次に不破報告は、第4章の「民主主義革命と民主連合政府」のところに入って、例によって民主主義革命論の合理的仕上げとやらに関する自画自賛を繰り返し、例によってヨーロッパ左翼の反グローバリズム運動を冷笑的に批判して、社会主義的オルタナティヴの非現実性を力説している。だが、これらの論点はいずれもすでに十分に過去の『さざ波通信』で批判済みなので、ここでは省略しよう。
しかし、ここで一つだけ、旧綱領に対する不破の誹謗中傷を改めて取り上げておきたい。不破は、「この章での綱領改定の大きな眼目の一つは、従来の行動綱領を、民主的改革の基本的な内容についての規定に変えたこと」であるとして、次のように述べている。
「これまでの綱領では、民主主義革命によって実行される改革については、『真の独立と政治・経済・社会の民主主義的変革』という一般的な規定しか与えていませんでした。ここには、国民的な運動も、党自体の闘争も、まだこの改革を具体的に問題にするところまでは前進していなかったという、綱領制定当時の情勢の反映がありました。
そして、そこで掲げられた『行動綱領』は、諸階層・諸階級の当面の要求、また、社会生活の各分野での当面の要求や課題などの一覧という内容のものでした。党がこれらの要求を支持してたたかうことに変わりありませんが、綱領の本来の役割は、どういう改革を達成することによってこれらの要求にこたえるか、という問題の解明にあります。」
驚くべきことに、「これまでの綱領」では「民主主義革命によって実行される改革については、『真の独立と政治・経済・社会の民主主義的変革』という一般的な規定しか与えて」いなかったというのである。この程度の一般的規定だけしかない貧困な綱領を、何と42年間も無批判に維持し、不破を筆頭に、いかにこの党綱領がすばらしいかをさんざん宣伝してきたというわけだ。
実際には、不破が「当面する要求」にすぎないとしていわゆる「民主的改革」の具体的内容から排除している旧綱領の「行動綱領」は、民主主義革命によって行なう改革の内容をも提示したものなのである。旧綱領における「行動綱領」とは単なる当面する要求の内容を列挙したものではなく、そうした諸要求と民主主義革命の具体的政策内容とがないまぜになったものである。このことは、何よりも不破自身がはっきりと言ってきたことである。すでに過去の『さざ波通信』で引用したが、不破の嘘つきぶりを示すために、ここで改めて引用しておこう。不破は、1991年の綱領学習会で次のように述べている。
「第8回党大会の『政治報告』には、この行動綱領の解明にあてられた部分があります。それは、いまでも、私たちが行動綱領のもつ意味を正確にとらえるうえで、大事な分析です。そこで指摘されているのは、行動綱領にかかげられている諸要求は、『人民の当面の闘争要求』として切実な『日常的な要求』の性格をもっているが、そこには、(1)『その達成が人民の民主主義権力の樹立――民主主義革命によってこそ保障される基本的な要求がふくまれている』と同時に、(2)また『人民の民主主義権力の樹立以前に、当面の具体的政治的要求としても解決を要求するものがすくなくない』という点です。『報告』は、『それがどの程度解決するかは党と人民の力量、敵と味方の力関係の変化にかかることが多い』とのべて、要求の全面的な解決のために奮闘しながら、その闘争のなかでえられる部分的、改良的な措置にたいしても、情勢に即して積極的な態度をとるべきことを示しています」(不破哲三『日本共産党綱領と歴史の検証』、新日本出版社、88~89頁)。
このように、不破はわずか13年前の綱領学習会では、行動綱領には、当面する要求のみならず、民主主義革命によってこそ保障される諸要求が含まれていることを強調し、このことの理解が「行動綱領のもつ意味を正確にとらえるうえで大事な分析」だとまで言っていたのである。ところが、今では不破は、学習会参加者に力説していたこの「行動綱領のもつ意味を正確にとらえるうえで大事な分析」をすっかり忘れはて、行動綱領と民主主義革命の課題とを機械的に切り離し、旧綱領には「真の独立と政治・経済・社会の民主主義的変革」という一般的規定しかなかったと言い放つ。新綱領の正当性を言うために、どこまでも旧綱領を矮小化し、誹謗中傷することを躊躇しない。これが、スマイリング・コミュニズムの正体である。