綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(上)

12、戦後憲法と天皇条項(5)
――戦後天皇制の現実的役割

 しかし、憲法の解釈や日本の政体を客観的にどう定義するかという問題よりもはるかに重要なのは、現実に存在する天皇制が戦後どのような役割を果たしてきたか、今日もどのような役割を果たしているか、という側面である。すなわち、客観的、受動的に象徴天皇制をどう解釈するかという立場ではなく、日本の民主主義的・社会主義的変革をどのように実現するかという主体的、能動的な立場から、戦後天皇制の問題を見なければならない。
 この立場からすれば、今回の綱領改定案が、「アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具」という現行綱領の天皇制の規定を削除し、さらには行動綱領部分にある「天皇主義的・軍国主義的思想を克服し、その復活とたたかう」という記述をも抹消したことは、憲法の解釈問題以上に、重大な問題をはらんでいると言わざるをえない。
 不破は、綱領改定案の報告の中で、これらの規定を削除したことについては何も述べていない。総じて、不破報告は綱領改定案の重要な変更点の多くについてわざと言及しないという卑劣な内容になっているが、これはその典型的な例である。
 この削除の意味は明白であろう。不破は、象徴天皇制については、民主主義の徹底という観点からはなるほど不十分なものであるかもしれないが、現実の、現在および将来の脅威、危険物、有害物とはみなさないし、天皇主義的イデオロギーとも闘わないという立場に移行したということである。しかし、戦後天皇制の歴史を振り返れば、いかに天皇制が反動的役割を果たしてきたかは明白である。この点については、共産党自身が何度も繰り返し語ってきた。たとえば、1988年に当時『赤旗』文化部長であった小林太郎は、次のように述べている。

 「天皇が、反動的立場から国政関与をしてきただけではない。歴代自民党政権も日米軍事同盟強化、軍国主義復活強化のために、天皇とその一族を最大限に利用してきた。
 こうした、戦後の天皇と天皇制の実態をみても、それが反動的国家体制の一環として、反国民的役割をはたしてきたことは明白である。それが、日本国民の、平和と独立、民主主義、国民生活向上の願いに真正面から敵対するものであることも明らかだろう。
 本来、天皇制は廃止されるべきものである。それは、戦後の天皇制が現実にはたしてきた役割をふりかえってみても、改めて確認できることである」(小林太郎「昭和天皇とその時代を問う」、『前衛』1988年11月号、46頁)。

 また、先に紹介した和泉重行(当時、党中央委員会政治外交委員)は『前衛』に掲載された論文「『象徴天皇制』――その危険な役割」の中で、次のように述べている。

 「問題は、あのように格調高く『主権在民』をうたった憲法に、なんの目的で『象徴天皇』という名の君主制条項が残されたのか、ということです。それは一言でいって、長年国民の脳裏にやきついた天皇の“権威”を国民支配の道具に役立てること、憲法にしぶしぶ書き込まざるをえなかった『主権在民』の発揚、徹底にブレーキをかける役割をはたさせることでした。あわよくば、国の政治をすすめるための実際の仕組みのなかに、『主権在民』とは矛盾し、それを制限する制度的措置をたくみに盛り込むねらいももってのことです」(和泉重行「『象徴天皇制』――その危険な役割」、前掲『天皇制の現在と皇太子』、53~54頁)。

 さらに和泉は、中曽根元首相の天皇主義的な発言を取り上げて次のように述べている。

 「ここにこそ、『象徴』であろうとなんであろうと、天皇制=君主制の反動的な『質的性格』があるのです。そして、この『象徴』という、抽象的でとらえどころのないようにみえながら、実は反動的な役割をはたす天皇制をとりあえず残しておくこと、そしてそれを足がかりに、それを最大限に利用しながら、国民支配の体制のいわば再構築をはかること、これこそが、当時の天皇制温存勢力のぎりぎりのねらいだったのです」(同前、58~59頁)。

 こうした天皇の反動的政治利用は、すでに述べたように、天皇在位60年と天皇の代替わりにともなって展開されたヒステリックな天皇礼賛キャンペーンや弔意の強要、批判的言説への弾圧、天皇の戦争責任について言及した共産党議員に対する懲罰の脅し、長崎市長への右翼テロ、などでピークに達した。「まさに独占資本を中心とする反動支配とアメリカのために役立つブルジョア天皇制そのものであることを、天皇死後の一連の経過が示している」(宮本顕治「天皇裕仁の死去と日本共産党の立場」『歴史にそむく潮流に未来はない』新日本出版社、331~332頁)のである。
 戦後天皇制はこのように、主権在民原則のみならず、各種の基本的人権を破壊する道具としても機能し、あるいはそのさまざまな政治的発言や「皇室外交」を通して、その時々の支配層の政治的意図や策動に反動的な「貢献」を行なってきた。そしてそれは、右翼のテロにも支えられながら、厳然たる「菊タブー」を生み出し、自由な言論と思考を制約し続けている。そして、それは、将来において、日本の国家機構の抜本的な変革が日程にのぼったときには、反動派にとってまたとない道具、足がかりとして利用されるだろう。
 ところが綱領改定案は、「アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具」という現行綱領の天皇制規定を削除することによって、こうした反動的現象に対して党員と国民の武装を解除しようとしている。それは、戦前、戦後を貫く日本共産党の最も誇るべき伝統、まさに「先進性と不屈性」の最も重要な遺産を切り捨てるものである。この一点だけでも、今回の綱領改定案は、党の過去との断絶と支配体制への屈服の表現なのである。
 ところで綱領改定案にはさらに、現行綱領にある「君主制の廃止」という明確な立場が破棄されているという重大な問題もあるが、この問題はそのことが直接的に出てくる綱領改定の第4章を検討するときに取り上げる。

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