綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(下)

44、国家の死滅(2)――国際関係と党内体制

  一国共産主義?
 さらに、この国家の死滅に関して、不破は、「質問・意見に答える」の中で次のように説明している。

 「社会主義・共産主義の社会でも、社会を維持してゆくためには、一定のルールが必要であり、最初の段階では、このルールを維持するために、国家という強制力が必要になります。国際関係を別とすれば、共同社会が成熟して、強制力をもった国家の後ろだてがなくても、社会的ルールがまもられるような社会に発展する、ルールが社会に定着して、みんなの良識でそれがまもられる、そういう段階にすすめば、国家はだんだん死滅してゆくだろう、マルクスがたてたのは、こういう見通しでした」(強調引用者)。

 ここでも、国家死滅論がマルクスに着せられているというすでに指摘した誤りが見られるが、それについてはもう書かないでおこう。重要なのは、「国際関係を別にすれば」と記述されているように、国家が死滅する高度な段階でも、国際的には国家権力が存在すると想定されていることである。つまり、不破は、一国社会主義ならぬ一国共産主義を考えているということである。
 これは従来の立場から見ても、重大な後退である。不破はすでに紹介した1989年のインタビューの中で、国家の死滅する共産主義段階は一国だけで成立すると考えることができるかどうかについて、次のように述べている。

 「 不破 将来の見通しというのは、なかなかむずかしい問題ですが、実際問題として、世界の一部分ではまだ帝国主義・独占資本主義の体制が存在しているときに、他の部分では国家権力も過去のものとなった共産主義的な共同社会が実現しているということや、別の大陸で何億という人びとが飢餓に苦しんでいる一方で、この大陸では『必要におうじて生産物をうけとれる』豊かさが保障されるということは、考えにくいことです。やはり、この段階は、社会主義の勝利が世界的規模で展開することをつうじて準備され、その実現に接近してゆくとみるべきでしょう。その接近と実現の過程はまた、マルクスのいう『私人の関係を規制すべき道徳と正義の単純な法則を諸国民の交際の至高の準則として確立する』国際社会(『国際労働者協会創立宣言』1864年)が現実のものとなる過程でもあるのです」(『日本共産党国際問題重要論文集』第21巻上、60頁)。

 このように、この時の不破は少なくとも共産主義の高い段階に進むためには、その前提として社会主義が世界的に成立していることを挙げていた。ところが、「共産主義の二段階」説を放棄することによって、この点でも原則的立場が曖昧になり、もっぱら視野が国内に限定され、あたかも、一国だけで「共同社会が成熟して、……国家はだんだん死滅してゆく」ことができるかのような議論が展開されているのである。

  国家死滅と党内体制
 さらに不破は、「質問・意見に答える」の中で、上で引用した部分に続いて、次のように述べている。

 「いったいそんな社会が可能だろうか。私は、その一つの実例として、日本共産党という“社会”をあげてみたい、と思います。これは、40万人からなる小さい規模ですが、ともかく一つの“社会”を構成しています。そして、規約という形で、この“社会”のルールを決めています。そこには、指導機関とか規律委員会などの組織はありますが、国家にあたるもの、物理的な強制力をもった権力はいっさいありません。この“社会”でルールがまもられているのは、この“社会”の構成員が、自主的な規律を自覚的な形で身につけているからです。ルール違反があれば、処分をうけますが、その処分も、強制力で押しつけるものではありません。
 強制力をぬきにして、ルールが自治的なやり方で、まもられているのです」。

 よりにもよって、きわめて民主主義から遠いわが党の機構を国家死滅後の社会のモデルとして持ち出すとは! たしかに、わが党には、ゲ・ペ・ウのような特殊な暴力・弾圧機構は存在しないが、党防衛のための特殊な部署は存在するし、何よりも、規律違反容疑者に対する暴力的弾圧行為もこれまでしばしばなされてきた。典型的なのは、1970年代における新日和見主義「分派」に対する監禁査問事件であろう。分派の首謀者と勝手に判断した人物を13日間にもわたって監禁し、過酷な取調べをしたことは、日本の国家権力の場合でさえ問題になるような行為である。そのようにして中央指導部の権力を維持してきたわが党の指導部が、国家死滅後の社会のモデルとして、自分の党を提示するのだから驚きである。
 もし国家死滅後の社会のモデルが現在のわが党だとしたら、ほとんどの人々はそんな社会はごめんだと思うだろう。3年に1度の党大会直前以外は自らの異論を公式に発表する権利さえなく(言論出版の自由の剥奪)、分派をつくる権利もなく(結社の自由の剥奪)、選挙制度は党内多数派が全議席を独占できる仕組みになっており(事実上の任命制)、基本路線や政策や綱領・規約が大幅に変えられても常に全会一致で(全体主義)、その指導者はいかなる場合でも責任をとらないだけでなく、規律違反を犯してもけっして処罰されることはなく、その個々の発言がただちに党全体の決定のように扱われる(独裁者原理)。つまり、わが党の構造は、国家なき社会よりもはるかに専制国家に近いのである。
 不破は、国家の死滅に関する駄弁を弄する暇があったら、わが党の機構とルールをせめてブルジョア民主主義国家なみの民主主義水準にもっていく具体的な措置をとるべきであろう。

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