総選挙の表面的総括に終始した6中総

4、政策論戦上の問題点(2)――政権の枠組み論

 志位書記局長は次に、政策論戦上の問題点の2つ目として、「政権の枠組みの選択」論に対する対応について反省の弁を口にしている。

 こんどの選挙戦で政権与党の側は、「自公保政権による安定か、民共政権による混乱か」という架空の土俵をつくることによって、みずからの悪政を隠し、日本共産党を「混乱」をもたらす「元凶」として攻撃する戦略をとりました。マスコミも「政権の枠組みの選択」が選挙戦の最大の争点であるとするキャンペーンを大々的におこないました。
 これを打破する論戦の方向は、五月の都道府県委員長会議で明瞭にされていました。この会議の報告では、自公保連立の政治と、日本共産党の「日本改革」の提案と、「どちらが、国民にとって安定であり、どちらが混乱・破綻なのかを、政策の中身で明確に対比する、これが第一の勝負」であると強調しています。
 この方針にそくして、自公保連立という「政権の枠組み」が国民にとっていかに有害で危険なものであるかを、政治の中身で正面から告発し、わが党への攻撃をはねかえしてその値打ちを押し出す攻めの論戦が必要でありました。しかし、全有権者を対象とした宣伝物などでは、この問題を攻勢的に解明することは十分とはいえませんでした。

 この問題を攻勢的に解明せず、守勢に回ったことを反省している。たしかに、選挙直前における不破委員長の記者会見では、政権の枠組み論が最大争点になっていることに不満を述べるだけで、何ら攻勢的な解明はなされていなかった。だが、ここでも、いちばん重要な問題は、言われていることではなく、言われていないことにある。
 まず第1に、先ほどと同じく、なにゆえ「攻勢的な解明」ができなかったのか、その理由について何ら解明されていない。第2に、なぜそもそも「政権の枠組み選択」論が最大争点になってしまったのか、この問題についてもまったく解明されていない。
 まずもって、政権の枠組み論をめぐって「攻勢的な解明」をすることなど、最初から不可能であった。もし問題になっているのが、共産党が主導的な役割を果たす民主連合政権ならば、当然、保守政権か民主連合政権かという政権選択論において、後者を打ち出す攻勢的な解明がなされるのは当然である。しかし、今回の場合、そのような政権はまったく問題になっていない。問題になったのは、野党の暫定連合政権だけである。だが、この「野党連合政権」はいったい、いかなる政策を実行する政権であろうか? 共産党はその政権の中で、絶対に譲れないどのような政策を堅持し実現させるのであろうか? だが、こうした肝腎要の問題についてはついに最後まで語られずじまいだった。
 ただ野党だからという理由だけで、選挙で多数派になれば政権をつくるという話になるだろうか? それこそ「野合」以外の何ものでもない。不破委員長は、「野合」は、与党と野党がくっつく場合であって、野党同士がくっつく場合は「野合」ではないという新しい定義を選挙前に披露したが、それはまったくナンセンスである。政権をつくる際に決定的なのは具体的な政策である。それなしに、ただ数の上だけ多数になるから組んで政権をつくると言うのは、まったく有権者を愚弄するものでしかない。
 私たちが昨年から繰り返し指摘してきたように、不破委員長が提唱した「野党連合政権」にはいかなる具体的な政策的基盤もなかった。これまでの「よりましな政府」論においては、小選挙区制導入阻止やロッキード疑獄解明など、常に何らかの具体的な政策実現を前提にして野党の暫定連合政権が呼びかけられていた。ところが、今回においては、ついに最後まで、どのような政策を実現する「よりましな政府」なのかまったく語られることはなかった。「自民党政治を1歩でも2歩でも抜け出す」政権という曖昧至極な言い回しが用いられただけである。
 だがこれは必然的であった。なぜなら、まず第1に、不破政権論は、これまでの「よりまし政府」論と根本的に違って、他の野党の本質暴露という戦術的なものから、何が何でも政権に参加するという戦略的なものへと本質的な変質を遂げたからである。第2に、これまでの「よりまし政府」論においては、政権を組む主たる対象は、政策の基本的方向性が概ね一致していた革新野党である社会党であったのに対し、今回の不破政権論においては、政策の基本的方向性が完全に対立する新自由主義的野党である民主党だからである。共産党が、今回の総選挙直前に最大の争点にした消費税増税反対ですら、民主党とまったく一致していない。一方では、消費税増税反対を最大の争点にしておきながら、他方では、消費税増税に賛成である民主党と、選挙結果しだいではいっしょに政権をつくるという。このようないいかげんな政権論を、いったいどうやって「攻勢的に解明」するというのか? 
 次に、そもそもなぜ「政権の枠組みの選択」論が最大の争点になってしまったのか? それはけっして与党やマスコミの陰謀ではない。すでに号外第5号で明らかにしたように、その最大の理由は、共産党が、安保廃棄などの基本政策を棚上げ(凍結論)してまで、野党の連合政権の実現に努力する姿勢を、98年参院選直後に打ち出したことである。その後、立て続いた共産党の「柔軟姿勢」(国旗・国歌の法制化の容認、不審船事件への曖昧な態度、民主党への批判回避、自衛隊をめぐる基本政策の転換、皇太后への弔意表明、消費税減税の先送り等々)は、政権入りをめざす共産党の「本気」さをマスコミと与党に実感させるに十分なものであった。民主党の一貫した拒否姿勢にもかかわらず、不破委員長らは不敵な笑みを浮かべて、「政治のおもしろさ」について語りさえした。それはまさに共産党の自信を示すものだった。
 民主党単独で、あるいは、民主党と社民党だけで野党の連合政権が実現することはまずありえないと、マスコミも与党も考えていた(ぎりぎりになって野党になった自由党を入れてもそうだ)。問題なのは、当時躍進が予想されていた共産党の出方である。その共産党が、さまざまな基本政策を棚上げするか転換してまで、政権への並々ならぬ意欲を見せた。この事実こそが、「政権の枠組みの選択」論が最大の争点になった理由である。
 したがって、「政権の枠組みの選択」論は争点そらしだという非難は、ブーメランのごとく自らに返ってくる。政策的基盤を曖昧にしたまま野党連合政権論にふけったことこそ、争点そらしを与党にさせる最大の口実を作った元凶なのである。

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