以上のような帝国主義認識のもとで、不破報告は、アメリカに関してのみ「帝国主義的」であるとする規定を与えている。だが、このアメリカ帝国主義論に関しても、綱領改定案と不破報告の立場は現行綱領の立場を完全に放棄している。
まず、現行綱領にある次のような世界情勢認識が綱領改定案では完全に削除されている。
「帝国主義陣営の内部では、情勢の変化に対応するために、アメリカを中心とする軍事ブロック化がすすんだ。アメリカ帝国主義は、軍事ブロックを手段として、発達した資本主義国をふくむ多くの国ぐにの主権を侵害し、また各国の独占ブルジョアジーは、その支配を維持するなどの目的で、アメリカ帝国主義の力をかりるために、自国の主権を犠牲にしてきた。資本主義の不均等発展により、帝国主義陣営の内部の矛盾はつよまっているが、帝国主義と反動の国際勢力は、平和、民族独立、社会進歩の運動を抑圧し、世界諸国民への支配をつづけるため、アメリカ帝国主義を盟主とする軍事的・政治的同盟にひきつづき結集している。この軍事ブロック政策は、アメリカの経済的な覇権や権益を追求する経済的な覇権主義と不可分にむすびついている。
アメリカ帝国主義は、その侵略政策を効果的に遂行するために、ときには、一方ではソ連や中国などへの『接近』と『協調』の政策をとりながら、他方で民族解放や社会主義をめざす道にたつ大きくない国ぐにに攻撃を集中するなどのわるがしこい戦術をとった。ニクソン政権が中国、ソ連を訪問して『友好関係』をうたいながら、ベトナム侵略戦争をやりとげようとしたのは、その典型であった。日本共産党は、アメリカ帝国主義のこの術策を早くから見抜き、各個撃破政策と性格づけて、それを打ち破るためにたたかった」。
以上が、戦後の資本主義世界に関する現行綱領の基本認識である。ところが、綱領改定案ではそもそも、戦後資本主義世界におけるアメリカ帝国主義の支配の具体的なあり方や帝国主義陣営の存在形態に関する分析が完全に欠落している。ベトナム戦争についてさえ一言も触れられていない。戦後の資本主義世界に関しては、もっぱらソ連崩壊以後の情勢に議論が終始しているのである。これは驚くべき変化ではないだろうか。
この欠落はけっして偶然ではない。それは、ソ連崩壊後のアメリカ政府の一国覇権主義的な政策のみを「帝国主義」とみなそうとする不破指導部の姿勢と一致している。不破指導部は、「帝国主義」概念から、アメリカ以外のすべての独占資本主義国を排除し、さらにアメリカ自身に関してもソ連崩壊以前の戦後の政策と行動を排除するという、二重の矮小化をおこなっている。このことは不破報告の次のようなくだりにでもはっきり示されている。
「私たちは、いま、アメリカの世界政策にたいして、『アメリカ帝国主義』という規定づけをおこなっていますが、そのことは、私たちが、アメリカの国家あるいは独占資本主義体制を、固定的に特徴づけている、ということではありません。『アメリカ帝国主義』という特徴づけ自体が、改定案のその部分をいま引用したように、ソ連解体後に形づくられ、体系化されてきた一国覇権主義の政策と行動を特徴づけたものであります」。
つまり、「アメリカ帝国主義」とはあくまでも、アメリカ資本主義の段階規定として考えられているのではなく、ソ連崩壊後に体系化された「一国覇権主義の」政策と行動を指す言葉にすぎない。崇高なる国連の役割をも無視するこの特殊な政策だけが「帝国主義」だというわけである。これ自体、すでにとんでもないアメリカ帝国主義美化論であるのは言うまでもない。このような議論から必然的に、将来におけるアメリカ帝国主義の「非帝国主義化」の展望も生まれてくる。
「私たちは、アメリカについても、将来を固定的には見ません。
従来、『帝国主義の侵略性に変わりはない』などの命題が、よく強調されました。レーニン自身、独占資本主義の土台の上に現れてくるのは、帝国主義の政策以外にない、非帝国主義的政策が独占資本主義と両立すると考えるのは、カウツキー主義だといった議論を、よく展開したものでした。
しかし、いまでは、状況が大きく違っています。私たちは、国際秩序をめぐる闘争で、一国覇権主義の危険な政策を放棄することをアメリカに要求し、それを実践的な要求としています。そして、これは、世界の平和の勢力の国際的なたたかいによって、実現可能な目標であることを確信しています」。
「よく強調されました」とか「よく展開されたものでした」などとぬけぬけと言えたものだ。まるで自分以外の誰かが勝手にそういう議論を展開してきたかのごとくである。だが、こうした議論を最もよく強調し展開したのは、他ならぬ日本共産党指導部と不破哲三自身である。これはすでにこれまで引用してきた文献によって完全に証明されている。ここでは、念のため不破自身の言葉をさらにいくつか引用しておこう。不破は、構造改革派の帝国主義論を批判しながら次のように述べている。
「長洲の議論は、いわば『流動的』帝国主義論ともよぶべきもので、簡単にいえば、植民地支配や市場再分割のための戦争は、20世紀初頭の世界市場の構造に対応した、帝国主義のいわば一つの形態にすぎず、歴史的条件さえかわれば、経済的には独占資本の同じ土台のうえでも、世界市場の再編成がもっばら経済競争をつうじて『流動的』におこなわれる時代――植民地にたいする権力的支配や、それと結びついた各種の戦争をともなわない、帝国主義の『平和的』な形態が生まれるということにある。この議論もまた、カウツキーの悪名高い『超帝国主義』論を、新しいよそおいで復活させたものである」(同前、227頁、強調はママ)。
「すべての事実は、第2次大戦後の時期における世界情勢のあらゆる変化にもかかわらず、民族解放運動の圧殺と社会主義諸国の破壊をめざす帝国主義の侵略的本質にはなんの変化もなく、アメリカ帝国主義を頭とする帝国主義こそが、戦争と侵略の根源であることを示している」(同前、236頁、強調引用者)。
このように、不破自身こそが、独占資本主義のもとでの非帝国主義的政策が可能という議論を最も口をきわめて「カウツキー主義」として非難してきたのである。このときの不破ほど侮蔑的で攻撃的な議論を展開した者はいない。宮本体制のもとで出世を目指していた不破は、かつての仲間を最も口汚くののしることで自分の忠誠と「左翼性」をアピールしようとしていたのである。その当人が、今では、白々しく「よく展開されたものでした」と言うのである。開いた口がふさがらないとはこのことだ。
いずれにせよ、不破指導部がかつて自ら「カウツキー主義」だと非難してきた理論を正式に採用しようとしていることだけはたしかである。不破は、自ら堂々と「カウツキー主義」に転向した告白しているわけである。そして「帝国主義」概念を徹底的に矮小化したのだから、この概念から将来のアメリカも排除されるのは必然的であるといえよう。いま現在の、アメリカの一国覇権主義の政策のみが「帝国主義」である、というわけだ。
たしかに、今後の運動の展開しだいでは、今日のようなあまりに露骨な「一国覇権主義」的行動に抑制がかかるかもしれない。しかし、これはアメリカ帝国主義が帝国主義でなくなることをいささかも意味しない。それは帝国主義的行動の仕方がより巧妙かつ慎重になったにすぎない。だが、不破指導部はおそらく、現在のような露骨な行動が多少抑制されたら、もうアメリカは帝国主義的でなくなったと言い出すのだろう。将来の裏切りの政策を、不破指導部は今から準備しているのである。