すでに『さざ波通信』の過去の諸論文の中で論じたように、綱領改定案は日本独占資本の支配という概念を否定した。このことについて、7中総では、経済的支配と政治的支配との形態の違いやその結合の仕方の特殊性を具体的に分析すべきであるというごく初歩的な真理が得々と説明されていたが、今回の報告では、選挙戦前の財界戦略の話を持ち出すことで、この新規定が大いに力を発揮したと自画自賛し、さらには次のように言って、旧綱領に対する許しがたい誹謗中傷を行なっている。
「実際、大企業・財界が、政治をふくめて『日本と国民を支配する中心勢力』だといっても、その政治への介入の形態は、いつでも同じというものではありません。よりむき出しの、より反動的な形態をとる場合もあれば、いろいろな力関係に押されて、より間接的な形態をとる場合もあり、その形態の違いが、政治闘争の焦点になる場合もあります。『政・官・財の癒着』をめぐる闘争は、そのひとつであります。
その点でも、昨年の総選挙で、私たちが『二大政党づくり』を旗印にした財界の政治介入に正面から立ち向かってたたかったことは、綱領の規定にもかかわる大きな経験となりました。新しい規定づけでこそ、大企業・財界が政治を自分の影響下におく形態の違いを問題にすることができるし、今回のように、大企業・財界が新たなやり方、新たな形態で政治介入をくわだててきたときには、その危険性を的確に告発できるのであります。すべてを『日本独占資本の支配』に解消してしまうこれまでの規定では、こうした攻撃も、同じ支配の枠内でのいわば“コップの中の嵐”といったとらえ方にならざるを得ないのであります。」
実に驚くべき言い分ではなかろうか。「日本独占資本の支配」という規定を持っているだけで、大企業・財界の特殊な戦略や政治への介入の特殊な仕方を「同じ支配の枠内でのいわば“コップの中の嵐”といったとらえ方にならざるを得ない」と言うのである! もしこのような言い分が正しいのであれば、不破の「天才的」発見を綱領に書き入れる以前のわが日本共産党は、同じ独占資本の支配下にあるさまざまな政治的支配の特殊な形態(自由民主主義国家からファシズム国家まで)をすべて「コップの中の嵐」だと認識していなければならないはずである。とすれば、戦前の天皇制国家も戦後の自由民主主義国家も、どちらも日本独占資本が支配していたのだから、その違いは「コップの中の嵐」にすぎないとわが党は認識していなければならないはずである。
さらに戦後においても、終戦直後の時期における政治的支配の形態と、革新高揚期における政治的支配の形態と、いわゆる戦後第二の反動攻勢期における政治的支配の形態との違いも「コップの中の嵐」であるとわが党は認識していたことになる。わが党はまた――われわれは賛成ではないが――「日本型ファシズム」という規定を打ち出した時期もあったが、これもまた、「コップの中の嵐」といったとらえ方の産物だというのだろうか。
これはあまりにもひどい誹謗中傷であろう。しかも、不破哲三自身が、この30年間、わが党の最高指導者の一人であったのだ。不破の言い分が正しいとすれば、彼自身が指導してきたこの30年間、わが党は「財界・大企業の新たなやり方、新たな形態で政治介入をくわだてて」きてもそれに適切に対処することができず、「コップの中の嵐」だとして軽視してきたということになるだろう。もしそれが本当だとすれば、何よりも痛切な自己批判をし、政治的責任をとらなければならないのは不破自身ではないか。にもかかわらず、まるで他人事のように「『日本独占資本の支配』に解消してしまうこれまでの規定では、こうした攻撃も、同じ支配の枠内でのいわば“コップの中の嵐”といったとらえ方にならざるを得ないのであります」などと言い放っているのである。何という卑劣な人間であることか!
彼の卑劣さはそれにとどまらない。不破が自信満々にいう財界戦略の転換に対する的確な認識とやらも、まったく遅ればせのものであったことは、すでに彼ら自身が部分的に認めざるを得なかったところである。不破は、志位委員長に自己批判させるというやり方でだが、このことを昨年の10中総で告白せざるをえなかった。財界の戦略は1年以上も前から転換していたのに(実際にはもっと以前からであるが)、そのことに総選挙直前まで気づかずにいたことを、志位はしぶしぶ告白している。日本独占資本による経済的支配と政治的支配との区別という初歩的な認識さえ身につけていなかった不破指導部は、この変化にいっさい気づかず、民主党へのラブコールを送りつづけていた。だが、不破は、おのれの無知と無能さを恥じる代わりに、61年綱領に責任をなすりつけているのである。私は悪くはない、悪いのは「日本独占資本の支配」などと書いている宮本綱領だ、というわけである。
綱領とはそもそも、基本的な支配勢力が何で、その支配の主要な形態が何であるか、その基本的な発展方向がいかなるものであるかを規定していればそれで十分である。その時々の情勢において、支配層の戦略にどのような具体的変化があり、どのような新たな内的分岐が生じ、その主流部分が何を当面めざそうとしているのかを分析するのは、党指導部の責任である。
たとえば、新綱領が言うところの「アメリカの対日支配」や「大企業・財界の国内支配」にしても、不破が言うのと同じ欠陥を持っていることになるであろう。なぜなら「アメリカの対日支配」という規定は、日本に対するアメリカの介入の仕方の特殊性や、その時々の変化について、同じアメリカの対日支配の一種として「コップの中の嵐」として片づけることになる、とも言えるからである。
また、そうした時間軸における支配層の戦略・戦術の変化だけでなく、同じ時期においても、支配層の戦略・戦術は一枚岩のものではない。左翼の中で戦略や戦術をめぐって大きな分化と対立が存在するのと同じく、日米支配層の中でもさまざまな分岐や対立が、時にはきわめて先鋭なそれが存在する。アメリカの支配層の内部でより露骨な帝国主義的介入政策を推進するネオコン派と帝国主義諸国間の国際協調をより重視する国際協調派との分化と対立が存在した。日本の支配層の中でも、よりあからさまな新自由主義化、軍事大国化を進める急進改革派と、国内の階層間協調をより重視し、より時間をかけて改革を進めるべきだする慎重派との分岐と対立が存在した※。日本共産党指導部は、このような支配層内部の分岐と対立をほとんど分析することができず、支配層の戦略を常に一枚岩的なものと見てきた。しかしそれは綱領の問題というよりも、指導部の分析能力の問題である。綱領をどう書き換えようが、そのような分析能力を持たない指導部が党の頂上に鎮座し続けるかぎり、とんちんかんな情勢認識が出てくるのは必然的であろう。
※注 北朝鮮問題をめぐってさえ、日本支配層の内部はけっして一枚岩ではなかった。そこには、できるだけ外交的解決をはかろうとする外務官僚などを中心とする勢力、経済制裁や場合によっては軍事的解決も辞さない強硬派、この両極の中間にいて、できれば外交的解決、時には経済制裁などの圧力も必要と考える主流派などの分岐が存在した。この鋭い分化ゆえに、日本の支配層は一貫しかつ統一した北朝鮮戦略をもつことができず、相手の出方を探りながら、一方では外務省中心に外交的解決を模索し、他方では周辺事態法や有事立法の策定によって軍事的備えも行なうという行動をとっていた。
共産党指導部はかつて、この問題に関して日本政府には戦争の備えしかない、アメリカでさえ平和の備えを模索しているのに、日本政府は軍事的解決しか考えていないと批判していた。しかしこのような批判がまったく一面的なものであったことは、一昨年の日朝共同宣言によって暴露された。すると、共産党指導部は今度は手のひらを返してこの平壌宣言を絶賛し、それへの無条件的支持を表明した。軍事的備えしかしていなかったはずの日本政府が平壌宣言を結んだ事実を党指導部は何ら統一的に説明することはできなかった。
平壌宣言の締結と拉致被害者5人の帰国は一時的に外交的解決派を優位に立たせたが、その後の拉致被害者家族の帰国問題や、北朝鮮側の、拉致問題は解決済みという態度への固執によって、外交的解決派が支配層の中で後退を余儀なくされ、より強硬な解決を求める露骨な右派勢力が発言力を伸ばし、それが今回の経済制裁法案の成立へと結びついた。日本共産党指導部は本来、このような支配層内部の分岐や変化をその時々において的確に分析しつつも、階級的立場に立った党としての首尾一貫した政策的立場を表明することが必要だったが、そのいずれもまったく不十分であった。