以上見たように、綱領改定案は、この間、不破指導部が追求してきた党の変質をかなりの程度仕上げるものとなっていることが分かる。労働者階級の党から国民の党へ、10月革命に起源を持つ党から純日本の党へ、国際主義の党から民族主義の党へ、大衆闘争の党から議会主義の党へ、社会主義の党から民主的改革の党へ、ラディカルな民主主義の党からヨーロッパ型社会民主主義を目標とする党へ、ルールそのものの政治的・物質的根源を問う党からルールを物神崇拝する党へ、……。
こうした変化はもちろん、不破指導部になってから突然生じたものではない。それは、長い時間を費やして少しずつ進行した過程であるが、しかし、不破指導部になってから、その過程は一挙に加速し、いくつかのタブーや限界線が大胆に踏み越えられることになった。このような根本的な転換にもかかわらず、党内でほとんどまともな抵抗が起こらなかったこと、とりわけ党上層部ではあいかわらず完全な全会一致が維持されたことは、この問題の深刻さを示している。
これはもちろん、日本共産党だけの問題ではない。もし、日本共産党の左側に現実的なオルタナティヴとなりうるような左翼党派が存在していたとしたら、日本共産党のここまでの順調な(?)右傾化は成り立たなかっただろう。60年代後半から70年代初頭にあれほどまでに隆盛を極めた新左翼は、結局、大衆的な勢力となることができないまま、70年代後半から急速に衰退していった。とりわけ、中核派や革マル派などの最も中心的な新左翼党派が、日本共産党以上のスターリニズムを体質化させ、ついに陰惨な内ゲバ合戦に行きつき、日本の本格的な帝国主義化以前に日本における新左翼運動の事実上の歴史的終焉をもたらした。
だが、これらの主要な新左翼党派の愚行は彼ら自身の崩壊と完全な腐敗をもたらしただけでなく、日本における急進的左翼運動の大衆的基盤を徹底的に破壊することで、日本の国民意識の右傾化を加速させ、1990年代以降の軍事大国化と新自由主義改革の暴風雨にもかかわらず、ヨーロッパに見られるような、労働者と市民運動に大衆的基盤を持った急進左派が政治的に一定有力なオルタナティヴとして登場するという事態をほとんど不可能にしている。
他方、社会民主主義政党も日本では十分に成長することができず、いくつかの点ではヨーロッパの社会民主主義政党よりもはるかに左翼的であった社会党は、1980年の社公合意以降に急速に右傾化し、1989年の土井社会党の大躍進に浮かれて、その右傾化を一挙に加速させ、細川内閣での入閣と村山自社政権によって完全に革新政党としては解体してしまった。社会民主党は長い間にわたって野党第一党としての地位を誇示してきたにもかかわらず、今では共産党よりも議席の少ない政党に成り果て、北朝鮮問題における失態によってさらなる後退の危機にさらされている。
こうして、日本共産党に対する左翼的オルタナティヴが、戦闘的左派としても社会民主主義勢力としても存在しないという、歴史上きわめて例外的な状況が生まれている。社会党の右派と自民党からの脱落分子が合体してできた最大野党の民主党は、この間、最右派の小沢自由党と合体することで、ますます新保守化した。主たる与党と主たる野党との対立は、自由民主党か「民主自由党」(新民主党)かというまったく不毛な選択肢になっている。どちらも新自由主義と軍事大国化の規定路線に関して基本的な差は存在しない。そのため、現在のような情勢になっても、今度の総選挙では、ごく一部の革新系無所属候補者を除いては、共産党以外に事実上選択肢がないという事態になっている。共産党は、こうした状況ゆえに安心して舵を右に切ることができるのである。
だが、共産党指導部自身も陰に陽に協力してつくり出された国民意識の右傾化は、共産党自身にも手痛い打撃を与えるだろう。党指導部は、今回の綱領改定案の発表によって、保守世論の歓心を買おうとしているが、しょせん保守派にとっては、この程度の右傾化はまったく考慮に値しない。もちろん、慧眼な保守派は、共産党指導部の意図するところを正確に読み取っているだろうが、大部分の保守派にとって、この程度の右傾化は、80年代の社会党と同じく、まったく不十分で中途半端なものにすぎない。社会党は、革新離れをした世論を追いかけて右傾化したが、社会党の右傾化はいっそう世論を右傾化させるので、いつまでたっても右傾化する世論に追いつかないのである。こうして、右傾化につぐ右傾化、基本政策の見直しにつぐ見直しという悪循環の過程をたどることになった。
共産党もまったく同じ危険性に直面している。天皇制や自衛隊を容認している世論に迎合するために、天皇制や自衛隊の長期存続容認路線をとったが、それによって、天皇制や自衛隊に対する国民世論の意識はいっそう保守化、右傾化しないわけにはいかない。共産党でさえ事実上認めるにいたったのだから、どうしてわれわれがそれを疑問視する必要があるだろうか、と一般国民は思うだろう。
今回の総選挙で共産党は相当に打撃をこうむるだろう。問題はそれが、共産党の路線にどのような影響を与えるかである。不破指導部が深刻な反省をして、これまでの右傾化路線をきっぱりと退け、革新の大道に立ち戻ることを期待することができるだろうか? まったくありえない。共産党指導部はかつての社会党と同じく、自分たちの「変身」の不徹底さを自覚し、左右への一時的なブレや揺れをともないながらも、全体的な方向性としてはますます既存体制と国民意識への順応の路線をたどるだろう。
もちろん、この方向性に未来はない。それは社会党の運命が如実に語っている。ただ、社会党と共産党とのあいだにはいくつかの決定的な違いがある。
まず第一に、社会党は右傾化しさえすれば政権参加を許してもらえる存在であったが、共産党はそうではない。共産党は、その指導部の主観的思惑がどうであれ、日米支配層によって許容されうる存在ではない。それはどこまでも、レーニンやロシア革命の影を断ち切れない存在である。それゆえ、村山社会党のときのような劇的な転落と解体の過程を共産党はおそらくたどらないだろう。
第二に、社会党と異なって、共産党は、40万人もの党員、中央および地方の党専従、民主団体専従・会員、巨大な党機構、何百万もの機関紙発行部数、豊富な資金、4000人以上の地方議員、民主経営に勤める膨大な職員・幹部という、網の目に張りめぐらされた強固な組織的基盤を有している(社会党はわずか5万の党員しか有していなかった)。それゆえ、社会党のように選挙で劇的に落ち込むという過程をたどらないだろう。
第三に、共産党は、社会党よりもはるかに強固な党規律の縛りと党員の強い忠誠心を有している。社会党では分派の存在が容認されており、それは一方ではより自覚的な右派による右傾化圧力として作用したが、他方では、左派も自己を持続的に組織することができた。だが共産党は分派を厳格に禁止し、全会一致を何十年も体質化させている。
以上のことから、共産党の衰退は、社会党よりもはるかに長期にわたってぐずぐずとした性格を帯び、しだいにその組織的・財政的基盤を掘り崩しながら、波型の下降線をたどるだろう。社会党のような劇的な解体もなければ、党の華々しい分裂劇も生じないだろう。それは、新社会党ほどの規模の左派政党さえ生まないだろう。少しずつ、少しずつ、戦闘的で活発な党員、左翼的な党員が剥がれ落ちていくようにいなくなり、他方で、青年党員の割合の持続的低下と党内構成の高齢化が進むだろう。今はまだ現役世代であるいわゆる団塊世代が定年退職の年齢を迎える2010年以降に、党の財政基盤が劇的に下がるだろう。もちろん、しばらくは、定年退職した団塊世代がその自由時間を生かしてそれなりに活動を担うだろうから、見た目にはあまり大きな変化は生じないかもしれない。しかし、新しい若い世代の中の戦闘的部分を絶対に獲得できない現在のわが党の体質と路線は、衰弱への道を確実にたどることになるだろう。
もちろん、その場合でも、最終的に完全に消えてなくなるというわかりやすい結末になるとはかぎらない。完全に社会主義や共産主義と縁を切って、単なる平和主義・改良主義の党になったとしても、この徹底的に保守化した日本では相対的に進歩的であるし(ちょうど今の社会民主党がそうであるように)、保守与党と保守野党の行動を批判し抑制する革新系の野党としてなら十分、存在価値があるからである。だが、共産主義政党ないしマルクス主義政党としてはしだいに衰退する運命にある。
この過程をただ傍観して、わが党をその客観的運命に任せるのか、それとも、その過程に主体的に介入し、党の運命を転換するために持続的な努力をするのか、これが現在、すべての党員に問われている問題である。課題はあまりにも困難であるし、党内世論の転換は、党の危機が相当程度に進まないかぎり起こらないだろう。あるいは、そうした危機的段階にいたっても有力な転換の動きが党内で起こらず、そのまま衰滅する可能性もありうる。だが、たとえそうだとしても、転換の努力をやめてしまうことは許されない。
どんな悲観論ないし楽観論に立っていようとも、この転換の努力をやらない党員は、たとえ頭の中では党指導部の路線に反対であったとしても、基本的に不破指導部の路線に追随し、それを容認したという歴史的審判が下されるだろう。