第23回党大会関連トピックス(再録)

 以下の一連の記事は、第23回党大会に関するトピックスでの論評を再録したものです。

たった1名の反対のみで改良主義的新綱領が採択(04.1.17トピックス)

 各紙のインターネット報道によると、改良主義への完全変質を画す新綱領案は、わずか1名の代議員の反対があったのみで採択された。しかもその1名の反対者も新綱領案の内容に反対ではなく、単に書き方に反対であったそうである(朝日のサイトより)。43年間、不滅の生命力を持ち変革の展望を与えると絶賛されてきた61年綱領があっさりと投げ捨てられ、わずか数ヶ月前に提案された新綱領こそが真に正しく変革の展望を与えるのだと多くの代議員が口々に発言する様子は実におぞましい。
 党指導部も代議員たちも、不破綱領案の「正しさ」を強調するために、61年綱領を必死になって歪曲し、矮小化しようとする。たとえば不破は、今回の大会報告で、天皇制を君主制の一種として規定している現綱領(当時)の規定を残すことは、実は復古主義者を喜ばすものであるのだという驚くべき新見解を表明した。つまり、61年綱領の確定以来、わが党の綱領はずっと復古主義者を喜ばせ続けてきたというのだ! わが党はこの43年間、何という裏切り的・反動的政党であったことか!
 将来における天皇制の廃止をはっきりとうたっているだけでなく、天皇制を「アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具」として糾弾し、日常的にも「天皇主義的・軍国主義的思想を克服し、その復活とたたかう」ことをきちんと規定していた61年綱領が復古主義者を喜ばせ、こうした諸規定をすべて削除して天皇制の廃止さえも曖昧にしている新綱領が復古主義者を喜ばせないものだというのだ! 天皇家の一員の死や出産や結婚に際して弔詞や賀詞そのものに反対してきたかつての党の実践は実は復古主義者を喜ばすような綱領にもとづくものだったというわけだ! それに対し、恥知らずな弔詞や賀詞に賛成するような昨今のわが党の実践は、復古主義者を喜ばさない真に正しい立場に立ったものだったというわけだ。
 どんな反共主義者もこれほどひどい侮辱と歪曲を61年綱領に加えることはできないだろう。共産党の裏切りを何十年と糾弾し続けてきた新左翼党派もびっくりだろう。共産党のあらゆる文言に裏切りの証拠を見出す努力をしてきた彼らでさえ、このような屁理屈は思いつかなかった。不破は屁理屈の天才である。彼が左派の振りをしていた60年代には、あらゆる屁理屈を動員して、かつてのお仲間であった構造改革派を帝国主義の手先として罵倒し、今では43年間維持してきた党綱領を「復古主義者を喜ばすものだった」と糾弾する。だがそうすると、第20回大会における不破哲三自身の次のような発言も実は復古主義者を喜ばす反動的発言であったということになろう。

 「そういう展望にたって、世界史の流れを見るとき、君主制の廃止と民主共和国の実現が、文字どおり20世紀の人類の進歩のとうとうたる本流となっていることは、重要であります。実際、20世紀のはじめには、世界全体を見渡しても、まともな民主共和国は、スイス、フランス、アメリカの3ヵ国しか存在しませんでした。主だった国は圧倒的に君主制の国でした。君主制国家が世界の大多数をしめているというのが20世紀の出発点だったのです。それが、20世紀の90年代を迎えた今日、君主制と共和制がしめる世界的な比重は完全に逆転しました。国連加盟184ヵ国のうち、君主制の国家はわずか29ヵ国、国連に加盟していない君主制の国トンガをくわえても30ヵ国、あとは多少の色合いのちがいはあれ、すべて共和制の国家というのが、世界の現実であります。
 日本が、憲法で主権在民の原則をうたいながら、君主制が残されている世界で数少ない国の一つになっていることの意味を、この民主主義の世界史的な流れのなかで見定めることは、今日きわめて重要な問題です」。

 不破よ、君がかつて復古主義者を喜ばすような反動的発言を堂々と党大会で行なったことをきっぱりと自己批判したらどうか?
 いずれにせよ、今回の新綱領が、わずか1名の反対のみでほぼ全員一致で採択されたことは、この党が基本的に再生不可能な地点にまで変質していることをはっきりと物語っている。この党はレーニン主義の革命的・進歩的要素から完全に決別し、スターリン主義的体質を色濃く持ったまま社会帝国主義的改良主義政党への脱皮を遂げた。それはすでにカウツキー主義でさえない。
 不破哲三の真の師匠はベルンシュタインである。不破は、ベルンシュタインの主著を読めば、自分の発見と思い込んでいた理論がすでにそこに見出されることを知るだろう。ただベルンシュタインの場合と決定的に違うのは、まず第一にベルンシュタインが当時のドイツ社会民主党の右派少数派にすぎず、その左には中央派と左派という有力な多数派潮流が存在していたのに対し、日本ではベルンシュタイン派が党の最高指導者であり、その左には何も存在しないことである。つまり、日本共産党は理論的・政策的には純粋なベルンシュタイン主義の党になった。
 第二に、ベルンシュタインがあくまでも党内民主主義を尊重し、多数派の意見に反対して自己の信念を公然と語る勇気と人間的誠実さを持っていたのに対し、日本のベルンシュタインは、党内民主主義を一顧だにせず、何十年も宮本多数派への面従腹背を行ない、自己の信念を隠しとおし、左派の振りをして指導権を握り、そして最高指導権を握るやいなや過去の伝統と決別し始めたということである。日本のベルンシュタインは、本家のベルンシュタインの100倍も卑劣であり、100倍も不誠実である。
 われわれは満身の怒りを込めて党指導部と第23回党大会を糾弾する。君たち指導部の絶対的勝利は、党そのものの惨めな敗北の一表現にすぎない。それは日本の右傾化と帝国主義化の最も顕著な現われであり、今回の大会は共産党の終わりの始まりになるだろう。その没落過程は社会党の場合よりもはるかに長引くだろうが、確実にその過程は進行するだろう。
 日本人民は新しい帝国主義と新自由主義の荒れ狂う21世紀に、まともな有力左派政党が一つも存在しないもとで、その困難な闘いを進めなければならないという最大級の不幸に直面することになった。この困難を直視し、共産党の革命的再生などという幻想を持つことなく、長期にわたる闘争を地道に草の根から組織しなければならない。そのさい、共産党指導部に対する批判を回避することは絶対に許されない。今は自衛隊の海外派遣反対や憲法改悪反対が大事だからという理由でこの批判を回避したり沈黙したりする者は、実際には共産党の裏切りに手を貸し、日本の帝国主義化と反動化に貢献しているのである。とくに、党員への大きな影響力を持っている著名な党員知識人ははっきりと己れの信念を語らなければならない。親しい身近な党員にだけ苦笑しながら党への批判を語ることで自分が右派ではないアリバイにしようとするのは、最も卑劣な行為である。党全体の再生は不可能にしても、できるだけ党内に分岐と亀裂を作り出し、救える部分は最大限救い出さなければならない。そのためにも党の新綱領と公式路線への容赦のない批判は不可欠である。(S・T編集部員)

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