京都大学の経済学部教授である大西広氏は、自称、史的唯物論を信奉する「マルクス主義」学者で、共産党系の学者が中心に発行している『経済科学通信』などで活躍している。彼は、京大経済学部ホームページのプロフィール欄において、尊敬する政治家として、レーニン、トウ小平、サッチャー(!)の3人の名前を挙げている。
もともとは地味な統計学畑の経済学者であり、まったく無名であった彼の名前がその方面で有名になったのは、ソ連崩壊後、ソ連=国家資本主義論を展開して、経済発展の名のもとにスターリン体制と天安門事件を全面賛美したことからである。
たとえば、『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』(大月書店)という著作において、大西広氏は、天安門事件について次のように述べている。
「現在われわれが考え直さなければならないことは、トウ小平の決断によるあの弾圧がなければ現在の中国の経済発展はない、というおそらく厳然たる事実である。……あのときのトウ小平の決断は『冷酷』ではあっても正しいものであった。そして、このことはまさに『この国に最終的な責任をもつ』ということがトウ小平にはできて、われわれにはできなかったということを示している」(211頁)。
実際には、天安門事件の武力弾圧とその後の経済発展との間にはいかなる因果関係もないし、非武装の平和的請願であった学生デモを武力鎮圧するいかなる正当な理由も存在しない。そして、このような著しく機械的な生産力主義の立場に立ったうえで、大西広氏は、左翼の弱者救済主義を断罪する。
「社会的弱者の側に立つこと(これが筆者の『左翼』の定義である)は、通常社会的変化に弱い人々の味方をすることに等しい。……しかし、ここで問題なのは、われわれがその立場を理論的に明らかにしようとしている『マルクス主義』ないし『史的唯物論』は、こうした弱者救済主義とはっきり峻別されなければならないということである。なぜなら、資本主義化の過程で最も社会的弱者になった没落する小経営と熟練労働者をマルクスやエンゲルスは救済しようとしなかったからである」(231~232頁)。
「したがって、われわれがものごとの正しく客観的な評価をおこなうためには、『われわれ』に染みついた左翼的心情から離れ、ものごとをトータルに評価しうる視点を獲得しなければならない」(232頁)。
もしこのような単純な生産力主義がマルクス主義の名において許容されるなら、生産力を飛躍的に発展させたあらゆる戦争も肯定されるべきだろう。第1次世界大戦は先進資本主義国の生産力、技術力を著しく発展させたが、大西的観点に立つなら当然、それに賛成しなければならない。実際、ロシアのプレハーノフらは、戦争の勝利がロシアの経済発展につながるという理由で熱烈な祖国防衛主義者となった。だが、大西氏が尊敬するレーニンは、プレハーノフのこのような態度を帝国主義的経済主義と断じ、プレハーノフを最も恥知らずな排外主義者として糾弾した。
「帝国主義的経済主義」というのは実に見事なネーミングであり、現在の大西広氏の立場をも「客観的」かつ「トータル」に評価したものであると言える。大西氏は、自分の立場をあたかも客観的なものであるかのように言っているが、実際には、日本帝国主義の上層という特権階層の立場からものごとを見ているのである。そこには、日本の帝国主義的地位に安住した特権的知識人の傲慢さ、けっして自分が社会的弱者にならない自信が、最も露骨な形で示されている。
この帝国主義的「マルクス主義」者は、最近、またぞろ新しい「理論」をひっさげて、一部の講壇マルクス主義者のサロンを賑わせている。おそらく大西氏の影響自体はそれほど大きなものではないだろうが、そこに示されている理論的傾向はきわめて危険なものであり、また現在の支配層の志向を顕著に体現している。そこで、この新理論を取り上げてその意味と本質を明らかにしておきたい。