綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(中)

33、民主連合政府の位置づけ

 今回の綱領改定案の目玉の一つは、現行綱領にある政府問題を根本的に改変(「発展的な整理」!)したことである。現行綱領においては、民主連合政府はあくまでも、民族民主統一戦線政府にいたるまでの、さしあたって一致できる目標の範囲での政府にすぎなかった。そして、民族民主統一戦線政府それ自体もまだ「革命の政府」ではなく、民族民主統一戦線と共産党の巨大な発展と前進によって、支配階級の抵抗と反抗を打ち砕き、旧来の軍事的・官僚的国家機構を粉砕し、人民の確固たる民主主義権力を確立したときにはじめて、民族民主統一戦線政府は革命の政府になるのである。この区別は、マルクス主義の国家論・権力論の根本思想にもとづいており、61年綱領の革命的核心を構成するものであった。
 しかし、不破が言うところの「発展的な整理」によって、こうした厳密かつ原則的な区別があっさり一掃されて、民主連合政府こそが民主主義革命を実行する政府であり、革命の政府であるとされるにいたった。不破の説明を聞いてみよう。

 「これまでの綱領では、『民主連合政府』というのは、革命にすすんでゆく過程の中間段階の政府であって、民主主義革命の任務を遂行する政府は、『民族民主統一戦線の政府』であり、この政府が、権力をにぎって『革命の政府』に成長・発展するのだ、と説明されていました。今回の綱領改定案では、この区別をなくして、民主連合政府こそが、日本社会が必要とする民主的改革を実行する政府であり、この政府が実行する民主的改革が、民主主義革命の内容をなすものだというように、問題の発展的な整理をおこないました。
 だいたい、『民主連合政府』と『民族民主統一戦線の政府』との区別というのは、いまの綱領路線を最初に採択した1961年の第8回党大会での確認をもとにするものです。わが党は、その前の年、1960年にたたかわれた安保改定反対闘争のなかで、はじめて『民主連合政府』のスローガンをかかげたのですが、その内容は、『安保条約反対の民主連合政府』というものでした。安保改定反対闘争の推進力となったのは、日米安保条約反対の一点で結集した統一戦線でしたから、その統一戦線に対応する政府ということで、この旗がかかげられたのです。第8回党大会では、当然、こういう性格の民主連合政府を前提にしていたわけで、日米安保条約反対だけを統一の基礎とするこの政府と、各分野にわたって革命の任務を実行する『革命の政府』との違いは、この時点では明白でした。
 しかし、その後の10年間に、民主連合政府の内容は、一歩一歩と発展をとげ、1971年には、革新三目標という、政治のほとんど全領域での改革を目標とする政府のスローガンとして、位置づけられるようになりました。
 詳しいことは、あとで説明しますが、民主連合政府が、こうして政策的な任務を拡大してくる、安保の問題だけでなく、経済の改革も問題にする、教育の改革もやる、等々となってくる。こうなりますと、いったい、この政府と『革命の政府』あるいは『民族民主統一戦線の政府』との違いはどこにあるのか、といった疑問が、当然起こってきます。
 今回の綱領改定案では、この点に抜本的な検討をくわえ、はじめにのべたように、民主連合政府を、民主主義革命の段階で日本社会が必要とする民主的な改革を実行する政府と位置づけ、その立場から、政府や統一戦線をめぐる綱領上の規定を大きく整理するようにしたのです」。

 つまり、不破の言うところでは、「民主連合政府の内容が一歩一歩と発展をとげ」「政策的な任務を拡大」したがゆえに、民主連合政府と民族民主統一戦線政府や革命の政府との区別がなくなってきた、というのである。
 まず第一に、この主張を真に受けたとしても、それはせいぜいのところ、「民主連合政府」と「民族民主統一戦線政府」との区別をなくす根拠にしかならないはずであり、単なる政権の獲得と国家権力の真の掌握との区別にもとづいた「民族民主統一戦線政府」と「革命の政府」との区別をなくす根拠にはなりえないはずである。この問題は、不破指導部が、事実上、マルクス主義の国家論・権力論を放棄し(したがって当然、「敵の出方」論を放棄し)、政権の獲得=権力の獲得とみなしていることを示唆している。
 第二に、政府の区分をなくした理由として、「民主連合政府」の内容が拡大したことだけを不破は挙げているが、実際にはもっと決定的な理由がある。それは、民族民主統一戦線政府の成し遂げるべき課題が一歩一歩切り下げられ、縮小されていったという事情である。すでに『さざ波通信』の投稿欄などでも指摘されていることであるが、第12回党大会における民主連合政府綱領提案報告において、上田耕一郎は次のように述べている。

 「安保条約廃棄と平和・中立化は、サンフランシスコ体制そのものの打破と等しくありません。というのは、サンフランシスコ体制とは、綱領が指摘しているように、『アメリカ帝国主義と日本独占資本の合作』によるものでありますが、米軍はよぎなく日本から撤退しても、アメリカ帝国主義に従属的に同盟している日本独占資本の政治的、経済的支配は、一定の民主的規制をうけながらも、まだ根本的には打破されておらず、対米従属の自衛隊の存在もふくめて、さまざまな従属関係もまだ一掃されていないからです」(『前衛臨時増刊号 日本共産党第12回大会特集』、173頁)。

 このように、単なる日米安保条約廃棄措置と真の独立達成の課題とは明確に区別されていた。そしてここではっきりと述べられているように、日本独占資本にたいする「民主的規制」は「日本独占資本の政治的、経済的支配」の「根本的打破」と明確に区別されていた。それもそのはずである。当時の党綱領においては、すでに紹介したように、「独占資本にたいする人民的統制をつうじて、独占資本の金融機関と重要産業の独占企業の国有化への移行をめざし、必要と条件におうじて一定の独占企業の国有化とその民主的管理を提起してたたかう」としていたからである。ところがこれらの革命的要求は、宮本不在の最初の大会である1994年の第20回党大会で「国民の利益をまもる立場から、金融機関をふくめ独占資本にたいする民主的規制を要求する」に根本的に変更された。こうして、民族民主統一戦線政府が実行するべき最も重大な革命的課題の一つが民主連合政府水準の「民主的規制」に切り下げられたのである。
 この「切り下げ」はそれにとどまらない。今回の綱領改定案では、現行綱領になお残っている民族民主統一戦線政府のなすべき多くの革命的課題が削除されている。「サンフランシスコ体制の打破」「サンフランシスコ条約の反動的条項の廃棄」がそうだし、君主制の廃止、軍隊と弾圧機関の廃止、弾圧立法の廃止、等々もそうである。これらすべてが削除された結果、民族民主統一戦線政府が独自になすべき革命的課題はまったくなくなってしまった。こうして、実現すべき政策や課題の面から見て、民主連合政府と民族民主統一戦線政府を区別する根拠がなくなったのである。
 これは、民主連合政府の中身が充実して発展したからというよりも、革命の政府に発展すべき民族民主統一戦線政府が単なる改良主義の政府に成り下がったからにすぎない。そして、このことによって、事実上、綱領改定案は、「民主主義革命」論をも放棄するに至ったのである。「民主主義革命」という言葉は残っているが、それが実施する政策内容は、かつて人民の権力確立には至らない中間的・過渡的政府とされた「民主連合政府」の水準に後退している。不破は綱領改定案の最重要の意義を「民主主義革命論を本格的に仕上げた」ことに求めているが、実際には、今回の綱領改定案こそ、1961年の第8回党大会で確立された民主主義革命の路線を最終的に清算するものなのである。「政府問題の発展的整理」とは、このことを回りくどくカムフラージュされた形で表現するものでしかない。

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