不破政権論について改めて考える

11、分裂の時代と日本共産党の任務

 最後に、現代という時代の基本的特徴を簡単に振り返ることで、不破政権論の本質的誤りを再確認しておきましょう。
 タケル同志は、民主党の新保守的本質が変わりうると考えています。

「ブルジョア勢力」をどこまで広げるつもりですか。民主党の支持層はプチブルないし都市労働者でしょう。こうした人々と手を組まずに日本革命は有りえません。確かに民主党の本質は新保守と言っても差し支えないと思いますが、変わりえるのです。例えば、産別に対抗して産まれた総評が日本の労働運動を支えてきた歴史を思いだして下さい。

 このような予想は妥当するでしょうか。残念ながら妥当しません。総評が生まれたころの日本と現在の帝国主義日本とでは、根本的に情勢が変わっているのです。民主党の支持基盤は、都市労働者一般ではなく、主としてその上層です。この事実を見落としてはなりません。
 戦後、日本を含む多くの先進資本主義国は、帝国主義的世界秩序とフォード主義的生産システムと福祉国家体制のもとで、総じて階層格差を系統的に縮小しながら経済成長と国民統合を行なってきました。しかし、このようなバラ色の時代は、1970年代初頭のドルショックと石油ショックを契機に終焉し、低成長の時代が訪れます。急速な右上がりの経済成長を前提とした福祉国家体制は縮小しはじめました。また、それとともに、旧来の重厚長大型の生産は行き詰まりはじめ、大規模工場で大量の労働者を長期間働かせるという安定したシステムはほころびはじめました。さらに、企業活動と市場の多国籍化・国際化は、相対的に閉じられた国内市場のもとでの経済成長を前提していた福祉国家体制をいっそう脅かしました。
 さらに80年代に入ると、グローバルな競争に促されて、生産はますます情報化・コンピューター化され、労働者の数は減らされ、長期・安定雇用から短期・不安定雇用にきりかえられ、雇用の流動化が急速に進みました。現在の基幹産業である情報通信産業は、それまでの主流であった自動車産業や鉄鋼などと根本的に違い、発展すればするほど、全社会的に雇用を削減する効果を持ちます。それでいながら、情報通信産業の雇用創出力はきわめて脆弱で、しかも、ごく中心的な基幹部分を除けば、短期雇用や外部委託ですますことが可能な仕組みになっています。  このように、財政赤字の常態化による財政構造の転換、グローバル化の進展による市場構造の転換、情報通信産業を中心とした産業構造の転換、そしてさらに少子高齢化による人口構造の転換などなどは、安定した経済成長と国民的福祉の持続的発展という組み合わせを完全に不可能にしました。国民のある部分が豊かになるためには、他の部分が貧しくならなければならないという、資本主義の鉄の法則が再び優勢になるようになったのです。
 こうした中で、アメリカ帝国主義も日本独占資本も、多国籍企業と西側同盟を中心とする新自由主義的グローバリズムを推進しつつ、その過程で生じる混乱や地域紛争を圧倒的軍事力で押さえつける新しい帝国主義的秩序の構築を、その基本路線とするようになりました。また、全国民的統合ではなく、下層を切り捨て中上層に依拠する階層的統合を目的意識的に追求するようになりました。新自由主義と新帝国主義との結合を「新保守主義」と呼ぶなら、まさにこの新保守主義こそが、日米支配層の(そして基本的には世界のすべての先進資本主義国の支配層の)主要戦略となったのです。
 ですから、タケル同志が、「私たちの当面する敵は、あくまでも『アメリカ帝国主義』『日本独占資本』であって、新保守主義や民主党や自由党ではありません」とおっしゃっているのは、まったく問題の本質を見失っていると言えます。民主党も自由党も、自民党を真ん中にして、この新保守主義をそれぞれの立場から担っているのです。民主党はより洗練され、よりソフトな分派として、自由党はより露骨で、よりハードな分派として(以上の問題については、『さざ波通信』第4号および第5号の「新ガイドライン法の成立と従属帝国主義」(上)および(下)も参照してください)。
 さて、こうした時代の流れの中で、「国民」という一枚岩の存在はますます幻想になりつつあります。豊かな国民と貧しい国民、安定した雇用と収入を保障されている国民と保障されていない国民、競争に強い国民と弱い国民、経済の新しい流れにうまく乗ることのできる国民と乗ることのできない国民、このように国民は大きく分裂し始めたのです。そこへさらに、外国人労働者の流入が起こることで、ますます「国民」の均質性は崩壊していきます。
 国民一般の利益を守るというポーズはますます虚構になり、今後は国民のどの階層に依拠するのかが決定的に問われるようになるでしょう。民主党や自由党は基本的に国民の中上層に、とりわけ上層に依拠するという選択をしました。共産党は半ば無意識的に、新社会党は意識的に中下層に依拠しようとしています。社民党はこの中間で右往左往しています。自民党は、大規模公共事業という麻薬で下層の痛みを一時的に麻痺させながら中上層に依拠しようとしています。公明党は、その組織力と宗教的忠誠心を利用することで下層の支持をつなぎとめつつ、自民党政権に実働部隊を提供する代わりに「ばらまき」の恩恵を引き出すことで延命をはかっています。
 今後ますます階層分化は進み、ますます国民の分裂は進行するでしょう。こうした状況のもとで、民主党と共産党とがそれぞれ依拠する基盤はますます対立を深めていきます。民主党はますます都市上層の党として純化されていくでしょう。民主党の新保守主義的本質は、変わるどころかますます強化されていくでしょう。
 さて問題は共産党です。中下層への依存という事実そのものは、けっして、その政党の変質を防ぐ絶対的な保障にはなりません。中下層に依拠しながら、その利益を裏切り、上層からのおこぼれを獲得する戦略に転換した公明党の例が目の前にあります。あるいは、89~90年の選挙における躍進のおかげで支持基盤が中下層から上層までに拡散することで分裂崩壊した旧社会党の例もあります。
 共産党も、この間の躍進によって、支持基盤の一定の拡散が見られます。そして指導部の現在の「現実主義」路線がこのまま進行するなら、やがては党そのものの変質にいきつくことでしょう。不破政権論はその重大な一歩でした。総選挙後に本当に連合政権に入ったなら、その変質は8割がた完成することになるでしょう。日本の下層は、自らの利益を代弁してくれる政党を失うでしょう。アメリカのように、政治の舞台において、下層の利益を代表してくれる政党が存在しなくなると、下層は政治的絶望とシニシズムに落ち込み、政治は堕落し、社会は崩壊します。変革の展望は、永遠にとは言わないまでも、長期にわたって遠のきます。
 このような事態を回避するために共産党に本当に必要とされていることは何でしょうか。それは、民主党との連合政権という幻想にうつつを抜かすことではなく、草の根から根本的な運動を再構築し、新社会党や社民党や革新無党派層、下層の保守層と持続的かつ広範な統一戦線を結成し、自自公ブロック、民主党ブロックに対抗する第3のブロック、すなわち「護憲と革新のブロック」を構築することです。危機の先送りや単なる食い止めでもなく、社会全体の変革と結びついた展望を労働者市民に示していくことです。これこそが、21世紀の革新政権と「21世紀の社会主義」を実現する唯一の道であり、日本共産党の政治的責務であると、私たちは考えます。

2000/3/12-13編集部S・T

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