この問題については、それ以外の部分と比べれば、現行綱領とそれほど大きな違いはない。しかし、大きな問題が三つほど見られる。それを順に見ていこう。
第2次世界大戦におけるソ連の役割
まず第一に、第2次世界大戦におけるドイツ・ファシズムの粉砕というソ連人民の歴史的成果についての記述が綱領改定案で削除されていることである。現行綱領には次のような記述がある。
「第2次世界大戦で、ソ連が、2000万人もの犠牲をはらいながら、ヒトラー・ドイツの侵略を打ち破ったことは、反ファッショ連合国の勝利への大きな貢献となった。このことの歴史的な意義は、その後あきらかになったソ連指導部の内外政策での数かずの重大な誤りにもかかわらず、正当に評価されるべきである」。
こうした記述が綱領改定案では完全に削除されている。この件について「質問・意見に答える」の中で不破は次のように説明している。
「第2次世界大戦でのソ連の役割ですが、これは、前から指摘しているように、“光と影”の両面があるのです。94年の綱領改定のさいには、変質し崩壊したソ連でも、歴史のなかで現実に果たした功績は評価するという意味で、功績の面を指摘しましたが、この間、第2次世界大戦での経過の全貌(ぜんぼう)が、いろいろな角度から詳細に明らかにされてきました。それによると、“影”の面があまりにも大きいのです。日本の千島問題は、スターリンの領土拡張主義の典型的な現れの一つですが、ヨーロッパ方面でも、大戦初期のバルト三国とポーランド東部の併合、戦後の東ヨーロッパ支配などは、スターリンの領土拡張主義を露骨に現したものでした。くわえて、戦争の経過ややり方をみても、当時の歴史的条件を考えても正当化するわけにはゆかない野蛮で残虐な行為が、ずいぶんあることが明らかにされてきました。そこまで明らかになった段階で、ドイツ・ファシズムを破ったという“光”の面だけを、わが党の綱領に記載するわけにはゆかないと考えて、これに関する叙述は、削りました」。
ここで言われている「野蛮で残虐なやり方」とはたとえば「カチンの森事件」(ポーランド将校の大量虐殺事件)のようなものを指しているのだろう。だが、このような議論は正当なものだろうか。いや、まったく。まず第一に、国連については「光」の部分だけを書いているのはなぜなのか。あとで述べるように中国についても「光」だけ書いているのはなぜなのか。第二に、「光」だけを記述するのが問題なら、単に「影」についても簡潔に叙述すればいいだけのことである。第三に、このような言い分は、不破が、ドイツ・ファシズムの粉砕をスターリン指導部の成果であると無意識のうちに考えていることを示している。
ドイツ・ファシズムの粉砕は、スターリンを筆頭とする悪辣なソ連官僚指導部の成果ではなく、10月革命と社会主義の理想によってなお鼓舞されていたソ連人民の成果である。それに対してスターリン指導部は、この勝利をよりいっそう困難で過酷なものにするためにあらゆることを行なった。そもそも1930年代に社会ファシズム論を振り回してドイツ・ファシズムの勝利を容易にしてやったことは、コミンテルンを支配していたスターリンの最大の犯罪の一つである。その後も、ファシズムによる侵略が目の前に迫っていた時期に最もすぐれた赤軍指導者たちと最もすぐれた党幹部たちを粛清したこと、その官僚主義的・全体主義的支配によって労働者人民の士気と戦闘性を破壊したこと、その冒険主義的な農業集団化によって農民の衰退と離反を生んだこと、その露骨なロシア大国主義的政策によってソ連を構成する少数民族を離反させたこと、世界大戦直前に独ソ不可侵条約を突如結んでソ連の権威を徹底的に失墜させ、ドイツ・ファシズムの手を自由にしてやったこと、等々、等々。
ソ連はスターリニスト指導部のおかげでドイツ・ファシズムに勝利したのではなく、ロイ・メドヴェージェフが言うように、スターリンにもかかわらず勝利したのである。それは何よりも、ロシア社会の復活と再生を可能にした10月革命と社会主義建設のおかげである。腐敗した帝政ロシアのままであったなら、ドイツ・ファシズムの前になすすべもなく敗退し、ドイツ・ファシズムはロシアの広大な土地と資源を意のままにしていたことだろう。そしてそれはユーラシア大陸の東端で日本帝国主義と合流し、東アジアにおける中国人民の反日解放闘争をいちじるしく困難にしただろう。10月革命によって鼓舞されたソ連人民の英雄的闘争がもしなかったら、第2次世界大戦ははるかに長引き、ナチスによるユダヤ人虐殺はさらに大きな規模になっていただろう。
したがって、スターリニスト指導部によるあらゆる「影」の部分をいかなる躊躇もなく断固糾弾しながらも、同時に第2次世界大戦におけるソ連とその人民の功績を完全に承認することは可能であるし、そうしなければならない。だが、綱領改定案がそのような記述を削除したのは、彼らが政権指導部と人民を区別することのできない俗流的な立場に立っているからであり、それと同時にソ連やコミンテルンの「影」の歴史からできるだけ離れようとする同党指導部の保身的立場から出ている。
ベトナムとアフガニスタン
次に第二の問題であるが、今回の綱領改定案は、すでに述べたように戦後世界におけるアメリカ帝国主義と帝国主義陣営の支配の形態についての記述を完全に削除している。そのため、戦後世界史における最も重要な事件の一つであるベトナム侵略戦争とベトナム人民の完全勝利に関する現行綱領の記述さえ完全に消え去った。ところが、驚くべきことに、綱領改定案は、他方では、ソ連によるチェコ侵略やアフガン侵略についてはしっかりと記述しているのである。
「日本共産党は、科学的社会主義を擁護する自主独立の党として、日本の平和と社会進歩の運動にたいするソ連覇権主義の干渉にたいしても、チェコスロバキアやアフガニスタンにたいするソ連の武力侵略にたいしても、断固としてたたかいぬいた」。
なるほど、たしかに日本共産党はそうした行為に明確に反対の立場を表明した。それは誇るべきものであり、当時におけるソ連の高い権威(主流派共産主義者のあいだでの)を考えれば、それは先見的で勇気のある行為であったと言える。しかしそれは「断固たたかいぬいた」というレベルのものではない。それはあくまでも批判的立場を明確にしたという水準にすぎない。もちろんそれでも当時にあっては立派なことである。しかし、戦後の国際問題において、本当の意味で「断固としてたたかいぬいた」と誇るべきものは、ソ連によるチェコ侵略やアフガン侵略に対してではなく、何よりもアメリカ帝国主義によるベトナム侵略、インドシナ侵略に対してである。
1960年代から1970年代前半まで、党の最も重要な闘争課題はまさにベトナム反戦闘争であり、ベトナム人民との連帯闘争であった。日本共産党は、国内で、あらゆる学園、職場、街頭で、広範な反戦運動を組織し、無数にデモや集会を組織し、社共共闘を実現し、米軍基地を取り囲み、戦車の前に立ちはだかるという闘争を繰り広げた。さらに、党はこの問題に関する無数の論文を発表し、ソ連と中国の激しい対立をも乗り越えるための最大の努力を尽くし、党の代表団を世界各国に派遣して、ベトナム反戦の国際統一戦線の構築のために真摯な努力をした。この闘争こそまさに「断固としてたたかいぬいた」と呼ぶにふさわしいものである。チェコ侵略に関してもアフガン侵略に関しても、デモや集会はおろか、この闘争に匹敵するようないかなる闘争も組織していない。
にもかかわらず、綱領改定案は、ベトナム侵略についてもベトナム人民の勝利についても、この最も誇るべきベトナム反戦闘争についても一言も述べずに、もっぱらソ連によるチェコ侵略とアフガン侵略の事実だけを挙げ、それと「断固としてたたかいぬいた」ことだけを誇らしく語っているのである。あたかも戦後の日本共産党は、ソ連とのみ闘ってきたかのようである! 1960年代、70年代から共産党に入党し、ベトナム反戦闘争とともに青春を送った多くの共産党員がいるはずなのに(この時期に最も多くの党員が入党し、そのほとんどが若者だった!)、綱領改定案の決定的なこの変化について何も語らないというのは、いったいどういうことだろうか? 彼らは忘れてしまったのか? いったいあの闘争は何だったのか?
中国「社会主義」の美化
最後に第三の問題であるが、綱領改定案は、第2次世界大戦におけるソ連の果たした役割やアメリカのベトナム侵略を打ち破ったベトナム人民の戦いについて一言も触れていないにもかかわらず、事実上、中国を指して、そこでの市場経済を通じた社会主義への道なるものを大げさに賛美している。
「今日、重要なことは、資本主義から離脱したいくつかの国ぐにで、政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも、『市場経済を通じて社会主義へ』という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始され、人口が13億を超える大きな地域での発展として、21世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしていることである」。
不破報告では、これは中国とベトナムを指しているとされているが、人口からして、それがほとんど中国一国を指していることは間違いない。労働者の政治的・経済的権利を破壊し、かろうじて残っていた「生産手段の社会化」さえも次々と解体し、今や世界最悪の環境破壊国家の一つになりつつある中国の市場経済化を、わざわざ綱領改定案の中で賛美するとはいったいどういうことだろうか。中国が市場化していることを疑ういかなる理由もないが、それが社会主義に進みつつあることを示す徴候は何一つない。不破哲三もそういうものを何一つ示すことはできなかった。
不破報告は、「独占資本主義=帝国主義」というドグマにもとづくのではなく、具体的な実態の分析にもとづいて帝国主義かどうかの呼称を用いるべきだと言いながら、中国が具体的な実態として、いかなる意味で社会主義に進みつつあるのかまったく明らかにしていない。
しかも、不破報告は、「資本主義からの離脱」と「社会主義をめざす」という表現を明確に区別し、「新しい改定案で、『社会主義をめざす』という言葉が使われている時は、そこで問題にしている国や過程に、社会主義にむかう方向性がはっきりしているときだと、ご理解ねがいたいと思います」とまで言っている。つまり、中国に関して「社会主義をめざす新しい探究が開始され」と言っているのは、まさに中国において「社会主義にむかう方向性がはっきりしている」との認識があるからであろう。ぜひとも、その「方向性」なるものを「はっきり」と示してもらいたいものだ。
なお、社会主義への過渡期における市場経済の問題については、綱領改定案の第5章を検討するときに突っ込んで論じる予定である。