第23回党大会と不破綱領の本質

15、未来社会の二段階論をめぐる果てしない混乱と嘘

 不破報告は、最後に例の未来社会論に話を移している。その中で不破は、またしても次のような驚くべきことを言っている。

 「この問題を全面的に探究するなかで明らかになった主な点は、つぎの諸点であります。
 第一点。生産物の分配方式――まず『労働におうじて』の分配、ついで『必要におうじて』の分配、こういう形で生産物の分配方式のちがいによって未来社会そのものを二つの段階に区別するという考えは、レーニンの解釈であって、マルクスのものではありません。マルクスは、『ゴータ綱領批判』のなかで、未来社会のあり方を分配問題を中心において論じる考え方を、きびしく戒めています。……  以上のような理論的な準備にたって、私たちは第5章の作成にあたりました。」

 ここでは何と、共産主義社会を分配様式に応じて二段階に分けることそのものが、「レーニンの解釈であって、マルクスのものではありません」と言われている。しかも、そうした理論的準備にたって綱領改定案の第5章を準備したと言うのだ! またしても、問題や表現をずらしたりスリかえたりすることによって、事実を歪める手法である。
 綱領改定案について党中央として正式に提案報告した昨年6月の7中総報告において、不破は何と言っていたか? それをきちんと振り返っておこう。
 7中総報告において不破がまずもって問題にしたのは、未来社会を二段階に分けることそのものではなく、この二段階の最初の段階を「社会主義」と呼び、より高い段階を「共産主義」と呼ぶという、呼称の使い分けであった。しかも、そのときには、このような呼称の使い分けは、マルクスやエンゲルスのものでないだけでなく、レーニンのものでさえないとされていた。

 「まず、第一に検討したいのは、社会主義社会、共産主義社会という二段階の呼称の問題であります。
 実は、こういう表現での二段階論は、マルクス、エンゲルスにも、レーニンにもないものであります。マルクス、エンゲルスは、未来社会の特徴づけについて、著作によって、『共産主義』という用語を使うことも、『社会主義』という用語を使うこともありました。たとえば、『資本論』では、『共産主義社会』という特徴づけは、くりかえし出てきますが、『社会主義社会』という言葉は、未来社会をさす言葉としては、いっさい使われていません。また、『反デューリング論』や『空想から科学へ』では、未来社会はすべて『社会主義社会』として語られ、『共産主義社会』という呼称は、まったく出てきません。つまり、マルクスとエンゲルスは、時によって二つの言葉を使いましたが、どちらの言葉を使う場合でも、未来社会の全段階を表現する言葉として使っているのであって、いま使われているように、未来社会の低い発展段階が『社会主義』で、高度な段階が『共産主義』だといった使い分けをしたことは、一度もないのです。問題の『ゴータ綱領批判』にしても、全体を『共産主義社会』で通し、そのなかの『生まれたばかりの』段階と『より高い』段階との区別を論じているわけで、低い段階を『社会主義』とするなどの呼称の使い分けはしていません。」

 このように、はっきりと問題になっているのが呼称の使い分けであり、それは、マルクスやエンゲルスのみならず、レーニンのものでもないとされている。そして不破はあれこれの引用を出したうえで結論としてこう述べている。

 「こう見てくると、未来社会の低い段階を『社会主義』、高い段階を『共産主義』というのは、マルクス、エンゲルスのものでも、レーニンのものでもない、もっと後世に属する使い方だということが、はっきりしてきます」。

 そして、未来社会を分配様式に応じて二段階に分けることそのものは、マルクス自身のものであると明言されている。

 「この二つの段階を生産物の分配の方式で分けるという考えは、『ゴータ綱領批判』のなかで、マルクス自身がのべていることです。」

 このようにあくまでも未来社会の二段階論がマルクス自身のものであることを確認したうえで、不破はそれを批判するというスタイルをとっている。先の引用文にすぐに続けて不破は「しかし、ここにもやはり大きな問題があるのです」と述べて、その問題点を挙げ、最後にこう確認している。

 「私たちは、こういう立場から、マルクスが『ゴータ綱領批判』で展開した二段階論ではなく、未来社会について青写真主義の態度をとることをきびしく排除したマルクス、エンゲルスの原則的な態度の方を選ぶことにしました。」

 このように大会報告のわずか7ヶ月前の7中総では、分配様式による未来社会の二段階説そのものはマルクスのものであり、それを社会主義、共産主義と呼称を使い分けるのは、マルクスのものでもエンゲルスのものでもレーニンのものでもない、とされていたのである。
 不破の混乱はこれにとどまらない。7中総報告からわずか3週間後に開催された「日本共産党創立81周年記念講演会」では、不破は、このような呼称の使い分けについて、「レーニンのものでもない」どころか、レーニンが「組み立てたもの」だと、まったく正反対のことを述べている。

 「これまではまず社会主義という段階があって、それから共産主義にゆく、こういう二段階論が世界でも“定説”になっていましたし、私たちの綱領もその立場をとっていました。これはレーニンがマルクスの文章を解釈して組み立てたものでありまして、90年近く世界の“定説”となってきたのです」。

 ここではすでに、呼称の使い分け問題と二段階の区別そのものとの混同が始まりつつあるが、しかしこの時点ではまだ、マルクスのものではないのはあくまでも、呼称の使い分けであることが確認されている。

 「だいたい、大先輩のマルクス、エンゲルスのところにゆきますと、『社会主義』という言葉も、『共産主義』という言葉も、本来は未来社会の全体をあらわす同じ意味の言葉だったのです。『資本論』では未来社会を表現する言葉は『共産主義社会』です。『空想から科学へ』では同じ意味で、『社会主義社会』という言葉が使われています。つまり、その時どきヨーロッパの運動のなかでどんな言葉が使われていたかということが、反映しているようで、未来社会の二つの段階を呼び名で区別するという考えは、マルクスにもエンゲルスにもありませんでした。」

 昨年10月の不破前衛論文では、呼称の使い分け問題はほとんど論じられず、もっぱら未来社会の二段階論そのものが対象になっている。そしてそこでも、未来社会の二段階説そのものはマルクス自身によるものであることは否定されていない。ただし、それは「この時点での試論」にすぎないと著しく過小評価されているのだが。
 以上見たように、大会報告まで、マルクスのものではないのはあくまでも呼称の使い分けであった。ところが、大会報告では、未来社会の二段階区別そのものがマルクスのものではないとされ、レーニンがつくり上げたものだとされるにいたったのである。しかもそうした認識は7中総以前からのものであり、そうした「理論的準備」に立って綱領改定案の第5章を作成したというのである! 
 実際には、不破はちゃんとした準備もせずに思いつきで綱領改定案の第5章を作成したため、後でそれを説明するときに次々と言うことが変転し、最後に、最もいいかげんで大雑把な結論で強引にまとめることにしたのだが、変転の挙句にそうなったとは口が裂けてもいえないので(無謬神話!)、それが最初から一貫していたかのように強弁することにしたわけである。

 しかし、このような説明の無理はさすがに一部の大会代議員にも感知されたようで、東京の代議員から「7中総の説明と違うのではないか」という質問が来た。それに対する不破の結語での説明は、今度は大会報告の内容を否定するものとなっている。不破の混乱はまったく果てしない!
 不破は結語において、「未来社会での分配方式に二つの段階が予想されるという指摘をおこなったのは、マルクスその人であります」と述べている。大会報告では、「マルクスのものではなかった」はずなのに! さらに不破は次のように述べている。

 「レーニンは『国家と革命』のなかでその『ゴータ綱領批判』の解説をおこなったのですが、そのさい、ひとつの問題は、マルクスの書いた注意書きを無視して、分配方式の違いによって未来社会を区分するという考え方を固定化するということをやりました。さらに、もうひとつの大事な問題は、その二段階を国家の死滅という問題と結びつけたのです。……こうして、分配方式を考えると二段階が問題になるというマルクスの指摘を、未来社会を、社会の発展段階としての二つに分ける、くっきりした二段階発展論に拡張してしまったのです。それが『国家と革命』での解釈でした。
 7中総の報告では、マルクスが生産物の分配論の方式で二つの段階に分けたことについてのべましたが、結語では『国家と革命』でのレーニンの解説にふれて、二段階論が国際的な“定説”となった『一番の源泉』は、『おそらく』レーニンのこの解釈にあるだろうとのべました。
 ここで、『おそらく』という言い方をしたのは、この時点では、国際的な“定説”の形成過程について、私たちの研究もまだつめきったところにいたってなかったからです。
 その後、より包括的な研究をおこないましたので、大会報告には、その結論を反映させました。」

 おやおや、大会報告では、「以上のような理論的な準備にたって、私たちは第5章の作成にあたりました」と述べていたにもかかわらず、つまりは、綱領改定案の第5章をつくる以前にすでに「未来社会論の二段階説はマルクスのものではなく、レーニンのつくったもの」という結論に至っていたはずなのに、結語では、7中総の後に「より包括的な研究をおこない」、その結論を大会報告に「反映させ」たことになっている。いったいどちらなのか? 
 しかも、この結語での説明は、レーニンが二段階説を「固定化」し、こうして国際的定説の源泉になったということを明らかにするものでしかない。しかし大会報告では、そもそも二段階に分けることそのものが、マルクスのものではなく、レーニンのものだと言われているのである。
 結局、不破は、7中総報告と大会報告との矛盾を解消することができず、問題を「固定化」や「国際的定説」の源泉にずらすことによってごまかしたのである。どこまで卑劣な人間なのか。

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