「総選挙時比130%の読者拡大」の提起に欠けているもの

 「総選挙時比130%の読者拡大」「50万の党」方針に欠けている視点、それは、党の団結を民主的に強化するという視点だ。不破議長が党大会の綱領報告において、綱領改定の批判意見や疑問意見に対して嘲笑うかのように「批判」してみせたように、党指導部は党の民主的団結強化にほとんど何の配慮も払っていない。

 そもそも、今回の大会ほど、党の戦闘性を殺ぎ落とす大会はなかった。総選挙に入り、指導部はその路線に一定の見直しを余儀なくされ、これまで抑えられていた民主党批判に積極的に取りくむ等の変化はみられた。しかし、党大会は、見直し以前の彼らの路線の言わば総決算として位置づけられるもので、とりわけ綱領改定の中身は、旧綱領がもっていた戦闘性をことごとく希薄化し、党員の戦闘性とやる気を殺ぐものとなっている。
 徹頭徹尾、改良主義化した綱領と、これまで同様の組織拡大に偏った組織的締め付け、精神主義の組み合わせは、一時的な数字的効果があったとしても、長期的には組織のさらなる衰退を生むだけではないだろうか。
 以下、党指導部の発言を概観しながら「総選挙時比130%の読者拡大」提起について検討しよう。

 まず、この提起の背景について確認しておく。
 周知のように、昨年11月の総選挙において日本共産党は、得票数で「458万票」「議席を改選前の20議席から9議席へと大幅に後退させる結果」(第22回党大会10中総の幹部会報告)となった。これは、総選挙の結果としては70年代以降の党史上最低の水準であり、2001年の参院選と同程度の歴史的大敗とみなすことができる。1996年の総選挙での「史上最高の峰への歴史的躍進」(第21回党大会決議)からの5年で落ちるところまで落ち、2年を経過してもなお「反転攻勢」のための足がかりをつかめていない状況にある。

 この歴史的後退の全責任が不破・志位指導部にあるということはもはや誰の目にも明らかである。だが、われわれが明らかにしなければならない最大の課題は、責任の所在がどこにあるかよりもむしろ、これまでの党活動を分析することによって問題の所在がどこにあるのか明らかにすることである。
 では、指導部はどのように分析しているのか?
 10中総の志位報告では、「党中央のとりくみの反省点」として、「宣伝物(号外)と選挙政策の遅れ」と「保守『二大政党制』をめざす財界の新しい戦略にたいする的確な分析と告発の立ち遅れ」の2点を挙げた。
 「全党的」レベルでは、「計画的・系統的に有権者との結びつきを広げるとりくみ」が「そうした先駆的とりくみを開始している選挙区でも、他党に比較するならば、わが党の活動の規模と内容は、弱い」と指摘している。この点は、同じ10中総の不破発言(「選挙戦への取り組みについての問題提起」)でさらに詳しく述べられている。不破提起は、公明党の「執念」の取り組みを「『他山の石』とする必要がある」と述べ、それがただ「弱い」のではなく「執念」が足りないという指摘をしている。

 われわれはこれらの説明で満足するわけにはいかない。「立ち遅れ」と「執念」の不足、それぞれの原因を明らかにする必要がある。
1、「立ち遅れ」に気づいた指導部が民主党批判に力を入れたことから、この「立ち遅れ」が民主党に対する幻想によるものであったことは明らかであろう。この幻想はさらに、不破・志位指導部の基本路線に由来する。
 この間の不破・志位指導部の基本路線の特徴は、「21世紀の早い時期に民主連合政府を実現する」との目標のもと、第21回党大会以後、他党と比較可能なレベルでの政策の具体化に踏みこむところにあった。
 それは、新自由主義改革の政界版として支配層がめざす保守二大政党制への移行が思うように進まないなか、1996年の総選挙での「史上最高の峰への歴史的躍進」に自信を強めた指導部が、民主党との連立政権の可能性を模索した時期であると言ってよい。その可能性にすがるあまり、無意識にあるいは意識的に民主党に対する批判が抑えられてきたのである。
 この「柔軟路線」と呼ばれる基本路線は、80年代の社会党(現社民党)が、共産党を含む「全野党共闘」の立場を捨て、共産党を除く政権政策の策定を進めたことと軌道を同じくしている。そしてどちらも、公明党と激しい論争を繰り広げたが、80年代の野党公明党が社会党を右へ押しやろうとしたのに対し、90年代後半の与党公明党は共産党を左へ押し返そうとした点で異なっている。反共謀略ビラをめぐる攻防は、まさに「民共連立」の可能性をかけた攻防であった。にもかからず、それは指導部自ら主軸として語ってきたはずの「自民党政治」か否かをめぐる政治闘争において、それは傍流にすらなりえなかった(つまり有権者の共感を勝ち取れなかった)ことは、「柔軟路線」の破綻を示してあまりあるものだ。
2、「執念」の不足も、不破議長みずから奨励してきたものだ。(『さざ波通信』第12号「選挙への還元をはかる不破指導部」参照)
 90年代後半の社民党の凋落に由来する一時的な追い風によって、これまで党と何ら結びつきのなかった層からの支持増大に有頂天になった指導部は、困難な現場でのたたかいよりも、選挙での共産党の押し出しに党活動の重心をうつすことを奨励した。国会・地方議会における党の力を大きくすることで、“上”からたたかいを打開するという戦術であるが、これはわれわれの闘争の行く末をもっぱら有権者の投票行為に賭するものであり、議席とともに闘争自体を失いかねない政治的博打(ばくち)行為である。確かに、党がそれなりの議席を維持し、さまざまな問題を国会でとりあげることによって、闘争を支えることはありうるが、それは粘り強い闘争が存在することが前提でなければならない。

 共産党指導部は、自らの進退にかかわる誤りは絶対に認めないが、「2つの反省点」とは以上にみたように、この間の指導部の基本路線にかかわるものである。それゆえ、10中総以降の指導部は、基本路線の修正を余儀なくされたとみなすことができる。
 それが、どの程度の修正になるのかは党外からの圧力や党内の力関係にかかっているが、10中総から党大会まで、それなりにさまざまな「教訓」が述べられ、その「修正」がいくつか明らかにされている。10中総の志位報告から拾ってみよう。

「 一つ目は、国民の要求実現のために献身することです。」
「 二つ目は、若者の多面的な要求にこたえる活動を強め、若い世代を大胆に党に迎えいれることの重要性であります。」
「 三つ目は、私たちの事業への理論的・政治的確信を全党のものにすることの重要性です」
「 四つ目は、機関紙活動の現状打開にとって、いまが「正念場」だということであります」
「 五つ目は、党機関の水準を抜本的に向上させる努力の重要性です」
「 また、大会決議案が指摘している「双方向・循環型」の指導を、中央と中間機関、機関と支部との間でつらぬき、あたたかい連帯で心がかよいあう党をつくることの重要性も、選挙戦のさまざまなとりくみをつうじて痛感されたことでありました」

 党大会の報告でもこれと同じような教訓が語られている。これらは、「五つの基本方針」と、それを土台にした「四つの重点的努力方向」として、「反転攻勢」の足がかりをつくろうという提起のはずであるが、「総選挙時比130%の読者拡大」「50万の党」という党勢拡大を突出させた唐突な提起が党大会で行われた。それに対して代議員が戸惑った様子がマスコミでも報道されたほどである。
 この提起から読み取れることは、不破・志位指導部は、あれこれ反省してみせながらも、結局はそのほころびを修復することよりも、選挙での得票に直接結びつく指標を最重視し、「執念」論を方法論とした機関紙拡大の取り組みしか思いつかなかったということである。
 組織をきりもりしていく総合的な見地に欠けているのである。そのことは、参院選後の3中総(第22回党大会)を批評した『さざ波通信』第22号の「参院選の結果と『不破=志位』指導部の3つの破綻」でS・T編集部員が詳しく述べているので参照いただきたい。

 今回の党大会から総選挙に至る経過は、まさにこの問題が先鋭化した形で表れた。
 現在の“反動攻勢”といってよい時期には、支持者どころか党員でさえ、多かれ少なかれ支配イデオロギーの影響を受け、場合によっては取り込まれ、党の“周辺”から取り崩されていく。ここで持ちこたえ、「反転攻勢」の足がかりを作ろうとするなら、何よりもまず、学習活動とイデオロギー闘争の強化によって党員・支持者を鼓舞し、現在の「陣地」を固めることを最も重視する必要がある。そのために指導部は、党員・支持者の団結に最大限の配慮を払わなければならない。われわれが反動攻勢に打ち勝てるかどうかは、団結の力にかかっているからである。その上で、はじめて新たな党勢の拡大をめざすという方針が真に全党員のものとなるのだ。

 党大会は、まさにわが陣地を固めるための絶好の機会であったが、指導部は、その責任を果たしただろうか? 断じて否だ。不破指導部は、まったく正反対のことをやってみせた。共産党の戦闘性を希薄化するがゆえに反対意見が多く提出された綱領改定を、まともな答弁もなく強行採択した。
 綱領こそ、党の団結の根幹となるものなのだから、その改定は基本的に団結の力を強化する方向でなされなければならない。それも40年以上にわたってわれわれの結集軸となってきた綱領を全面改定するとなれば、それこそ慎重に慎重を期して行なう必要がある。党指導部は、自ら参加する「綱領改定討論集会」を全国各地で開催するとか、ホームページや「しんぶん赤旗」紙面を使って、出された質問と指導部の回答をあわせて掲載するという特集を組むとか、やろうと思えばいくらでもできたはずだし、やるべきであったし、むしろやらなければならなかった。そういう取り組みこそが、不破・志位指導部がよく口にする「循環型」の組織というものだろう。党の団結強化のためには、党内民主主義の確立・強化は避けて通れない課題となっているのである。

 不破議長の綱領改定報告は、同志に向けられた誹謗中傷のオンパレードとなっている。「多数者革命に背を向け、主権在民の原則そのものを軽んじるものにほかならない」なる、天皇制問題に関する批判者に向けられた不破議長の誹謗中傷発言はその最たるものだ。『別刷学習党活動版』に寄せられた意見に対しては「誹謗中傷」だの「不適切」だの細かい注文をつけて反対意見を抑制しておきながら、党の最高幹部自らが、他でもない同志に向かってこのような誹謗中傷をあびせているのはどういうことか? それはまさに、党の団結を破壊する行為であって、最高幹部自ら「陣地」を掘り崩しているのだ。不破議長の行為は、十分「除名」に値するものである。

 「党勢の拡大」とは、それだけをとってみれば、この不景気・デフレで打撃を受けている層において政党機関紙の販売部数を増やしたり、金銭・体力・頭脳を党の活動に提供してもらうことである。日本経済が上向きの時代とは異なる困難な条件があり、指導部のかけ声だけではどうにもならないことは大会代議員のため息を聞くまでもないことだろう。創価学会・公明党だって、そこのところをイデオロギー(信仰心)や組織に所属することの満足感等で補い、組織固めをしている。「他山の石」というなら、その執念よりも、どのように組織をまとめているのかという点にも目を向けるべきだったのではないか。
 現在の共産党の体質そのものが、党建設の大きな障害となっているのである。

2004/2/18-22 (T・T編集部員)

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