不破政権論について改めて考える

3、細川政権は自民党政治の単なる継承か

 次に「自民党政治の打破」という文言をめぐって、一連のやり取りが行なわれています。その中で、タケル同志はこう述べています。

ただ「反動的な打破」って言葉は使わんでしょう。あなた方自身も細川政権は自民党政治の継承だって言ってましたよね。

 「反動的な打破」という言葉は別に使用してもとくに問題はないと思いますが、いずれにせよ、タケル同志のこの評価は不正確です。実際に私たちが細川政権についてどう述べていたかについて振り返ってみましょう。『さざ波通信』第1号のインタビューの中で、H・T氏は次のように述べています。

細川政権の真の問題点は、自民党政治を継承した部分にあるというよりも(もちろん、それも問題ですが)、むしろそれを変えた部分にこそあったのです。すなわち、中選挙区制を廃止して小選挙区制を導入したこと、そして、伝統的な農民保護政策を転換して米の輸入自由化を断行したことです。

 このように私たちは細川政権を「自民党政治の継承」という側面だけで規定したのではなく、「継承」と同時にそれを「変えた部分」(すなわち「反動的打破」)にも注目し、むしろこの後者こそが問題だとはっきり述べています。これがなぜ自民党政治の「反動的打破」と言いうるのかについては、『さざ波通信』の各号で詳しく展開されていますので、それを参照してください。
 ところで、今回の不破政権論は「自民党政治の部分的打破」と言っています。つまり、「部分的」に打破される以外の残りの部分は、「自民党政治の継承」になるわけです。したがって、不破氏の展望する暫定連合政権も、部分的に打破されるが全体としては自民党政治が継承される政権となります。前回の『さざ波通信』で指摘したように、これはまさに、細川政権を少し左にずらしたものとなるでしょう。
 さて、細川政権を構成していた政治勢力と、現在、野党や与党を担っている政治勢力との間には、いったいどんな本質的な相違があるのでしょう? 日本共産党は当時、細川政権を「第二自民党政権」と呼びました。すでに述べたことから明らかなように、私たちはこのような規定には反対です。なぜなら細川政権は、新保守主義への明確な政治的転換を画するものだからです。しかし、いずれにしてもそれが反動的な政権であったことに変わりはありません。この「第二自民党政権」を構成していたのは、社会党、新生党、日本新党、公明党、新党さきがけ、などです。これらの政党は公明党を除けばすべてなくなりましたが、それらの政党を構成していた議員たちは概ね今でもその後にできた新しい諸政党を構成しています。一部は自由党に行ったり自民党に復党したりして、現在は与党になっていますが、残りは今でも別の政党名で野党を担っています。細川政権を構成していたときは「第二自民党」でしかなかった人々が、別の政党名で結集すると、どうして、自民党政治を――部分的であれ――進歩的な方向で打破できるようになるのでしょう。いったいどんな劇的な変化がこれらの議員の中で起こったのでしょうか。
 もちろん、何も起こっていません。彼らは今でも細川政権を評価しているし、それが行なった諸政策を正しい政策だとみなしています。それどころか彼らはむしろ、細川政権によって着手された改革路線をもっと徹底して遂行しようとしています。民主党は議員定数を削減し、小選挙区制を拡大しようとしています。彼らは、農業であれ医療であれ福祉であれ、市場原理をもっと大胆に取り入れるべきだと主張しています。「第二自民党政権」でしかなかった政権が着手した改革路線をいっそう徹底しようとしている政党が、どうして、自民党政治を進歩的な方向で打破できるのでしょうか? 私たちにはまったく理解できません。
 変化が起こったのは、これらの野党議員の中ではなく、わが党の指導部の中です。宮本議長が引退し、不破哲三氏の政治的ヘゲモニーが完全に確立されました。そして、一連の共産党の躍進が起こり、指導部はたちまち議会主義的幻想にのめり込み始めました。かくして、わが党の大胆な右傾化路線が始まったのです。私たちはもちろん、元議長である宮本顕治氏の政治姿勢や政治的手法、そのスターリン主義的体質や独善に対して大いに批判的意見を持っていますし、ずっと以前から党内で、宮本氏の政治的立場を厳しく糾弾してきました。しかしながら、私たちは、宮本氏引退後の党の右傾化には大きな驚きをもって見ています。とりわけ、一昨年における不破政権論には重大なショックを受けました。
 私たちが不破指導部の右傾化を云々しているのは、マスコミの影響を受けたからであるとタケル同志は述べていますが、とんでもない推断です。マスコミはむしろこうした転換を高く評価し歓迎しています。私たちは、マスコミが何らかの評価を下す以前から、不破政権論を知ったその瞬間から、共産党指導部が踏み出したこの決定的な一歩に重大な衝撃を受けたのです。
 不破指導部のこのような大胆な右傾化を十分に予想していなかったこと、それに対する警戒を党内で呼びかけてこなかったこと、これは私たちの深刻な弱点であり、政治的誤りです。だからこそ、私たちは、今、インターネットを通じて、声を大にして、今後予想される危険性に対して警告しているのです。この私たちの懸念がタケル同志の言うように本当に杞憂であれば、どんなにすばらしいことでしょう。しかし、その後の政治的経過は、私たちの警告の正しさを、私たち自身の予想すら越えて証明しています。国旗・国歌をめぐる共産党指導部の裏切り行為、不審船銃撃事件に対する曖昧な態度、東南アジア歴訪の際に見せた姿勢などはその典型例です。あれらは偶然ではありませんでした。政権入りを果たすためという政治的配慮から出てきた必然的現象です。

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