ところで、象徴天皇制を君主制ではないとする立場の憲法学者にかぎらず、護憲派の憲法学者の中には、象徴天皇制そのものの反動的性格を強調するよりも、それをできるだけ国民主権原理と調和する形で解釈し、そうすることによって象徴天皇制の「害悪」を無化することができるし、また現行憲法の規定からの逸脱現象をより的確に批判することができると考えている者が少なからずいる。たとえば、先に紹介した横田耕一は次のように述べている。
「象徴天皇制の憲法制度としての理解を国民主権原則に可能な限り近づけることで、原理的に国民主権原則と矛盾する象徴天皇制を可能な限り無化するとともに、なおかつ残る矛盾を直視しようとするこの立場は、象徴天皇制からも逸脱しがちな現実をもっともよく批判的に相対化して考察できるように思われる」(前掲『憲法と天皇制』、8頁)。
この主張は一見もっともらしく見える。たしかに、わが党もこれまで、憲法の解釈を厳格に行なって、政府と天皇のさまざまな行為や儀式が、憲法の規定する象徴天皇制からみても逸脱的な内容をもっていたことを批判してきた。しかしながら、そうした批判は、あくまでも象徴天皇制が君主制の一種であり、したがって主権在民原則とそもそも根本的に矛盾するという基本認識に支えられてはじめて、確固たる足場を持ちうるのである。横田のように、象徴天皇制をそもそも君主制の一種とみなさない立場から、どうやって「原理的に国民主権原則と矛盾する象徴天皇制」という命題を引き出せるのだろうか?
横田のような立場は、解釈改憲ならぬ「解釈護憲」の立場である。つまり、憲法の解釈によって最大限、象徴天皇制とそれにまつわるさまざまな事柄を戦後憲法の国民主権原則と矛盾しないように解釈しようという立場である。その一つの試みとして、戦後の天皇は昭和憲法によって創出されたまったく新しい国家機関であり、それが「天皇」と呼ばれ、戦前の天皇と同じ人物がその地位に就いたことにとくに根拠はないとする学説も存在する(創設規定説)。横田はさすがに過去との連続性について完全には否定していないが、象徴天皇制を君主制の一種とみなさないという立場もまた、そうした解釈護憲の一種と見ることができる。
だが、こうした解釈努力を徹底すればするほど、かえってますます象徴天皇制と国民主権原則との矛盾の方が後景に退き、両者の矛盾を強調するよりも、象徴天皇制と国民主権との調和性を強調する方向に流れざるをえない。実際、横田の著作『憲法と天皇制』では、象徴天皇制と主権在民との「原理的矛盾」の側面についてはほとんど語られていない。これは、「解釈護憲」論のはらむ深刻な自己矛盾である※。
※注 渡辺治は、憲法学界に見られるこうした傾向に対しきわめて自覚的な批判を行なっている。渡辺は、多くの憲法学者が、憲法の象徴天皇規定から逸脱する個々の現象を「違憲」だと批判することに汲々としてきたあり方に根本的な疑問を投げかけ、天皇がたとえ憲法に定められた国事行為にのみ従事していたとしても、その本質的な問題はなくならないではないか、と指摘している。
「法令の公布であれ、国会の召集であれ、『象徴』天皇という制度をつくり、それら非民主的なわけのわからぬ行為を民主的過程に介在させることにこそ問題の本質があるのであり、その害悪は『国事行為』であっても同様に存在しており、その害悪は『国事行為』であるかないかより左右されるものではない」(渡辺治「戦後憲法学と天皇制」、前掲『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成』、334頁)。
渡辺は結論として、憲法学界に見られる解釈偏重主義を批判し、たとえ「象徴」という形式であれ君主制の持つ害悪を明らかにし、憲法の歴史的限界を批判するべきであると述べている。
「今回の『天皇現象』は、憲法学の解釈論偏重の持つ限界を露呈した。それは、認識論においては、日本国憲法の持つ矛盾的構造をつかまえそこね、実践面においては、憲法学の実践的諸任務を解釈に一面化し矮小化した。……憲法学は実践的意味においても、憲法第1章の『象徴』という形ですら持っている君主制の害悪を明らかにし、憲法の歴史的限界を明らかにするべきであった」(同前、341頁、強調はママ)。
以上の議論は、まったくもって正当であるとわれわれは考える。
ところで、この間、『さざ波通信』の投稿欄で象徴天皇制の解釈をめぐって読者間で論争がなされているが、その中で不破報告の立場を支持する人々は、典型的に「解釈護憲」の隘路に陥り、象徴天皇制が国民主権や基本的人権の尊重と矛盾しないとまで主張するにいたっている。これは、戦後天皇制が「民主主義の徹底に逆行する」としている綱領改定案の立場よりもはるかに右の立場である。
さらに重要なのは、象徴天皇制を君主制の一種とみなさないことによって、象徴天皇制からの逸脱現象をよりよく批判できるようになっているどころか、実践的にはかえって、そうした逸脱に対する批判的視点さえ後退しているという厳然たる事実である。
その最たる証拠が、不破指導部のこの間の行動である。不破は、「解釈護憲」の立場を正式に採用するにいたったが、それによって象徴天皇制からの逸脱現象に対してより敏感になったどころか、はるかに鈍感になり、以前なら絶対に賛成しなかった、皇族に関する弔詞決議や賀詞決議に賛成するようになった。かつては、皇族の死に際して特別の弔詞決議を挙げること自体が、主権在民を定めた憲法に違反するものであり、象徴天皇制に照らしてさえ認められないという立場をとっていた。ところが、不破指導部は、過去の党の立場との矛盾について何も説明することなく、弔詞決議や賀詞決議にあっさりと賛成した。これは、絶対に許すことのできない階級的裏切り行為である※。
※注 不破は、今回の綱領改定案に関する「質問・意見に答える」の中で、この賀詞決議賛成について言い訳らしきことを語っている。
「まず、問題の基本からのべますと、私たちは、一般的にいえば、憲法で定められた国家機関のあいだの儀礼的な関係として、慶弔のいろいろな事態にたいして、『賀詞』や『弔辞』が出されることそのものを、全般として否定する態度はとっておりません。もちろん、その場合でも、民主主義の立場にたって、どこまでが“許容範囲”か、という問題があります。私たちは、その点で、国権の最高機関である国会が、皇室との関係で、とくにへりくだったり、いたずらに相手がたをあがめ奉ったりする態度(用語をふくめて)はとるべきでない、ということを、その都度、国会のしかるべき場所で主張してきました。
例の賀詞の問題では、経過的にみて、一つの問題が起きたのです。最初に参議院の案が提示され、その案をもとに検討し、党は賛成の態度を決めました。ところが、衆議院では、党の代表は、基本的な態度はのべたのですが、文案そのものの吟味はおこなわず、結果的にはいいっぱなしということになりました。当事者は、内容は参院の賀詞とほぼ同じと思っていてのことでしたが、衆院の賀詞には、参院のものにはなかった文言、『皇室の繁栄』を望むという趣旨の文言が入っていたのです。これは、日本の将来にもかかわる問題で、天皇制にたいする党の考え方からいって、賛成しえない問題でした。こういう経過から、衆議院では、党の立場にふさわしい原則的な態度がとれなかった、という結果になりました。
これが、一昨年の国会での賀詞決議をめぐる問題の経過であります。」
何という欺瞞的な説明だろうか。まずもって「私たちは、一般的にいえば、憲法で定められた国家機関のあいだの儀礼的な関係として、慶弔のいろいろな事態にたいして、『賀詞』や『弔辞』が出されることそのものを、全般として否定する態度はとっておりません」というのはまったく嘘である。2000年の皇太后死去にかかわる弔詞決議に賛成する以前に、党が皇族の死や生誕や婚姻などにかかわって弔詞決議や賀詞決議に賛成したことは一度としてない(この点に関しては、『さざ波通信』第25号の論文「日本共産党と「賀詞」問題」を参照せよ)。そうした態度は、決議のあれこれの文言が「許容範囲」を越えていたか否かに規定されていたのではなく、皇族の死や生誕や婚姻に際してそのような決議をわざわざ上げること自体が主権在民に反するという立場にもとづいているのである。
さらに、不破は、一昨年の賀詞決議に関して、衆院の決議に「皇室の繁栄」という文言が入っていたことだけを問題にし、その決議に賛成したのは原則的ではなかった、と実にあっさりと、ちょっとしたケアレスミスであるかのように「反省」している(参院の賀詞決議も十分に皇室に対して卑屈で臣民的で、主権在民に根本的に反する内容であったが、それはまったく問題にされていない)。この許しがたい暴挙の責任者は誰なのか、その責任者は何らかの処分を受けたのか、このことについて何も語られていない。
さらに重要なのは、賀詞決議をめぐるこうした「反省」が、今回の「質問・意見に答える」ではじめて言及されたことである。この賀詞決議の直後に開催された常任幹部会では、この問題で党のとった態度は正当であったとわざわざ決定されている。なぜこの問題が生じた直後にこの「反省」(まったく不十分なものだが)がなされなかったのか。常任委員会の決定はいったいどうなったのか? 不破はこの過程においてどのような役割を果たしたのか? ぜひとも答えてもいらいたい。
同じことは、雅子の妊娠出産をめぐる大騒動に対する日本共産党の姿勢についても言える。宮本時代には、この種の騒動に対して『赤旗』を通じて批判キャンペーンを行ない、皇族の私的な事柄に対するそうした大げさな取り扱いそのものが主権在民の原則に反するものであり、憲法に反するものであると主張していた。ところが、不破指導部は、雅子の妊娠出産をめぐる醜悪な大騒動に対してまったく無批判的な立場をとっただけでなく、それに祝福の姿勢さえ見せたのである。少なくとも10年以上前から党員であった者にとっては、これは驚天動地の事態である。
つまり「象徴天皇制は君主制の一種ではない」という新たに持ち出された命題は、憲法からの逸脱現象を批判するためではなく、逆に、そうした逸脱にさえ迎合するために無理やり持ち出されているのである。
今回の新しい天皇制解釈に賛成している同志諸君は、この事実をしっかりと直視するべきであろう。