綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(中)

30、行動綱領と民主的改革(4)――社会的・文化的・経済的諸要求

 次に、社会的・文化的・経済的その他の諸要求にかかわる行動綱領を見ていこう。
 まず最初の要求は、「党は、独占資本の活動や軍事基地などによる環境破壊と公害に反対し、自然と環境をまもる」であるが、これは綱領改定案では、「経済活動や軍事基地などによる環境破壊と公害に反対し、自然と環境を保護する規制措置を強化する」という表現になっている。ほとんど同じだが、目につく違いは「独占資本の活動」が「経済活動」になっていることだろう。たしかに自然環境の破壊を生み出すのは何も「独占資本の活動」ばかりではないのだから、このような表現変更は妥当のように思えるが、おそらくこの変更理由はそういうところにあるのではなく、階級的主体としての「独占資本」というものを否定したことによるものであろう。
 次の要求は、「党は、原子力の軍事利用に反対し、自主・民主・公開の三原則の厳守、安全優先の立場での原子力開発政策の根本的転換と民主的規制を要求する」であるが、この要求はまるごと削除され、綱領改定案では次のようなきわめて漠然とした表現になっている。

「国民生活の安全の確保および国内資源の有効な活用の見地から、……安全優先のエネルギー体制と自給率の引き上げを重視し……エネルギー政策の根本的な転換をはかる」。

 行動綱領にあった多くの要求が削除されたり変更されたりしているが、そのほとんどは不破報告や「質問・意見に答える」でも説明されていない。しかし、この原発問題に関しては、「質問・意見に答える」の中でいちおう説明されている。それを見ておこう。

 「この諸項目は、当面の行動綱領ではなく、民主的改革の内容ですから、私たちは、当面的な基準ではなく、やはり改革の基本方向をしめすもの――10年、20年という物差しでその有効性を保ちうるもの、そういう気構えでつくりました。
 一例をあげます。原発の問題でもっと具体的な提起を、という発言は、多くの方からありました。すでに吉井さん(国会)からかなり詳しい解明がされましたが、私からも若干の点をのべておきます。現在、私たちは、原発の段階的撤退などの政策を提起していますが、それは、核エネルギーの平和利用の技術が、現在たいへん不完全な段階にあることを前提としての、問題点の指摘であり、政策提起であります。
 しかし、綱領で、エネルギー問題をとりあげる場合には、将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうることも考えに入れて、問題を見る必要があります。ですから、私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです。
 ですから、私たちは、エネルギー政策の記述では、現在の技術の水準を前提にして、あれこれの具体策をここに書き込むのではなく、原案の、安全優先の体制の確立を強調した表現が適切だと考えています」。

 いったいこれが、現行綱領にあった原発問題に関する要求を削除する理由になるだろうか。まず第一に、現行綱領が、「将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうる」ことを否定するような表現になっているだろうか。まったくなっていない。わが党は、ラディカルなエコロジストとは違って、原発そのものに反対するという立場をとらず、その軍事利用の反対、「自主・民主・公開の三原則の厳守」、「民主的規制」という立場に立っていた。とはいえ、各地での原発反対運動の盛り上がりの中で、わが党はいわばその流れに追随する形で、しだいに原発そのものに厳しい姿勢をとるようになっていった。こうした流れが第17回党大会(1985年)での綱領改定にも反映し、現行綱領にあるような項目が入れられたのである。しかし、原発そのものに反対という立場ではなかったので、現行綱領もその範囲での表現になっている。不破が言うような「原発からの段階的撤退」というような文言さえ書かれていない。将来の技術的発展がどうであろうと、現行綱領に書かれている程度の要求は最低限のものであろう。
 それとも、不破は、将来の技術的発展によって、軍事利用してもかまわないような核エネルギーが開発されるとでもいうのだろうか、あるいは、「自主・民主・公開」の原則さえも不必要になるような絶対安全の技術が可能になるとでも思っているのか。不破がここで言っているような理由でもって、この最低限の要求でさえ削除することは絶対にできないはずである。
 第二に、不破は「10年、20年という物差しでその有効性を保ちうるもの、そういう気構えでつくりました」というが、そもそも「10年、20年」というごく短い単位で、原発の安全性が最終的に保障されたり、使用済み核燃料の完全な処理が可能になるとでも思っているのか。おそらくそのような技術は永遠に開発されないだろう。また、もしそのような奇跡が起こったとしても、すでに述べたように、現行綱領に書いている程度の原発政策が不必要になることはないのである。
 第三に、エネルギー政策に関する今回の改定案が単に、将来の技術的発展を考慮したものではない、という点に注目する必要がある。そのような理由が妥当しないことはすでに述べた。このエネルギー政策について綱領改定案で「国内資源の有効な活用の見地から」とか、エネルギーの「自給率の引き上げ」について言われていることは重要である。これは、要するに、政府や電力会社が力説している、日本は資源小国だから原発が必要、という論理を、ぼかした形で言っているのである。つまり、今回の綱領改定案における原発政策の消失は、将来の技術的発展を口実にして、事実上、原発のいっそうの開発および建設を容認する立場に転換する可能性を示唆しているのである。
 ヨーロッパ諸国では、社会民主主義政党でさえ脱原発の方向をしだいに強く打ち出すにいたっている。ところが、わが党は、脱原発の方向にしだいに接近してきたこれまでの政策的発展方向をひっくり返して、原発の積極的な容認へと足を踏み出そうとしているのである。この転換の理由は明白であろう。近い将来、政権入りしたときに、原発からの段階的撤退という困難な課題を公約に掲げるのではなく、「安全優先のエネルギー体制と自給率の引き上げ」というきわめて曖昧な表現にとどめておくほうが無難であると判断したのである。
 次の要求は、「党は、災害・事故の絶滅のために努力し、その根源となっている軍事優先、独占資本本位、人命軽視の政治の転換をめざす。とくに多くの人命が一挙に失われる航空事故など大量交通機関の事故をふせぐため、関係企業の安全無視の利潤追求体質にきびしい規制をもとめる」であるが、これも綱領改定案では完全に削除されており、その説明もない。本来ならば、この要求に加えて、「脱クルマ」の方向性をも打ち出すべきであったのに、災害・事故に関する要求そのものがなくなった。
 次の要求は、「党は、日本文化の意義ある民族的伝統をうけつぎひろめ、教育、科学、技術、芸術、スポーツなどの民主主義的発展と向上のために、また思想と表現の自由のためにたたかう」であるが、これは綱領改定案では「文化各分野の積極的な伝統を受けつぎ、科学、技術、文化、芸術、スポーツなどの多面的な発展をはかる。学問と文化・研究活動の自由をまもる」となっている。この面では基本的な変更はないと言えるだろう。
 次の要求は、「党は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の利益を優先させる財政経済政策に反対し、経済の自主的平和的発展のためにたたかう」であるが、これは綱領改定案では「国の予算で、むだな大型公共事業をはじめ、大企業・大銀行本位の支出や軍事費を優先させている現状をあらため」に改変され、「自主的発展」に関しては、「国の独立・安全保障 ・外交の分野で」の項目で、「経済面でも、アメリカによる不当な介入を許さず、金融・為替・貿易を含むあらゆる分野で自主性を確立する」として綱領改定案に入っている。
 まず変更の第一は、現行綱領にある「アメリカ帝国主義と日本独占資本の利益」という表現がなくなっていることである。これはもちろん、「アメリカ帝国主義と日本独占資本」を階級的主体としてみなさないという全体的な姿勢にもとづいている。「むだな大型公共事業」という表現が入ったのは、この間の政策的主張を取り入れたものであろう。それにしても、10年、20年という時間的単位を理由に原発に関する要求を削っておきながら、「むだな大型公共事業」というここ最近の問題がわざわざ綱領に入れられているのは解せない。しかも、これから新自由主義の時代がより本格的に到来しようとしているだけに、なおさらである。
 次の要求は「アメリカ帝国主義による貿易の制限を打破し、日本独占資本の帝国主義的対外進出に反対し、すべての国との平等・互恵の貿易を促進する」であるが、これは綱領改定案ではすべて削除されている。この項目は、二つの異なった要求がいっしょになっている。一つは、「アメリカ帝国主義による貿易の制限を打破し、すべての国との平等・互恵の貿易を促進する」という部分であり、もう一つは、「日本独占資本の帝国主義的対外進出に反対し」という部分である。後者は、本稿の「上」で述べたように、第17回大会で挿入されたものである。
 まず第一の部分について論じる。この項目はもともと、ソ連・東欧の「社会主義」諸国がまだ存続し、中国が反米であった時代に、アメリカなどがココムなどを通じて、これらの「共産圏」に対する貿易を制限していたことに由来している。党は、当然のことながら、これらの「社会主義」諸国(労働者国家)に対する貿易制限に反対した。ところが、今では、ソ連・東欧は崩壊し、中国はすっかり親米・開放改革路線に転換したので、これらの項目は時代遅れになってしまった。したがって、この項目が削除されたことは当然であろう。
 しかし、第二の項目が綱領改定案で削除されたのは重大な後退である。この問題はすでに本稿の「上」で十分に述べたので、ここでは繰り返さない。
 次の要求は、「日本経済にたいするアメリカ資本の支配や特権を排除するためにたたかう」であるが、これも綱領改定案では削除されている。この項目は、第20回党大会での綱領改定以前には、より戦闘的な内容をもっていた。それはこうなっていた。

 「日本経済にたいするアメリカ資本の支配を排除するためにたたかい、アメリカ資本がにぎっている企業にたいする人民的統制と国有化を要求する」。

 これが第20回党での改定で、現在の文書に改められた。そして、今回の綱領改定案ではついに、完全に削除されるに至ったのである。安保条約さえ廃棄すれば日本の独立は達成されるというのが不破の基本的立場であり、それがここにも反映している。
 次の要求は、「納税者憲章の制定、大企業への特権的優遇をやめさせて、勤労者の負担を軽くする税制の民主的改革、軍事費を徹底して削減し国民の福祉にあてることを要求する」であるが、これは、綱領改定案では「軍事費を優先させている現状をあらため、国民のくらしと社会保障に重点をおいた財政・経済の運営をめざす。大企業・大資産家優遇の税制をあらため、負担能力に応じた負担という原則にたった税制と社会保障制度の確立をめざす」という表現になっている。ほぼ同じだが「軍事費を徹底して削減し」という表現がなくなっている。たしかに、綱領改定案にも別の箇所に「軍縮の措置をとる」や「軍事費を優先させている現状をあらため」という表現があるが、綱領改定案の表現の方がより弱いものになっている。同じく、「納税憲章の制定」という表現が消えているが、その理由は不明である。
 最後の要求は、「国民の利益をまもる立場から、金融機関をふくめ独占資本にたいする民主的規制を要求する」である。これは、前述したように、1994年の第20回党大会で改定される以前は、もっとラディカルで社会主義的な要求であった。

 「国有企業、国有・公有林野の管理の民主化のためにたたかう。独占資本にたいする人民的統制をつうじて、独占資本の金融機関と重要産業の独占企業の国有化への移行をめざし、必要と条件におうじて一定の独占企業の国有化とその民主的管理を提起してたたかう」。

 かつては単なる「民主的規制」ではなく、人民的統制、国有化、民主的管理という三つの手段の組み合わせによって、独占資本の支配の打破を目指すという立場であった。これこそ独占資本の支配の「打破」という言葉にふさわしいものである。ところが、「資本主義の枠」を絶対化し、民主主義革命と社会主義革命を完全に切り離すことを最も重要な指針としている不破哲三は、1994年の第20回党大会で「民主的規制」一本に矮小化したのである(この問題は、後でより詳しく論じる)。
 さて、現行綱領のこの部分は、不破指導部の現在の立場と矛盾しないので、綱領改定案ではより具体的なものになっている。

 「大企業にたいする民主的規制を主な手段として、その横暴な経済支配をおさえる。民主的規制を通じて、労働者や消費者、中小企業と地域経済、環境にたいする社会的責任を大企業に果たさせ、国民の生活と権利を守るルールづくりを促進するとともに、つりあいのとれた経済の発展をはかる」。

 「独占資本の支配の打破」と言いつつ、ここで言われているのは単に「その横暴な経済支配をおさえる」ことだけである。「打破」と「おさえる」とではまったく意味が異なる。この部分は結局、不破流の「民主主義革命」が何ら独占資本の支配の打破を目指すものではないこと(したがって何ら「革命」ではないこと)、独占資本の「横暴な経済支配」を「おさえる」だけにすぎないものであることをはっきりと示している。
 以上で、現行綱領の行動綱領部分に即して逐一的に、綱領改定案でどの要求が残り、どの要求が改変ないし削除されたのかを検討した。

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