さてこの部分の最後に、不破報告は例の君主制論争に立ち戻っている。しかしそこでは、公開討論報などで提起された諸問題に何一つ答えず、何の証明もなしに「自明」論を展開し、旧綱領の規定に固執するのは「復古主義者を喜ばすもの」だというとんでもない議論を展開している。基本的にこの大会報告全体がこのような誹謗中傷を基調としているが、中でもこの部分が最もひどい。まともに議論しようとする姿勢がまったくなく、相手の言い分を歪めて誹謗中傷するその姿は醜悪以外の何ものでもない。これが、誰よりも「民主主義」を標榜する党の最高指導者の姿勢なのである。
さて不破はこの論争問題についてまず次のように述べている。
「象徴天皇制という現制度を、『君主制』だとした現綱領の規定を改定案がやめたことについて、『君主制』の規定は残すべきだとする意見も一部にありました。しかし、7中総でのべたように、国民主権の原則が明確にされている国で、『国政に関する権能』をもたないものが『君主』ではありえないことは、憲法論のうえで明白であります。」
「憲法論のうえでは明白」、たったそれだけである! この問題における多くの憲法上の論争も無視、多くの党員の必死の議論もすべて無視。そんな面倒な議論などいっさい必要はない、というわけだ。だが、そうすると、わが党は「憲法論のうえで明白」の一言で切って捨てられるようなナンセンスな規定を40年以上も綱領の中に維持し、それを不破は何百回となく学習会や講演会や論文で礼賛し、わが党綱領の正しさを力説していたわけである。何という愚かで、ナンセンスな政党であり、何という愚かな党指導者であることか。
しかし、そうすると、戦後天皇制は、社会科学的に言っていかなる制度なのか? また、法制的に言っていかなる制度なのか? 不破はこの根本問題について沈黙する。新綱領も、戦前の天皇制が「形を変えて」(つまり本質は変わらず)戦後に生き残ったことをはっきりと認めている(「形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項」)。そして、不破が万能の斧として持ち出す「国政に関する権能をもたない」という規定は、新綱領によると戦前から続いている天皇制に対する「制限」にすぎない(「天皇は『国政に関する権能を有しない』ことなどの制限条項が明記された」)。するとどうなるのか?
戦前の天皇制が君主制の一種であったことは間違いない(ちなみに、「天皇制」という言葉そのものが、英語の monarchy を日本に翻訳するときに左翼が採用した訳語にすぎない)。つまり、この制度の本質は「君主制」であり、その特殊な形態規定が「絶対主義的な性格」である。戦後、この本質は変わらないが、その形態は根本的に変わり、「絶対主義的な性格」を失って、「国政に関する権能を持たない」という制約を加えられた。つまり、新綱領の文章を素直に解釈すると、戦前の君主制(天皇制)は形を変えて戦後に生き残り、「国政に関する権能を有しない」という制限を加えられた、ということになる。いったい、ここからどうして、天皇制が君主制の一種でさえないという解釈が生じるのか? まるでつじつまが合っていない。
君主制であった天皇制が君主制でなくなったのなら、天皇制が形を変えて存続した、などと絶対に言えないはずである。それは、「天皇」という言葉で引き続き呼ばれているまったく異なった制度になったと言わなければならない。実際、「創設規定説」のように、戦後天皇制は戦後憲法によって新たに存置されたものにすぎない、という立場も憲法学界にはあるぐらいである。
にもかかわらず、新綱領は、旧綱領の認識と整合的な記述(「天皇制の存続」という記述は旧綱領の「天皇制は……君主制の一種として温存」と呼応している)を残しつつ、「君主制の一種」という認識だけは削除した。綱領の記述の上でも首尾一貫していないと言わざるをえない。
戦後の天皇制は絶対的主義的性格を失い、国政に関する権能を持たないという決定的な制限を伴った特殊な君主制の一種になった。それを社会科学の用語で言えば、「ブルジョア君主制の一種」であるということになる。つまり、権力の実質がブルジョアジーとその代理人によって握られた、形骸化した君主制の一種であり、その形骸化の段階が「国政に関する権能を持たない」ことが明文化されるまでいたったという意味で特殊性をもっている。そしてそれを法制的に言えば、従来の「立憲君主制」でさえなく、「象徴君主制」であるということになる。
たしかに、このような「君主制」(象徴君主制)は他の国に類例がない。なぜか? それは、日本において天皇の持つ権力と権威があまりにも強大であるために、イギリスや北欧型の立憲君主制にするだけでは、その力を十分に抑えられないとGHQによって判断されたためである。つまり、「国政に関する権能を持たない」という規定は、天皇制の弱さや無力さの表現ではなく、反対に、日本において天皇の持つあまりに大きな権威と権力のある種の反映なのである。
不破は「国民主権の原則が明確にされている国で、『国政に関する権能』をもたないものが『君主』ではありえないことは、憲法論のうえで明白」と言う。たしかに、形容詞なしの「君主」という表現には多くの人が違和感を覚えるのは無理もない。なぜなら形容詞なしの「君主」は一般に、伝統的な君主を、すなわち主権を持った君主、あるいは、少なくとも国政に関する権能をそれなりに持った君主を思い起こさせる言葉だからである。不破は、その点の印象操作を意図して、形容詞なしの「君主」や形容詞なしの「君主制」という言葉を用いて、自己の議論を組み立てているのである。
だが、戦後天皇制はあくまでも世界に一つの「象徴君主制」である。しかし、「象徴」といえども、君主制の一種であり、したがって、漠然と「民主主義や人間の平等の原則」に反するだけでなく、そもそも「主権在民の原則」に反する存在なのである。現行憲法は、一方で主権在民を明確に謳いながら、他方ではその主権の象徴者として、世襲の、しかも戦前の絶対君主であった同じ人間をもってきた。これこそ憲法それ自体が内包する根本矛盾である。かつての共産党はこのことをよく理解していた。だからこそ、単純護憲論ではなく、あくまでも「憲法の民主的・平和的条項の擁護」と言ってきたのである。
さて、不破は、このように「憲法論のうえでは明白」の一言で異論をあっさりと始末したあと、なお旧綱領の規定に固執する「守旧派」に致命的な打撃を与える。
「つけくわえていえば、天皇を『君主』扱いして、憲法が禁じている『国政に関する権能』を、部分的にもせよ、天皇にもたせようとしているのが反動派の復古主義的なたくらみであります。党の綱領に『君主制』という規定を残すべきだという議論は、実践的には、こういう復古主義者たちを喜ばせる性質のものとなることも、あわせて指摘するものであります。」
この驚くべき議論については、すでにトピックスで厳しく批判しておいた。天皇を君主扱いする弔詞決議にも賀詞決議にも断固として反対し、天皇制の廃止を明確に綱領に掲げ、『しんぶん赤旗』や『前衛』で天皇制の反民主主義的、反主権在民的性格を系統的に暴露してきた旧綱領下のわが党が「復古主義者たちを喜ばせ」、そして、弔詞決議にも賀詞決議にも全員一致で賛成し、天皇制廃止の文言を綱領から取り除き、天皇制の問題についてほとんど何も語らなくなった現在のわが党が復古主義者と真に対決しているというわけだ!
日和見主義者が自分より左の者を批判するのに「誰それを喜ばせるもの」という言い方をするのは、昔からの常套手段であるが、今回の場合はさすがに無理がある。なぜなら、「復古主義者を喜ばすもの」として名指しされているのは、わが党が40年以上にわたって維持してきた党綱領だからである。そして、その綱領のもとで最高指導者となり、綱領の正しさをさんざん宣伝してきたのが、この批判の矢を放っている不破哲三自身だからである。
ちなみに、ここでも不破は形容詞なしの「君主」という言葉を用いて印象操作をしている。憲法が明文規定しているのは「君主制」一般ではなく、あくまでも「国政に関する権能を持たない」象徴君主制でしかない。しかも、旧綱領の規定を擁護している人々は何も、天皇を君主扱いせよ、などとは主張していない。不破が絶対的支配権を獲得する以前のわが党は、ただの一度もそんなことを主張したことはない。逆である。旧綱領下におけるわが党ほど天皇の君主扱いに反対した政党は存在しない。そして、すでに述べたように、天皇制は憲法上の制度だからという形式的理由で、天皇と皇族を特別扱いする(つまりは事実上、君主およびその一族扱いをする)弔詞決議と賀詞決議に賛成したのは、他ならぬ不破指導下の最近のわが党である。天皇を事実上君主扱いし、復古主義者を大喜びさせたものこそ、不破哲三本人とその支配下にあるわが党の最近の実践であることは、事実を見る能力のあるすべての人にとって明白である。
天皇制をブルジョア君主制の一種とみなすことが、天皇の「君主」扱いにつながるとか、そうした傾向を助長することになるかのような議論は、典型的に「ためにする」批判である。もしそのような論理が成り立つなら、自衛隊を軍隊の一種だとみなすことは、自衛隊を軍隊扱いすることを認めることになり、軍国主義者を喜ばせるだけだ、という論理も成り立ってしまうだろう。自衛隊は軍隊だというような観念左翼的議論などせず、自衛隊を憲法のなかに封じ込めることが必要だ、という論理も可能であろう。そのような論理が詭弁であるのは誰の目にも明白であろう。
ところで、不破は、天皇制がいかなる意味でも君主制の一種ではないとしたことで必然的に生じる問題、すなわち、それでは日本はすでに共和制の国なのかという問題にも触れているので、それを検討しよう。不破は次のように述べている。
「日本が『君主制』か『共和制』であるかはっきりさせろ、という声も聞かれました。日本は、国民主権という民主主義の原則を確立した国だが、現状では、『君主制』にも『共和制』にも属さない国であります。だから、七中総報告では、日本の憲法のこの特質を、『いろいろな歴史的な事情から、天皇制が形を変えて存続したが、そのもとで、国民主権の原則を日本独特の形で政治制度に具体化した』と記述しました。この特殊性を事実に沿ってリアルにとらえることが重要であります。
どんなものごとにも中間的、過渡的な状況ということはあるものであります。それをのりこえるのは、将来、国民の意思にもとづいて、日本の国家制度が民主共和制に前進するときであります。」
われわれはこの点では珍しく不破氏と意見が一致する。たしかに、日本は共和制の国でもないし、本来的な意味での君主制の国でもない。その中間的な政体の国である。だが、そのように言うことができるのは、あくまでも君主制の一種と呼ぶべきものが残存している場合のみである。もしいかなる意味でも君主制の一種と呼べるものが残存していないならば、その国は中間段階を越えて共和制の国になっていると言わなければならない。
たしかに不破綱領は、天皇制を「民主主義と人間の平等の原則に反する」とか「民主主義の徹底に逆行する」ものとして批判的にとらえている。しかし、どの国、どの社会にも、民主主義に反する制度や存在はたくさんあるし、人間の平等の原則に反するものもしばしば存在する。しかし、それらの制度や限界があるからといって、その国が君主制と共和制の中間の国になるわけではない。
たとえば、アメリカやイギリスが採用している単純小選挙区制は民主主義に著しく反するし、民主主義の徹底に逆行する制度であるが、しかしだからといって、アメリカがそのことで君主制と共和制の中間の国になるわけではない。アメリカには同性愛を犯罪とみなす法律がまだ一部の州には残っている。これは民主主義にも、人間の平等の原則にも反するが、だからといってアメリカが君主制と共和制の中間の国になるわけではない。共和政体を取りながら、とてつもなく反動的で独裁的な国家はいくらでも存在する。
しかし、そうした非民主主義的な制度や存在はその国を君主制と共和制の中間の国にするわけではない。法的にどれほど制限され形骸化していたとしても、あくまでも君主制の一種と呼ぶべき制度が残存しているからこそ、その国は共和制と君主制の中間の国であると言えるのである。