総選挙の敗北は何を語るか――問われる指導部の責任

総選挙結果のいくつかの特徴(2)
 ――共産党と社民党

 日本共産党は、今回の総選挙で議席、得票数、得票率いずれも後退を喫した。議席のある程度の後退は、比例定数削減の影響を考えれば必ずしも指導部の責任だけにすることはできない。比例定数が1割削減された以上、前回と同程度の得票でも1割だけ議席が減ることになるからである。しかし、問題は、得票数・率とも減らしたことである。最初の大躍進を記録した96年総選挙と比べれば、実際には減らした量はそれほどではない。得票数にして50万票、得票率にして、2%の減である。しかし、96年総選挙は、95年から始まった躍進の最初の全国選挙であり、その後も共産党の躍進傾向は続いていた。したがって今回における共産党の後退の真の規模を知るためには、98年参院選と比べなければならない。
 98年参院選において共産党は、比例区で820万票獲得し、得票率も14・6%獲得した。今回の比例区得票が670万票で、得票率が11・2%であるから、票数にして150万票、率にして3・4%減らしたことになる。今回の得票数・率の水準は、95年参院選のときよりも多いが、96年総選挙よりも少なく、したがって、4年以上前の水準に一気に戻ったことになる。
 それに対してきわめて対照的だったのが社民党である。社民党は、かつて社会党であったときは、野党第1党として、1000万票前後の得票を常に獲得しつづけ、89年の参院選では2000万票を単独で獲得した。しかし、その後、急速な凋落が始まり、とくに、政権入りを果たして、安保・自衛隊・天皇などの基本問題に関する綱領的立場を投げ捨てたことによって、完全な崩壊を遂げることになった。社民党は、96年の総選挙ではわずか345万票、6・4%の得票にまで下がり、ずっと共産党の2倍前後の得票・率を誇っていたにもかかわらず、逆に、共産党の2分の1の得票数・率にまで下がった。この事実ほど、社会党の裏切りの深刻さを示すものはない。
 しかし、社民党は、その後、市民派を中心とした党づくりをするようになり、村山政権が崩壊して政権から離れたこともあって、98年参院比例区では一定の復調を果たしている。この時社民党は、約440万票、7・8%の得票を獲得している。今回、社民党はさらに得票・率を伸ばし、560万票、9・4%にまで回復した。この数字は、98年参院選から比べても120万票の増加、96年総選挙と比べるなら、何と215万票もの大幅増である。
 90年代半ば以降、おおむね社民党の減少と共産党の増大という交差カーブを描いていたのが、今回の選挙において一気に逆転し、社民党は共産党より100万票少ないだけの水準にまで接近している。
 次に、こうした対照的な結果が出た原因について論じよう。

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