綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(中)

22、帝国主義美化論(4)――日米関係の将来

 不破報告は、この独特の「アメリカ帝国主義」論にもとづいて、将来の日米関係についても、まったく反動的な議論を展開している。

 「さきほど、日米関係について、綱領改定案が、『アメリカの対日支配は、……帝国主義的な性格のものである』と明確に規定していることを、紹介しました。しかし、その対日支配を終結させることは、アメリカが独占資本主義の体制のままでも、実現可能な目標だと、私たちは考えています。そして、安保条約が廃棄されたあと、アメリカがこの事実を受け入れて、日米間の友好関係が確立されるならば、帝国主義的な要素の入り込まない日米関係が成立しうる、私たちは、そういう展望をもっています。第2章の日本の現状規定で、私たちが、アメリカ帝国主義という用語を使わなかったのは、そういう見地からであります」。

 この議論は二重の意味で偽りである。まず第一に、不破が言うように一国覇権主義の露骨な侵略政策のみを帝国主義的であると規定するとすれば、どうして「アメリカの対日支配は、……帝国主義的な性格のものである」などと規定することができるのか。綱領改定案は、米軍基地の存在、核兵器の持ち込み、自衛隊がアメリカの戦略の一翼を担っていること、アメリカが「日本の軍事や外交に、依然として重要な支配力をもち、経済面でもつねに大きな発言権を行使している」ことなどを理由にして、「アメリカの対日支配は、明らかに……帝国主義的な性格のものである」としている。だが、これらの列挙された項目は、イラク戦争に見られるような露骨な帝国主義的政策とは明らかに性格を異にしている。
 アメリカ帝国主義の日本支配は、アメリカが戦後に中南米諸国や東南アジア諸国や中東諸国などに行使してきた支配のありように比べてさえはるかに間接的でさえある。これらの国では、経済の最も主要な部分をアメリカ多国籍資本が掌握し、多国籍企業の利益に合致したモノカルチャー経済を押しつけられ、政治的支配層と軍部がほぼ完全にアメリカの傀儡であった。まさにそれゆえ、民族主義的な革命の絶えざる源泉となってきたし、実際に多くの民族主義革命が起こったのである。
 それに対して日本では、国民経済の主要部分はほぼ完全に日本の独占資本が掌握し、企業内で独自の労働者統合を実現してきたし、日本政府はその外交政策における対米従属にもかかわらず、その国内統治においては基本的に独自の統治システムを発展させてきた。これこそが自民党政権の相対的安定性と「長寿」の秘密である。ソ連崩壊後の露骨な一国覇権主義のみを帝国主義的とする立場からすれば、そして、フランス帝国主義――戦後も植民地を保有してきたし、他国に軍事侵略してきたし(モロッコ、ベトナム)、外国に軍事基地を保有し、核兵器も保有しているフランス帝国主義でさえ帝国主義でないとすれば、日米関係は「不平等」であるとはいえても、けっして帝国主義的であるとは言えないはずである。
 第二に、不破報告は、安保条約が廃棄され、それをアメリカ政府が受け入れ、日米間の友好関係が成立すれば、「帝国主義的な要素の入り込まない日米関係が成立しうる」としている。この議論もまったく一面的である。
 まず、安保条約の廃棄を通告しさえすれば、あたかもアメリカ政府がそれをあっさりと受け入れるかのような前提に立っている。実際には、この安保条約の廃棄と米軍基地の撤退をめぐって最も激しい闘争と攻防が起こるだろう。そのさい、クーデターの危険性さえあるだろう(これは、共産党が以前からとっていた立場である。この点は第35章で後述する)。
 次に、安保条約を廃棄する何らかの自立した政府が成立したとしよう。この政府がフランス型の自立帝国主義政府であり、世界帝国主義の共同の利益を守るような政策を実行するならば、たしかにアメリカ帝国主義はそのような政府と進んで友好関係を結ぶかもしれない。そしてこの日米帝国主義政府は、その共同の力で日本人民とアジア人民を支配しようとするだろう。これによって、「帝国主義的な要素の入り込まない日米関係が成立」したなどと言えるだろうか。いや言えない。それは、従属関係をともなった日米の共同支配から、対等な日米帝国主義の共同支配に転嫁するだけの話である。日本人民はあいかわらず、日米帝国主義の支配下に置かれつづけるだろう。不破は「帝国主義的関係」というものを純粋に政府と政府の関係、国家と国家との関係とのみ見ている。政府が帝国主義的な意味で対等になっても、帝国主義と人民との関係はあいかわらず帝国主義的な支配従属をともないうるのである。
 反対に、アメリカ帝国主義にとって脅威となるような真に革命的な政府が成立し、それが安保条約を破棄したとすれば、そのような政府に対してアメリカ帝国主義は一貫して敵対し、その政府の転覆を陰に陽に画策するだろう(直接的な侵略政策を必ずとるとはかぎらない。キューバ政府に対するアメリカ帝国主義の政策を見よ)。
 いずれにせよ、アメリカ帝国主義がアメリカ帝国主義であるかぎり、その対日政策が帝国主義的であることに変わりはない。ただその形態が状況によって変化するだけである。それゆえ、日本人民の真の解放は、アメリカ帝国主義の支配の国際的打倒によってのみ成し遂げられる。それなしには、「独立・民主」日本の長期的存続もありえない。
 ところで、日本共産党がめざす政府は、自立帝国主義的な政府なのだろうか、それともアメリカ帝国主義にとって脅威となるような革命的な政府なのだろうか。「共産党」という立派な名前を持った政党が政権をつくるのであるから、当然、後者の政府をめざすと考えがちであるが、実際にはそうではない。すでに本稿の「」で、綱領改定案における将来の日本像が事実上、穏健な「自立帝国主義」的なものであることを指摘したが、日米関係に関しては、不破哲三自身によるよりはっきりとした証言がある。綱領改定案の出される2年以上前の2001年1月に行なわれた中央党学校で、不破は次のように述べている。

 「これらの要求の中心は、日米安保条約を廃棄することですが、これが、日本にたいするアメリカ帝国主義の支配を取り除く内容です。だからこの要求が実現して、安保条約・日米軍事同盟を軸とする対米従属の関係が解消し、日本の主権と独立が回復されたら、独立・民主の日本は、アメリカがどのような政治的、経済的体制にあろうとも、そのアメリカと対等・平等の友好関係をきずくことを提案し、そのために努力します。そのさい、帝国主義といわれる実態がアメリカに存在していても、国際政治のうえでの問題として、それへの対応は問題になりますが、アメリカとの友好関係を求める独立・民主日本の立場が、それによって影響されることはありません。
 私たちは、民主的な政権ができた場合の対米関係の前途に、こういう展望をもってますから、野党である現在でも、当然、アメリカも、私たちの外交活動の対象としています。……私たちが不法だと思うアメリカの海外での軍事行動の問題で、アメリカ政府にたいして、いろいろ申し入れもおこないますし、アメリカ大統領が訪日するときには、機会があれば会話もかわします。さきの党大会では、アメリカ大使館にも招待状を出しました」(不破哲三『日本共産党綱領を読む』、新日本出版社、105~106頁)。

 つまり、不破の展望する民主連合政府は、アメリカ帝国主義の世界支配を覆す国際的な革命運動の一環として位置づけられているのではなく、日本一国のみの安寧と平和を目標とする「一国民主主義」の政府であり、アメリカの帝国主義的行動に対しては、何らかの「対応」をすることはあっても(アメリカ政府への「申し入れ」、アメリカ大統領との「会話」、アメリカ大使館への「招待状」! など)、けっしてそれと真剣に闘争することはなく、ひたすら友好関係を求め続ける、というわけである。
 実際、後で紹介するように、現行綱領の行動綱領部分にある「党は、『万国の労働者と被抑圧民族団結せよ』の精神にしたがって、労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯し、人類の進歩をめざす闘争を支持する」がまるごと削除されている。つまり、不破はアメリカ政府にこういうメッセージを送っているのである。「君たちが日本の国内政治に干渉さえしなければ、君たちが世界で行なう帝国主義的行動に対しては、『申し入れ』などのアリバイ的行動を除いてはけっしてまともに反対したり、闘争したりはしない、だから私たちの政権を黙認してくれ」と。
 以上見たように、今回の綱領改定案と不破報告に見られる帝国主義論は、日本共産党がマルクス主義とも過去の革命的伝統とも完全に決別したことを、この上なくはっきりと示している。

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