第23回党大会と不破綱領の本質

10、天皇制と自衛隊(1)――党の態度は明確か?

 次に進もう。不破報告は、このかん最も多くの批判意見がよせられた天皇制と自衛隊の問題に入っている。まず不破は、「党の態度が曖昧だ」という批判を取り上げて、それは「誤解にもとづく」ものだと述べている。

 「まず、どちらの問題でも、党の態度は明確であります。
 天皇制については、綱領改定案は『党は、一人の個人あるいは一つの家族が「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく』と、その評価を明確にしております。また、今後についても、『国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ』という方針を明示しています。
 自衛隊については、改定案は『憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)』と明記しています。“第9条違反”という認識と、“自衛隊の解消によって第9条の完全実施にすすむ”という目標とが、ここには、はっきりと書かれているわけであります。」

 この文言は、旧綱領(報告時点ではまだ現行綱領)にどう書かれてあったかについて無視している点で、例によって例のごとくの詭弁術である。批判意見を寄せたものはみな、その時点での現行綱領と比較して「党の態度が曖昧だ」と批判しているのである。「党の態度は明確」だと言うならば、その時点での現行綱領の文言と比べてより明確になったのかどうかを明らかにしてはじめて、「党の態度は明確」と言えるのである。

 さて、その時点での現行綱領(今では旧綱領)では、天皇制について次のように述べられている。

 「現行憲法は、このような状況のもとでつくられたものであり、主権在民の立場にたった民主的平和的な条項をもつと同時に、天皇条項などの反動的なものを残している。天皇制は絶対主義的な性格を失ったが、ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた。」

 この記述では天皇制は、不破綱領におけるような「民主主義および人間の平等の原則と両立しない」といった抽象的・一般的規定ではなく、日本における支配の現状と変革の事業に密接に結びつけた形ですぐれて階級的・政治的に規定されている。天皇制が「ブルジョア君主制の一種」かどうかという例の論争は存在するが(この点については後述する)、それはおいたとしても、旧綱領の規定の方がはるかに現状変革の課題との関係が明確であり、変革の党の綱領にとって必要な形式で規定されている。
 では自衛隊についてはどうだろうか。大会報告時点での現行綱領(今では旧綱領)は自衛隊について次のように規定していた。

 「日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍隊の掌握と指揮のもとにおかれており、日本独占資本の支配の道具であるとともに、アメリカの世界戦略の一翼をになわされ、海外派兵とその拡大がたくらまれている」。

 このように自衛隊は二つの点から規定されている。すなわち、(1)アメリカ軍隊の掌握と指揮のもとに置かれている、(2)日本独占資本の支配の道具、としてである。では、新綱領はどうか。新綱領は次のようになっている。

 「日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍の掌握と指揮のもとにおかれており、アメリカの世界戦略の一翼を担わされている」。

 一見して明らかなように、「日本独占資本の支配の道具である」という規定がまるまる削除されている。自衛隊は、憲法違反ということを除けば、アメリカの従属下にあるという点だけで問題だとされているのである。これは、原理論に言えば、マルクス主義国家論の全面否定である。その国の軍隊がその国の経済的支配層とはまったく無関係であり、もっぱら外国軍との従属関係でのみ規定されうるという認識は、おそらく、マルクス主義史上初めてのことだろう。日本のような発達した資本主義国ではなくても、その国の軍隊の性格がもっぱら外国軍への従属という側面だけで規定されるようなことはない。
 この点でも不破綱領はマルクス主義から決別し、左翼民族主義に没入しているのだが、少なくともここで明らかなのは、今回の新綱領によって自衛隊に対する党の態度がより明確になったなどと言うことは絶対にできないということである。

 次に、天皇制と自衛隊の今後についての見方はどうだろうか? 旧綱領は天皇制の今後について、民主主義革命の過程を記述する中で次のように述べている。

 「この権力は、労働者、農民、勤労市民を中心とする人民の民主連合の性格をもち、世界の平和と進歩の勢力と連帯して独立と民主主義の任務をなしとげ、独占資本の政治的・経済的支配の復活を阻止し、君主制を廃止し、反動的国家機構を根本的に変革して民主共和国をつくり、名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する」。

 それに対して綱領改定案では周知のように次のようになっていた。

 「党は……国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。[しかし、これは]憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」([  ]の部分は新綱領の確定版では「天皇の制度は」に変えられた。その際、こっそり「しかし」という逆接の接続詞を削除したのは実に姑息である)。

 旧綱領では明確に「君主制を廃止し、反動的国家機構を根本的に変革して民主共和国をつくる」となっていたのが、新綱領では「民主共和制の政治体制の実現をはかるべき」という曖昧な「べき」論になり、その存廃を「情勢の成熟」と「国民の総意」にゆだね、党としての明確な獲得目標としての地位を失っている。これによって党の態度がより明確になったと言うことができるのは、骨の髄まで奴隷根性に蝕まれた者だけであろう。
 もしこのような改定で「党の態度が明確になった」と強弁できるのなら、他のすべての政策に関しても同じ言い方に変えたらどうなのか? たとえば、新綱領には安保条約に関して「日米安保条約を……廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる」という明確な記述が存在するが、これをまるまる削除して、「党は、憲法の平和主義の原則の首尾一貫した展開のためには、中立の実現をはかるべきだとの立場に立つ。しかし、この条約は国際的な条約なので、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」という記述に変えたならば、安保条約に対する党の態度は明確だ、などと言えるのか? もちろん、そんなばかげたことは誰も言わないだろう。誰しも、この規定は、安保条約廃止の課題を棚上げし、事実上、安保条約を容認したものであると言うだろう。
 自衛隊についてはどうだろうか。旧綱領は自衛隊の今後についてこう述べていた。

 「党は、自衛隊の増強と核武装、海外派兵など軍国主義の復活・強化に反対し、自衛隊の解散を要求する」。

 それに対し、新綱領は次のようになっている。

 「自衛隊については、……安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」。

 ここでの決定的な問題は二つある。一つは、自衛隊の解消の政治的前提条件として「安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえる」という前提が入れられたこと、二つ目は「憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」というように、明確に「解散させる」と言うのではなく、ただそこに「向かって前進をはかる」とだけしか書かれていないことである。これらの問題についてはすでに過去の『さざ波通信』で詳細に論じた。ここで言わなければならないことは、この記述によって党の態度がより明確になったのかどうか、である。もしそれが「より明確になった」と言えるのなら、このような立場をすでに80年代に表明していた社会党は、そのとき、革新の大義を裏切ったのではなく、むしろ自衛隊解消に対する態度をより明確にしたのだと評価しなおさなければならなくなるだろう。
 共産党の態度は何ら変わっていないと強弁したがる人々は、80年代の社会党の歴史についてどのように考えるのか明確に答えるべきである。あのとき、社会党が国際情勢の安定化を自衛隊解散の前提条件にしたことは、自衛隊解散政策からの後退だったのか、それとも自衛隊解散政策の具体化にすぎず、その政策のいっそうの明確化であり、解散に向けたいっそうの前進だったのか。もし後者だとすれば、そのときの共産党の社会党批判は事実をゆがめるまったく不当で犯罪的な誹謗であったことになるが、その点についての自己批判を党中央に迫るのかいなか? また、その後社会党が、自衛隊そのものを合憲とみなすまでに変質したことをどう説明するのか? もし、80年代の社会党の自衛隊政策が自衛隊の解散にむけた政策の具体化にすぎず、目標に向けた前進であると言えるのなら(社会党自身はそう説明していたわけだが)、どうして突然、自衛隊合憲に引っくり返ったのか? これらいっさいをいったいどう説明するのか? ぜひ以上の問いに答えてほしい。

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