3中総の批判的検討
 ――敗北の教訓は本当に汲みとられたか

6、党は新しい前進を切り開けるか

 志位報告は最後に党建設の問題について触れている。

 質量ともに強く大きな党を建設することは、参議院選挙の最大の教訓でした。新たな反共の逆流を打ち破り、つぎの選挙で前進に転じるうえでも、その最大の力となるのは、党勢拡大の上げ潮をつくることにあります。二十一世紀の早い時期に民主連合政府をめざすという、わが党の歴史的任務にてらしても、そのための国民的多数派をつくるかなめになるのは、強大な日本共産党の建設であります。いま党建設に思い切って力を入れるべき歴史的時期であります。
 党大会決定は、党建設は、ひとり日本共産党にとってのみならず、国民的意義をもった課題だということを強調しました。そのことは今日の情勢のもとでいよいよ重要な意味をもっています。一方で、自民党政治の大規模な崩れとゆきづまりがすすんでいます。「政治を変えてほしい」という国民の熱い思いは、かつてなく強く広いものがあります。民主的改革の客観的条件は熟しています。しかし、他方で、政治を変える主体的条件は、熟しているとはいえない。とくに日本共産党の力量は、質量ともに、情勢がもとめているものに立ち遅れています。その大きなギャップが、「小泉旋風」といわれる現象の根底にあるのではないでしょうか。いま党を大きくすることは、日本社会と日本国民にたいする、私たちの重大な責任であります。

 強大な党を建設することにもちろん異議はない。それが、今日、きわめて切実に求められているというのもその通りであろう。しかしながら、ここでの党指導部の認識には、なお深刻な問題があることを指摘しないわけにはいかない。
 まず第一に、「民主的改革の客観的条件は熟しています。しかし、他方で、政治を変える主体的条件は、熟しているとはいえない」というあいかわらずの楽観論である。もし本当に「客観的条件」が熟しているのなら、それに見合った主体的条件を構築することはそれほど困難なことではない。すでに30数万人の隊列が確保されているのだから、それを基盤にして、成熟した客観的条件を主体的条件の成熟に転化させることは、きわめて容易なことである。志位報告は、この「客観的条件」の成熟の指標として、「『政治を変えてほしい』という国民の熱い思いは、かつてなく強く広いものがあ」るということを挙げている。しかし、このような捉え方がいちじるしく一面的であることは、すでにこれまでの『さざ波通信』で詳しく述べてきたとおりである。
 たとえば、『さざ波通信』第21号の論文「小泉内閣の本質と2中総の評価」の中でわれわれはこう述べている。

 小泉人気を支える世論は一枚岩ではない。……社会の上層と中下層とでは、小泉に対する期待の内実には大きな差がある。中層の一部を巻き込んでの上層の基本的な期待は、新自由主義系の大手マスコミの論調に典型的に示されているように、真に本格的な新自由主義政権ができたことに対する期待であり、本気で、弱者擁護的な旧来の利益政治構造を打破し、競争と市場にもとづく弱肉強食の社会をつくってくれる、豊かな者がもっと豊かになれる社会をつくってくれるという期待である。
 中下層においては、一つには、マスコミによる影響、もう一つには、あまりに長引く不況による苛立ち、あまりにひどい森首相に対する徹底的な絶望、いや政党政治そのものに対する幻滅とがないまぜになって、その絶望感のはけ口を、何かやってくれそうなポピュリズム政治家にはけ口を求めたことにある。……
 現在の「小泉政変」は、形式的には、96年の橋本内閣の「構造改革」路線の継続だが、歴史的には、この93年政変の継続、しかも新しい段階での継続である。必要なのは、小泉人気を支えている力に対する幻想を掻き立てることではなく、「流れに抗して」泳ぐ覚悟とその能力を鍛えることである。

 この批判は、今回の3中総にもあてはまる。「政治を変えてほしい」という国民の期待の高まりは、それ自体としては、いかなる意味でも、進歩的方向への変革の客観的条件が熟していることを示すものではない。このことを理解しないかぎり、これからの本格的な反動期を乗り切ることはできないだろう。
 第二に、思い切った党建設をする上で大きな障害になっているのが、現在の共産党の体質そのものであるということを完全に無視している。あいかわらずの官僚的・独善的体質、上意下達の指導体制、インターネットでの発言さえ除籍の理由にする全体主義的統制、大きな方針転換でさえまともな党内討論も異論もなしにすいすい通る党内状況(海上保安庁法改悪案に突然賛成に回ったことに対し、ほとんどまったく党内からの異論が聞かれないことは、その典型的な現われである)、これらは、思い切った党建設をする上で最大の主体的障害になっている。今までどおりの、あるいは、以前よりさらにひどくなった官僚体質にメスを入れることなく、個々の党員に叱咤激励をして本格的な党建設が進むと思っているとすれば、それは許しがたい幻想である。無駄な公共事業中心の景気回復策が無力化しているのとまったく同じように、「大運動」なる旧来型の組織引き締め策は完全に無力化しているのである。

←前のページ もくじ 次のページ→

このページの先頭へ