今回の西村暴言が、自自公にとって大きな誤算であったのは間違いない。せっかく「ブレイクスルー」を意図して「トロイの木馬」として西村を第2次小淵政権に送り込んだのに、内幕を自ら嬉々として披瀝し、あまつさえ誰も擁護しようのない暴言を繰り返して、これほど早くに自爆するとは、小沢でさえ思ってもみなかったにちがいない。
もちろん、すでに述べたように、西村暴言を過小評価して、単に向こうの失策であるとのみ見なすのは、軽率であり、危険である。しかしながら、全体としては、この事件が自自公にとって誤算であったのは間違いない。早々に西村の政務次官辞任という「政治決着」がはかられたのは、そのあらわれであろう。したがってわれわれがなすべきことは、政務次官の辞任という水準で決着させず、政府危機にまで追い込むことである。
課題は2つある。まず第1に、このような破廉恥で危険な人物をあえて防衛次官に指名した小淵首相の責任を徹底追及することである。そして、あのひどい暴言にもかかわらず、「辞任」という形で決着させ、首相自ら西村次官を罷免しなかった手ぬるさも合わせて追及するべきだろう。
第2に、西村の議員辞職を要求し、それを国会内のみならず、下からの大衆運動として取り組むことである。「女性蔑視の西村議員は、ただちに議員辞職せよ!」「核武装と八紘一宇を呼号する西村は議員をやめろ!」のスローガンを全国津々浦々で展開し、自自公政権を追いつめなければならない。この運動においては、とりわけ、「強姦」発言の直接のターゲットとされた社民党の辻元議員らを中心とする運動と積極的に連携するべきだろう。
だが、以上の闘いを遂行するにあたって、共産党自身の誤算についても触れておく必要がある。
共産党指導部は、自自公政権発足にあたって、もっぱらその攻撃の矛先を公明党の異常な体質に向けていた。この間『しんぶん赤旗』では、公明党=創価学会の問題性について大型連載が組まれているし、また各種の演説会や報告においても、もっぱら公明党の異常性のみが糾弾の対象にされてきた。もちろん、公明党=創価学会に対する厳しい批判は必要であり、その問題性を、今回の政権参画をきっかけに行なうことも無意味ではないだろう。しかし、それは自自公政権の全体としての性格を見定める上で、かなりの程度、問題の核心をはずしていると言わなければならない。
自自公政権の危険な政策の主要な方向性を定めているのは、公明党ではなく、自自であり、とりわけ、そのタカ派的性格においてずば抜けている自由党である。自自公政権発足直前にすでに、自由党の党首である小沢一郎は、『文芸春秋』に改憲論を公表し、その危険な方向性をはっきりと示している。前号の『さざ波通信』におけるインタビューで詳細に明らかにされているように、小沢の改憲論は、けっして偶然的なものでも、小沢の個人的な思いつきでもなく、詳細に練られ準備された上で出されている本格的なものである。それは日米支配層が必要としている憲法上の諸条件を満たすことを正面に据えている。
したがって、今回の西村発言の布石となるような動きはすでに、はっきりとあったのである。にもかかわらず、共産党指導部は、この小沢改憲論についてほとんど取り上げず、演説や報告においてもまったく触れようとしなかった。もっぱら、一般国民の反創価学会的意識(それはかなりの程度、反共産党意識とも連なる)に依拠して、公明党=創価学会に対する反感を煽ることを戦術にしてきた。それゆえ、今回の西村発言のような、自自公政権を危機に陥れる事件が起きたときに、共産党自身もある意味で不意を打たれたのである。
もし共産党が、西村発言が起きる以前から、自由党のタカ派的性格について、現在公明党についてやっているようなキャンペーンをやっていたとしたら、共産党はただちに、「見たまえ、われわれが警告していたとおりの事態になった、自由党の危険性が証明された、このような政党に政権を任せることはできない」と大宣伝することができただろう。だが共産党は、そのような系統的宣伝をやっていなかったので、今回の西村発言による敵失を十分に活用できないでいる。
また、西村発言が起きた直後は一定、この問題を取り上げていたが、その後はまたこの話題は『しんぶん赤旗』紙面に出なくなっている。反公明党のキャンペーンは相変わらず続いているというのに。
以上のような限界は、この間の共産党指導部の基本姿勢そのものから生じている。昨年の不破政権論以来、党指導部は、綱領路線にのっとった変革の道筋ではなく、民主党や自由党との「数合わせ」による政権参画という路線を明確にとるに至った。その「数合わせ」の論理から必然的に、自由党、民主党に対する批判が回避され、著しく警戒感が鈍るという状況がつくり出されている。自由党が自民党と連合政権を組んだときも、自由党の危険な本性に対する批判はほとんどなされなかった。そして、すでに述べたように、自由党の党首が改憲論を発表し、それに呼応して民主党の鳩山が独自の改憲論を出したときも、それらに対する批判はきわめて弱く、このような危険な改憲論との闘いを正面に据えるようなことはまったく行なわれてこなかった。改憲派の鳩山が民主党の新代表に選ばれたときも、批判のトーンは著しく弱く、民主党の機嫌を損ねないようにという配慮が一貫して働いていた。
以上のような基本姿勢の延長戦上に、今回の西村発言に対する対応もある。さすがに、あまりにもひどい発言なので、党指導部もこうした発言をきびしく批判しているが、しかし、その批判の度合いは、たとえば社民党の対応と比べてもけっして十分とは言えない。
今からでも遅くない。西村の議員辞職を求め小淵首相の政治責任を追及するキャンペーンと運動を組織するべきである。この運動は、従来の枠をも突破し、これまで十分な連携ができないでいた市民運動や女性運動との連帯を構築する重要な契機にもなるだろう。
P.S 11月2日に衆院本会議で各党党首による総括質問が行なわれた。その総括質問の中で不破委員長は、この西村暴言問題について冒頭で取り上げたが、きわめて短く(『しんぶん赤旗』の紙面では14行)、しかも西村発言の女性蔑視的内容については一言も触れていない。社民党の土井党首が、総括質問で、この女性蔑視的側面を強調したのとは対照的だった。また、議員辞職問題についてもまったく触れていない。この問題をもっと真剣に追求するべきではないだろうか。(11/2)