次に不破報告は、今回の綱領改定の基本的特質について展開し、いつもの不破調でご都合主義的な61年綱領解釈と、今回の綱領改定案の自画自賛的な説明を行なっている。しかし、この問題についてはすでに、綱領改定案を批判したわれわれの過去の論文で詳しく取り扱っているので、ここでは繰り返さない。
続いて不破報告は綱領改定案の本文に入り、まず戦前の章から議論を始めている。その中で不破は、なぜ綱領が戦前から話を始めているのかについて次のように説明している。
「戦前の歴史は、日本共産党の活動にとって原点ともいうべきものであります。それは世界の資本主義諸国のなかでも、もっとも野蛮な抑圧のもとにあった戦前の日本社会で、いかなる搾取も抑圧もない未来社会の建設をめざし、天皇制国家の専制支配と侵略戦争に反対して、平和と民主主義のために勇敢にたたかいぬいた不屈の記録であります。……
いかなる苦難の情勢に直面しても、『国民が主人公』の信条をつらぬき、平和と民主主義の日本、そして人間解放の未来社会をめざす党の旗を掲げつづけた先輩たちの精神は、今日の新しい情勢のもとでもかたく受けつがれなければならないものであります。
そこに、党綱領が、まず党創立以後二十余年にわたる戦前のたたかいについてのべている第一の意味があります。」
たしかに戦前のわが党の闘いは誇るべきものであり、日本共産党員のみならず、すべての日本国民が誇ってしかるべきものであろう。ヨーロッパでは、共産党員を含む戦中のレジスタンスの英雄たちの名前が建物や公園や通りなどに付けられていたりする。戦前の反動的支配層の一部がそのまま戦後も支配層として生き残った日本だからこそ、戦前の日本共産党の反侵略戦争・反天皇制の闘いは国民的財産とされずに今日に至っているのである。したがって、共産党の綱領がこの戦前の戦いを振り返ることから始めているのは当然のことである。
だが、今回の新綱領は、この戦前のわが党の「先輩たちの精神」を「受けつぐ」ものであろうか。新綱領は、民主主義革命の課題から天皇制廃止の要求を削除し、「アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具」としての戦後天皇制の性格規定も綱領から削除した。そしてこうした明確な後退を正当化するために、「ブルジョア君主制の一種」という規定を完全に否定するにいたった。
さらに、綱領改定案が大会で採択される以前から、不破指導下の日本共産党は、天皇家の一族の死去や出産などに際して国会で弔詞決議や賀詞決議に賛成するという恥知らずな行動をとった。これは、憲法の規定からの逸脱に反対するという基準にさえ反する裏切り的行動であり、新綱領の新たな天皇制規定の真の目的がけっして政府に憲法を遵守させることでも、そこから逸脱する種々の行動に反対することにあるのでもないことをはっきりと示している。
このように不破指導部は、その新綱領においても、その実際の行動においても、まさにわが党の「先輩たちの精神」を最も破廉恥な形で蹂躙しているのである。