不破報告は、多数者革命に関するいつもの話を繰り返した後に、最後に第5章に話を移している。その中で不破はまずソ連社会論について議論を展開している。その中で、またしても不破は歴史の事実を大きく歪め、平然と嘘をついている。
「わが党は、……スターリン以後のソ連社会の評価という問題は、わが党が、64年に、ソ連から覇権主義的な干渉を受け、それを打ち破る闘争に立って以来、取り組んできた問題でした。
この闘争のなかで、私たちはつぎの点の認識を早くから確立してきました。
(1)日本共産党への干渉・攻撃にとどまらず、68年のチェコスロバキア侵略、79年のアフガニスタン侵略と、覇権主義の干渉・侵略を平然とおこなう体制は、社会主義の体制ではありえない。
(2)社会の主人公であるべき国民への大量弾圧が日常化している恐怖政治は、社会主義とは両立しえない。
私たちは、早くからこの認識をもっていましたが、ソ連の体制崩壊のあと、その考察をさらに深め、94年の第20回党大会において、ソ連社会は何であったかの全面的な再検討をおこないました。その結論は、ソ連社会は経済体制においても、社会主義とは無縁の体制であったというものでした。」
これは、表現をきわめて大雑把にすることで、あるいは、問題や表現をずらしたりスリかえたりすることによって、読者を意図的にミスリーディングし、歴史を歪め偽造するいつもの手法である。実際には、90年代以前のわが党は、覇権主義や対外侵略は社会主義とは無縁であるとは言ってきたが、「覇権主義の干渉・侵略を平然とおこなう体制は、社会主義の体制ではありえない」というような言い方は一度もしたことがない。これは、ソ連の体制そのものが社会主義ではないという認識につながりかねないものであり、わが党は慎重にこのような言い方を避けてきたのである。それどころか逆に、1980年代にはソ連社会主義の完全変質論を厳しく批判し、「社会主義の復元力」論を『赤旗』を通じて大キャンペーンを展開したのである※。あくまでも、1994年の第20回党大会ではじめてソ連の体制そのものが社会主義の体制ではない、と明言されたのである。
※注 ちなみに、ここでの不破の発言には、ソ連社会の現実についても著しい誇張がある。不破は、「社会の主人公であるべき国民への大量弾圧が日常化している恐怖政治」とか、あるいは、その少し先で「ソ連には、長期にわたって、最初は農村から追放された数百万の農民、つづいて大量弾圧の犠牲者が絶え間ない人的供給源となって、大規模な囚人労働が存在していました。実際、毎年数百万の規模をもつ強制収容所の囚人労働が、ソ連経済、とくに巨大建設の基盤となり、また、社会全体を恐怖でしめつけて、専制支配を支えるという役割を果たしてきました」などと述べているが、これはスターリン時代の、とりわけ大粛清期の現象をそれ以降の全時代に不当に拡張したものである。
フルシチョフ時代にはいわゆる「恐怖政治」的なものはなかったし(もちろん、反対派は厳しく抑圧されていたが)、逆に強制収容所は基本的にすべて解放されて、そこにいた数十万の政治犯はほぼ全員が家族のもとに帰った。スターリン時代に粛清されたほとんどの共産党員は名誉回復された。数百万の囚人労働が「社会主義」建設を支えるという事態は基本的にこのときに終わったのである。ブレジネフ時代には締めつけが強まったが、スターリン時代のような恐怖政治は再現されなかったし、数百万の囚人労働が工業化を支えることもなかった。その後のチェルネンコ、アンドロポフ、ゴルバチョフ時代のいずれも、ブレジネフ時代よりも締めつけは緩和したし、とくにゴルバチョフ時代にはフルシチョフ時代以上に自由化が進んだ。これはソ連史の常識であるが、不破はどうやらスターリン時代の恐怖政治と囚人労働がそのままソ連崩壊までずっと続いたと思っているらしい。
すでに過去の『さざ波通信』などで、第16回大会における不破の報告を何度か取り上げたが、ここでは、もう一つの材料として1984年に出版された不破の『講座 日本共産党の綱領路線』(新日本出版社)を取り上げよう。1994年の第ソ連完全変質論のわずか10年前に出版された本書で不破は、1960年代における中国のソ連社会主義完全変質論に対して当時のわが党が反対して闘った事実を誇らしげに紹介しつつ、次のように述べている。
「そのときの論争は、『日中両党会談始末記』(1980年、新日本出版社刊)に詳しく紹介されていますが、この論争の決着はすでに明確だといってよいでしょう。中国自身、完全変質論を事実上捨ててしまい、現在では、ソ連の大国主義を批判するが、社会主義国でないとはいわなくなっていますから」(115頁)。
1984年の時点ですでに決着がついていたはずなのに、その10年後には日本共産党は、かつての中国とまったく同じソ連社会主義完全変質論に転向したのである。とすれば、当然、当時の論争において正しかったのは中国で、当時の日本共産党指導部は不破を筆頭に先見の明のない愚か者であったことを自己批判しなければならないはずだが、もちろん、ただの一度も不破指導部はそのような自己批判を行なっていない。
いずれにせよ、こうした歴史的経過は、少なくとも1990年代以前に入党した共産党員にとって常識である。つまり、不破がここで言っていることは、まったく見え透いた嘘なのである。不破哲三ほど、平然とさまざまな嘘をついてきた共産党指導者はおそらくいないだろう。不破の嘘つきぶりに比べれば、古賀議員の学歴詐称などまったくささいな問題であろう。