さて、次に不破報告は、批判者の「誤解」を見事に粉砕したあとに、党の態度を示すだけではだめだとして次のように述べている。
「しかし、党の認識と態度を表現するだけでは、政党の綱領にはなりません。この認識にもとづいて、現状をどのようにして変革するのかの方法を明示してこそ、綱領としての責任ある方針になります。
天皇制の問題でも、自衛隊の問題でも、国民の現在の多数意見はその存在を肯定する方向にあります。その状態が変わって、国民多数が廃止あるいは解消の立場で合意しない限り、この問題での改革は実現できません。」
このように不破は、党の認識と態度を表現するだけでは無責任で、「国民の現在の多数意見はその存在を肯定する方向」にあるので、現状をどのように変革するのかの方法を明示しなければならないと言う。さてさて、「国民の現在の多数意見はその存在を肯定する方向(?)」にあるのは何も、自衛隊と天皇制に関する問題だけではない。共産党が新綱領で掲げている政策の多くもまたそうである。何よりも安保条約は国民の現在の多数意見がその存在を肯定している。そもそも、現状の変革を根本にしている共産党綱領に掲げられている政策の多くは基本的に、国民の多数意見と食い違っているものなのである。そうでなければ、あえて共産党を結成する必要もなかったろう。つまり共産党のどの政策も、基本的には現存の国民意識を変えることを前提にしている。なぜ、天皇制と自衛隊に関してのみ「国民の合意」をあえて強調しなければならないのか? 多くの批判者はまさにこの点を問題にしているのであり、大会に向けた討論報でもそうした意見が多く出された。大会報告の責任者たる不破哲三は、何よりもこの疑問に答えなければならなかったはずである。ところが、不破は、この当然の質問に正面から答えるのではなく、次のように言って、批判者を誹謗中傷する道を選んだのである。
「改定案が解決は『国民の合意』や『国民の総意』による、としていることについて、“先送り”などと批判する意見がごく一部にありましたが、こういう批判は、多数者革命に背を向け、主権在民の原則そのものを軽んじるものにほかならないということを、指摘しておきたいと思います。」
何という卑劣な攻撃の仕方であろうか。いったい批判者のうち誰が、国会で多数をとる以前に自衛隊を解散せよとか天皇制を廃止せよといった、不可能なことを主張したと言うのか? それとも、ここで不破が言う「国民の合意」や「国民の総意」とは、選挙結果のうちに示される多数意見ではなく、何か特別な多数意見のことなのだろうか? もちろん、天皇制の場合は国会の3分の2以上と国民投票による過半数という特別多数決をクリアすることなしには改変できない。その意味では特別多い多数意見が必要にはなる。そして批判者の誰もそのことを否定していない。そして、その存在そのものが憲法違反である自衛隊に関しては、このような障害はまったく存在しない。にもかかわらず、自衛隊に関してのみ「国民の合意」を言うとすれば、選挙に示された多数意見を無視してでも、自衛隊の解消にあえて手をつけないということを意味する。これこそ、不破流の「多数者革命」に「背を向け」、不破流の「主権在民の原則」そのものを「軽んじる」ものであろう。