戦後におけるアメリカ帝国主義と帝国主義陣営全体の分析に代わって登場したのが、国際連合と国連憲章に関する無批判的な美化である。現行綱領では、日本政府が国連でアメリカを代弁しているというくだり以外では、そもそも「国際連合」という言葉自体が登場しない。これは、戦後世界において国連が果たしている大きな役割を見るならば、たしかに一面的であろう。当然、党綱領は、安保理における5大国の拒否権をはじめとする国連の根本的な限界を指摘しつつ、国際的な平和運動、民主主義運動、反帝国主義運動の前進のために国連を、アメリカ帝国主義を告発し追い詰める宣伝・煽動の舞台として、あるいは、積極的な諸決議を獲得するための場として利用することの重要性について書くべきであった。また、安保理以外の分野では、国連はしばしば一定の進歩的な国際基準や国際ルールを確立しているし、それをアメリカなどの超大国に押しつける闘争は重要である(アメリカは、国際条約を最も多く批准していない国である)。以上の点で、国連の積極的利用について綱領で言及することは必要であろう。
だが綱領改定案が戦後における国連創設について言及するようになったのは、それをまったく無批判的に美化し、それを国際平和の最大の支柱、最大の基準に高めるためであった。
「国際連合の設立とともに、戦争の違法化の方向が世界史の発展方向として明確にされ、戦争を未然に防止する平和の国際秩序の建設が世界的な目標として提起された。20世紀の諸経験、なかでも侵略戦争やその企てとのたたかいを通じて、平和の国際秩序を現実に確立することが、世界諸国民のいよいよ現実的な課題となりつつある」。
ここでは、国際連合の根本的限界が何も示されていない。安保理における米英ロ仏中の5大国の拒否権は、戦争と平和の問題に関してこれらの国の国益に反するような決議や行動を国連が絶対的にとりえないことを制度的に保障している。この根本的な制度的限界についてなぜ何も語らないのか。また歴史上、国連が何度となく帝国主義的侵略の道具とされてきた事実についても何も言われていない。国連がパレスチナの分割を支持したことをはじめ、それが恥ずべき役割を果たしたことは何度もある。さらに、イラク戦争においても国連はまったく無力であった。結局、アメリカ政府当局が戦争の決意を本気で示せば、国連は何もできないし、アメリカによる露骨なイラク先制攻撃に対して批判決議を上げることさえできないのである。※
注※ この点に限って言えば、ソ連崩壊以前の国連の方がまだましであった。たとえば、この間、志位委員長らが国会でとりあげた83年のアメリカによるグレナダ侵略では、武力介入の即時撤退要求を含む国連総会決議が採決されている(賛成108カ国、反対9カ国)。なお、グレナダ侵略とは、アメリカが今回のイラク戦争と同様に、「テロの基地」になっている等のさまざまな名目をつけてグレナダを武力侵攻・占領した(政府施設・民間施設を攻撃、政府要人や子どもを含む多数の民間を殺害し、社会主義インター加盟の政権党関係者らを拘束した)事件である。
綱領改定案の国連美化は、現在における世界の基本的な対立点を、「国連憲章の擁護か、それともそれの蹂躙か」という形で設定されていることに最もはっきりと示されている。
「なかでも、国連憲章にもとづく平和の国際秩序か、アメリカが横暴をほしいままにする干渉と侵略、戦争と抑圧の国際秩序かの選択が、いま問われていることは、重大である」。
すでに『さざ波通信』で何度も指摘したように、国連憲章は帝国主義による軍隊保持も、自衛戦争の名目による帝国主義戦争も肯定しているし、軍事同盟による集団的自衛権も肯定している。それはただ、「自衛」ではない戦争のみを違法化しているにすぎない。だが、歴史上、自衛の名目で行なわれなかった侵略戦争がかつて一度でもあっただろうか? イラク戦争でさえ、アメリカはテロリストからの自衛や、あるかどうかもわからぬ化学兵器からの自衛を名目にしていた。
またたとえ、特定の国が国連憲章を蹂躙して侵略を行なっても、それに対する制裁が行なわれるのはただ、5大国以外の国家に対してだけであり、しかも、それらの国家が5大国のいずれか(とりわけアメリカ合衆国)と同盟関係にある場合には、やはり制裁などできはしない。イスラエルは、何回も何十回も国連決議を蹂躙し、パレスチナ自治区への侵略を繰り返してきたが、ただの一度も制裁されなかった。
国連や国連憲章が本質的な意味で国際平和の擁護に役立ったことはないし、今後ともないだろう。それは、民衆の世界的な諸闘争のために利用するべき対象・道具ではあるが、それ以上ではない。
ところで、不破報告は、ベトナム戦争のときもアフガン戦争のときも国連は無力であり、「米ソ覇権主義の対決という時代のほぼ全体にわたって、こういう状態が続」いたが、イラク戦争の時にはすべてが一変し、「国連発足以来はじめて、不正義の先制攻撃戦争を許すか許さないかということが、国連の舞台で真剣に取り組まれ、激しい討論が最後まで交わされました。また、国連が定めた“平和の国際秩序をまもる”という問題が、世界の反戦平和の勢力の共通の大義、共通の要求となりました」と述べている。
つまり、綱領改定案における国連・国連憲章美化の記述は、当該箇所が戦後世界全体と今後数十年間を対象にしているにもかかわらず、イラク戦争におけるたった1度の経験にもとづいているということである。戦後に国連が設立されてから50年以上たち、その間、一貫して国連は平和の秩序を作ることに役だ立たなかったのに、イラク戦争をきっかけとしてすべてが一変し、今や反戦・反帝国主義の世界人民の闘争よりも国連と国連憲章こそが世界平和を守る真の支柱、真の保障になったというわけである。何というおめでたい世界観であることか。