を君主制の一種であるとみなすことは、日本の政体全体を単純に「君主制」と定義することと同じではない。日本共産党は以前からそのような規定には反対してきたし、天皇を形式的に従属的な地位においている戦後憲法の性格からして、わが党のそうした態度は妥当なものであったと言える。では日本の政体を全体としてどのように規定するべきだろうか? 天皇制が残っているかぎり、それは絶対に共和制の国ではない。しかし、象徴天皇制の特殊な性格からして、日本の政体全体を無限定に「君主制の国」と規定するのも誤りである。現実が妥協と矛盾の産物である以上、その矛盾をありのままに表現するのがいちばんふさわしい。すなわち、日本は、国家政体としては、象徴天皇制という君主制の残存物をともなったブルジョア民主主義の国である、と。

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