第23回党大会と不破綱領の本質

3、綱領改定案の情勢規定の的確さ?

 不破報告は次に戦後の章に移り、その中でまず次のように述べている。

 「改定案は今日の日本の情勢を、アメリカの対日支配および日本の大企業・財界による国民支配という二つの面から大きく特徴づけています。
 7中総から今日まで7カ月間の情勢の動きは、綱領改定案のこの情勢規定の的確さを試す場となりました。あの激しい選挙戦をたたかうなかで、綱領改定案がたたかいの指針となったという多くの声が全国からよせられたことは、この問題での力強い回答となったと思います」。

 この文章は二つの点でまったくいいかげんなものである。
 まず第一に、「改定案は今日の日本の情勢を、アメリカの対日支配および日本の大企業・財界による国民支配という二つの面から大きく特徴づけています」と述べているが、表現の仕方が著しく俗流的かつ単純なものになったとはいえ(この点については後述)、この二つの「敵」による支配という認識(新綱領では「敵」ではないとされてしまったのだが)それ自体は61年綱領以来のものであり、別段、綱領改定案の特殊な特徴といえるものではない。また、不破自身、旧綱領のもとでもほとんど同じ言葉を用いて旧綱領の現状規定を説明していた。にもかかわらず、7中総以降の7ヶ月間で「この情勢規定の的確さ」が試されたなどと述べるのは、まったくご都合主義的な説明でしかないであろう。
 第二に、「あの激しい選挙戦」(昨年の総選挙)において共産党は惨敗を喫し、すでに述べたように1970年以降最低水準の得票数にまで激減した。常識的な頭脳の持ち主ならば、この惨敗によって綱領改定案の正しさが証明されたとはとうてい思わないだろう。普通ならば、綱領改定案が選挙戦の力にならなかったどころか、マイナスの作用を果たしたのではないかと推論するところだろう。ところが、詭弁の大家である不破哲三の手にかかれば、歴史的大惨敗に終わったあの選挙戦が綱領改定案の情勢規定の的確さを証明するものだったことになるのである。
 以上のご都合主義に加えて指摘しておかなければならないことは、共産党指導部は選挙戦の直前になってあわてて「財界戦略」を大々的に宣伝するようになったという事実である。保守二大政党制をめざすことは1990年代初頭からの財界の基本戦略であり、1993年の政変はそれに向けた最も重要な画期をなすものであった。民主党の成立も基本的にこの戦略の枠内にあるものであった。しかしその後、新進党の解体や、長引く不況、共産党の躍進などで、この二大政党制戦略は一時的に停滞することになった。しかし、1990年代末には、共産党が急速に没落しはじめ、民主党が新進党と違って思いのほか長期存続し、新進党に代わる地位に近づきはじめたのを見て、再び財界を含む支配層は二大政党制への衝動を強めることになった

 ※注 第23回党大会決議はこの二大政党制の動きについて次のように述べている。
 「もともと財界のこの動きは、自民党の支持基盤が崩れ、自民党一党では財界の支配を維持できないという危機感から出発したものであり、支配体制の危機の産物にほかならない」。
 たしかに、農村や都市自営業者などのあいだで自民党の支持基盤が部分的に崩れてきているのは事実であるが、そのことをもって支配体制の危機について安直に云々するのは危険である。
 まず第1に、このような議論は、自民党政治と支配体制とを同一視する単純な見方である。自民党の後退それ自体は支配体制の危機に必ずしも直結しない。共産党指導部にはこのような単純な同一視傾向がきわめて強く、そのため、民主党の本質についても理解できなかったし、東京都知事選では形式的には非自民であるというだけの理由で石原慎太郎に「是々非々」という立場をとったことも、そうした単純な見方から生じている。
 第2に、そもそも1990年代初頭に最初に本格的な二大政党制の動きが起こったのは、いわゆる冷戦の終結と社会主義の権威失墜と国民意識の右傾化のもとで、自民党を二つに割っても革新政権ができる可能性が著しく減少したことが一つの大きな背景になっている。そして今回、再び二大政党制の動きが急速化したことの背景には、共産党と社会党の没落(小選挙区制がよりマイナスの働きをしたことは言うまでもない)、国民意識のさらなる右傾化によって、本格的な保守二大政党制実現の諸前提がそろってきたことがある。つまり、二大政党制の動きは支配体制の危機のせいではなく、逆にその政治的強化の産物なのである。
 第3に、自民党の伝統的支持基盤の一部は確かに崩れてきているが、その部分は必ずしも革新陣営に引きつけられておらず、脱政治化するか、民主党に引きつけられている。また、自民党は一方で伝統的支持基盤の一部を失いつつも、他方では、かつては革新の基盤であった都市の新住民層を獲得しつつある。この部分の主要な投票対象は民主党であるが、しかし部分的には自民党にも流れている。

 共産党指導部は、この二大政党制をめざす支配層の戦略(「財界の戦略」と表現することは事態を矮小化するものであろう。二大政党制を構想し、それを推進しているのは財界だけではない)に対抗して護憲と革新の第三極を形成する努力をするのではなく、民主党に擦り寄ることで、一方では民主党を野党の中心勢力に押し上げるとともに、他方では第三極の可能性をいちじるしく縮減してしまった。これは、客観的には二大政党制実現のための政治的お膳立てをすることを意味しており、さらには共産党自身がその右寄り路線のために得票を激減させることによって、現実的にも二大政党制のための道を掃き清めてしまったのである。
 民主党と自由党が合同してはじめて民主党の本質に気づいた共産党指導部は、改めて本格的に二大政党制をめざす「財界戦略」なるものにもようやく気づき、あわてて民主党批判のキャンペーンを開始した。しかし、それはすでに手遅れとなっており、共産党は惨めな惨敗を喫することになった。
 こうした事実が示しているのは、綱領改定案の情勢規定の的確さではなく、その反対に、61年綱領のときからきっちりと明記されている「アメリカ帝国主義と日本独占資本という二つの敵による支配」という「的確な情勢規定」をその時々の現実に適用する指導部の能力のなさ、である。

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