日本の現状規定の部分に関しては、他にも、商業マスコミと選挙制度に関する規定を削除した問題がある。現行綱領には次のような記述がある。
「小選挙区制は、世界の大勢に逆らう時代おくれの反民主的な選挙制度であり、その廃止をできるだけ短期間にかちとることは、日本の民主主義の重要な課題となった。
日本の商業マスコミは、全体として、反動支配の重要なささえという役割をはたしている。商業マスコミは、第二次世界大戦のさいの戦争協力にたいし一定の反省を表明したが、それは、天皇絶対礼賛の態度を存続させたことともむすびついて、誤った世論誘導への本質的な反省をともなわず、戦後も、安保条約の締結と改定、小選挙区制の導入など、政治の重要な局面で、反動勢力を支持する立場での報道を基本としてきた。」
小選挙区制の問題を削除した件については報告でも「質問・意見に答える」にも出ていないので、それについては推測するしかない。おそらくこれは、小選挙区制の廃止のために闘うよりもむしろ、小選挙区制のもとでも野党連合への参加や選挙協力を通じて政権入りすることを重視するという基本姿勢と結びついていると思われる。
商業マスコミの記述が削除された問題については、「質問・意見に答える」では次のように説明されている。
「商業マスコミの役割の評価をなぜ省いたのか、という質問が、島津さん(中央)と浮揚さん(千葉)から出されました。今回の改定案での日本独占資本主義の現状分析の部分は、報告でのべたように、民主的改革に取り組むにあたって、その焦点になる問題点、矛盾点に重点をおいて、つくりました。情勢論一般としていえば、商業マスコミの問題点をふくめ、分析すべきことはいろいろありますが、それは、民主的改革によって対応するような性質の問題ではありません。そういう考えから、綱領改定案ではとりあげませんでした」。
これもまたわかりにくい説明であるが、重要なのは「それは、民主的改革によって対応するような性質の問題ではありません」というくだりであろう。小選挙区制に関する記述や「行動綱領」をすべて削除したこととも密接に関連しているが、今回の綱領改定案と61年綱領以来の綱領との根本的な相違は、61年綱領以来の綱領が、現在たたかうべき課題と将来の政権獲得後ないし権力獲得後に実現する課題とを密接に連関させて取り上げていたのに対し、綱領改定案が、現在の闘いをすべて無視し、ただ政権獲得後の「民主的改革」の内容のみを記述するという構成になっていることである。現行綱領では、現在、日本人民が直面している問題と困難を打ち破っていく日々の闘争の発展の上に民主主義革命が展望されており、したがって政権獲得以前に実現できる課題と政権獲得後に実現できる課題とをそれほど機械的には分離していなかったのに対し、綱領改定案では、そうした改良と革命との弁証法的連関が否定され、もっぱら民主連合政権成立後の上からの改革課題のみを平板に列挙するという構成になっている。これは、綱領改定案が、大衆闘争の党から議会主義の党への完全な転態を意図していることを意味している。この問題は第4章を検討するときにより詳しく論じる。
商業マスコミの問題が削除されたことは、おそらくこうした綱領改定案の基本思想(現在の闘争と切り離した形で上から改革を実行するという議会主義的改良主義)にもとづくものと思われる。
同時に、不破があえて語っていないもう一つの動機がある。それは、商業マスコミに関する記述の中に、「天皇絶対礼賛の態度を存続させた」という一文があることである。天皇制に批判的なあらゆる文言を削除するというのが、今回の綱領改定案の一つの重要目的であったわけだから、当然、それを含む文章全体が削除されなければならなかったのである。
ところで、今回の綱領改定案は、現行綱領にある進歩的・積極的項目の多くを削除している一方で、何ら積極的な理論的豊富化を行なっていない。とりわけ、戦後の日本社会に関するわが国のマルクス派の社会科学者たちたちのすぐれた理論的蓄積が何も反映されていない。1960年代に成立した企業社会的な統合様式についても、1973年の低成長移行後に普遍化した新しい日本型の生産様式と搾取のシステム(トヨティズム)についても、日本の多国籍企業化が1985年のプラザ合意を契機としていることも、その多国籍企業化の現代的な特徴も(工藤晃の諸労作を参照)、そして今日の支配層の主要戦略が新自由主義化と軍事大国化であることについても、何も語られていない。新自由主義全盛期の現在に綱領を全面改定するにもかかわらず、綱領改定案に「新自由主義」という言葉さえも存在しないのは実に奇異なことである(「貿易自由化」だけは記述されている)。
日本社会の最近の動向としてかろうじて綱領改定案に入れられているのは、「『グローバル化(地球化)』の名のもとに、アメリカ式の経営モデルや経済モデルを外から強引に持ち込もうとする最近の企て」ぐらいなものである(このグローバル化理解も非常に多くの問題をはらんでいるが、これは第3章を検討するときに取り上げる)。
だがこうした問題は、おそらく単に不破指導部の勉強不足や無知のせいではない。党にきわめて近い理論家(二宮厚美など)の多くが雑誌『経済』などで今や「新自由主義」の危険性について全面的に展開しているにもかかわらず、党指導部は頑としてこの言葉を用いることを回避してきた。これは、市場経済にきわめて親和的な不破の基本的な考え方から来ていると思われる。大西広一派のような最も露骨な新自由主義派があいかわらず共産党に忠実でいられるのは、指導部のこうした基本姿勢とけっして無関係ではない。
これまで、共産党のあれこれの日和見主義に批判的な人々でも、福祉や労働の問題に関する共産党の抵抗野党的姿勢を評価しているが、不破指導部の市場経済へのこのきわめて親和的な態度は、福祉問題や労働問題における党の態度にも深刻な影響を及ぼさないわけにはいかないだろう。すでに福祉問題では、福祉の市場化の最たるものである介護保険制度の導入問題に対する共産党の曖昧な態度のうちに、すでにその弊害がはっきりと現われている。党の政策主張は介護保険制度そのものに反対するよりも、その改善という方向にほとんど収斂してしまっている。
また労働問題においても、国鉄の分割民営化路線に20年遅れで屈服したり、木下武男のような賃金の市場化を唱導する理論家が党周辺の知識人のあいだで急速に影響力をもつようになってきている。共産党の最も重要な基盤である民医連の病院でも、政府の医療改悪の中での生き残りのためと称して、あちこちで労働条件の切り下げ、非正規雇用の拡大、パート労働者の切り捨てなどが強行されている。
したがって、国内の新自由主義をめぐる闘いにおいても、今後、いっそう右傾化する可能性は大いにある。市場経済そのものに対する批判的視点を早急に全党的なものにしないならば、こうした傾向は今後ますますひどくなるだろう。なお、市場経済については、日本の未来像として市場経済の問題が取り上げられている綱領改定案の第5章を検討するときに、より本格的に論じる予定である。(次号につづく)