第23回党大会と不破綱領の本質

16、分配論なき社会主義論

 だが、こうした説明の変転以上に重要な問題なのは、分配論を事実上社会主義・共産主義の展望から追放してしまったこと自体である。「労働に応じた分配」も「必要に応じた分配」も、マルクスを含むすべてのまともな社会主義思想に一貫して流れている構成要素である。たしかにマルクスは、社会革命においてもつ生産関係の変革の決定的な役割を正しく強調したし、そのための物質的・政治的前提条件を明らかにした。それは、レーニンを含むその後のすべてのマルクス主義者に受け継がれている。あたかもレーニンが、未来社会論を分配中心に見ていたかのように言うのは、最も卑劣でナンセンスな誹謗中傷である。だが、だからといって分配論がどうでもいいものになるわけではない。分配は、生産と並んで社会の経済的土台を構成しているし、分配論なき社会主義はありえないと言っても過言ではない。そもそも「社会福祉」の思想そのものが、「必要に応じた分配」の思想と結びついているのである。この分配論なしには、共産主義どころか社会民主主義の諸政策さえ正当化されえないだろう。
  しかも、「必要に応じた分配」思想と最も先鋭に対立する新自由主義思想が蔓延し、国際的にも国内的にも貧富の格差とさまざまな不平等がますます深刻化している今日、公正で平等な分配のあり方について語ることは、かつてなく重要なものになっている。それは国内を見ても十分に深刻であるが、世界に目を向ければ、その深刻さは天文学的なものになる。
 世界はますます、1年で何億、何十億もの収入を得ている一握りの人間と、汗水たらして働いてもかつかつの生活費さえ稼げない膨大な人々、あるいはそもそも職につけない膨大な人々へと二極分化している。世界には肥満に苦しむ12億の人々と、飢えに苦しむ12億の人々が存在している。また、製薬会社は毎年大量の新薬を作り続けているが、その99%は先進国向けであり、第三世界の何十億という人々は無視されている。エイズ治療薬も、非常に効果のある新薬は多国籍製薬会社が特許で独占しているため、そうした高価な薬を買えない第三世界のエイズ患者は見殺しにされている。つまり必要な薬が、「必要に応じて分配」されるのではなく、「購買能力に応じて分配」(市場原理)されているのである。こうした時代にあって、「必要に応じた分配」論は、機械的で教条的な「青写真主義」としてではなく、思想的・理論的な導きの糸として、今日ますます輝きを増している。
 にもかかわらず、共産党はあえてこの時代に、分配論を自らの綱領における社会主義論・共産主義論から放逐したのである。そして、幹部の発言がいっそう俗流化されて党内で流布されるという法則からすれば、すぐに分配論そのものが社会主義とは無縁なもの、空想的社会主義の一種と言われるようになるだろう

 ※注 すでに大会発言の中で、和歌山選出のある代議員は「必要に応じた分配」論があたかも最初からナンセンスなものであったかのように扱っている。
 「当時の私たちの議論の幼稚さは、私たちに責任があるのではなく、当時の『分配論』を中心とした共産主義の規定の側に問題があったと、綱領改定案の討議をつうじて確信しました。(笑い)」(2004年1月17日『しんぶん赤旗』)。
 真面目に論じるべき問題をすべてこうして「笑い」で片づけてしまうのが、共産党の大会や会議での特徴であるが、「必要に応じた分配」をめぐる百数十年もの社会主義の伝統と議論でさえ、不破の一方的な「ご高説」だけにもとづいて「幼稚」な話と「笑い」で一蹴されているのである。きわめて憂うべき徴候ではないか。

 日本はそもそも、「必要に応じた分配」という思想が歴史的に弱い国であった。たとえば、生活保護世帯に対する蔑視は普遍的であり(共産党員でさえそうだ!)、生活保護を受ける側もそれを恥じている。それは人間としての当然の権利であるという観点が非常に弱い。弱者でさえ弱者を軽蔑し、差別しあっている。分配の平等を求める声に対しては「妬み」という非難がただちに投げつけられる。こうした風潮は、日本における社会民主主義の脆弱さ、福祉国家の脆弱さとも深く結びついており、より根源的には日本における社会主義勢力の弱さそのものと結びついている。
 また戦後民主主義運動は、社会民主主義よりも自由民主主義に力点を置いてきた(この問題については、過去の『さざ波通信』の「日本型リベラリズムの変質と有事立法」を参照のこと)。もちろん、生活給思想にもとづいた戦後の年功賃金体系や、70年代における革新自治体の福祉政策は、「必要に応じた分配」という理念とも相通じるものであったことは言うまでもない。しかし、戦後すぐの生活給的年功賃金体系は資本の反転攻勢と戦後階級闘争の敗北の中で変質させられ、企業への忠誠や相応の労働努力(長時間・超過密労働、配転の無条件受け入れ、等々)と引き換えに特権的に与えられるものになった。革新自治体も自民党の反転攻勢の中で比較的短期間に転覆され、福祉切り捨てが80年代から中央でも地方でも主流になっていった。
 こうした攻勢の中で、戦後民主主義運動側の闘いが受動的な抵抗にとどまることになった一つの理由は、日本共産党自身が「必要に応じた分配」という思想を十分血肉化しておらず、その思想が社会主義にとってもつ決定的な意義を何ら体系的に学んでこなかったことにもある(もちろんそれだけが理由ではない)。今こそ戦線を立てなおし、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という共産主義思想の意義を改めて見直すべきときである。しかし、まさにこのときに不破は日本共産党綱領から分配論を一掃してしまい、あたかもそうした分配論自体が青写真主義であるかのように言い出したのである。
 他方で、不破は、ますます市場経済を絶対化するようになり、社会主義経済においてさえ市場での競争と淘汰を当然のものとして肯定している。このような変遷が、社会主義からいっそう遠ざかり、いっそう新自由主義に接近する性格のものであることは、明らかではなかろうか。

 以上、大会報告に沿って、不破の詭弁と嘘を明らかにしてきた。最終的に採択された新綱領と7中総で提起された綱領改定案との違いについての分析は、すでにトピックスで行なっているので、それを参照にしてほしい(大会関連のトピックスは本号に再録しておく)。

2004/2/9~2/20 (S・T編集部員)

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