今回の海上保安庁法「改正」案は、同時テロ事件を契機に一気に浮上・成立したとはいえ、その重大な契機となったのは、99年2月の「不審船」をめぐる一連の問題である。史上初めて「海上警備行動」が発動され、海上自衛隊の護衛艦と哨戒機が、合計1300発(海上保安庁の分を含む)もの警告射撃を行なったことに対し、日本共産党の不破委員長(当時)は、憲法擁護の立場からの批判をなに一つ行なわず、「全容の究明」を述べるだけで、その後においても沈黙を守った。
結局、日本共産党は、この「不審船」事件に関して正式にコメントをしないまま事態が進行し、政府内では、「不審船」事件を口実とした法整備が着々と進められていった。
私たちは、「さざ波通信」2号の雑録「不審船への警告射撃は憲法違反――共産党は断固糾弾せよ! 」のなかで、このときの日本共産党の対応の問題を指摘し厳しく批判した。
しかし、実はこのときすでに、我が党指導部は、憲法の平和主義を擁護するという立場から決定的に離別をはじめていたのである。これは、党の右転落を危惧していた私たち編集部の予想を、その規模もそのスピードもはるかに上まわるものであった。
たとえば、『しんぶん赤旗』の客観報道的な記事として見過ごされていたものにも、武力行使を容認する重大なメッセージが含まれていた。
海保のヘリ防御推進/不審船対策を強化 1999.08.19 日刊紙
海上保安庁は十七日までに、不審船への対応能力の強化策として同庁のヘリコプターを防弾材で覆うなどして防御能力を高めることを決め、経費を来年度予算の概算要求に盛り込みます。武器を携帯してヘリに乗り込んだ保安官が威嚇、支援射撃することができるとの判断も固めています。
三月の不審船の領海侵犯事件では、海上自衛隊からの通報をうけて海上保安庁の巡視船艇が、二隻の不審船を追跡。巡視船艇は停船させようと威嚇射撃しましたが、スピードに勝る不審船に振り切られました。一方、航空機は不審船に追い付き、追跡・監視していましたが、武器が搭載されていませんでした。
防備強化により、ヘリは従来以上に不審船に接近し、活動できます。同庁は、ヘリに機銃などの武器を取り付けることは構造上困難で、同庁所有の固定翼機からは威嚇射撃できないとしています。
この記事は、その大部分が客観報道として構成されているが、よく読めば「武器が搭載されていませんでした」という箇所が、「しんぶん赤旗」によって記述されていることがわかる。驚くべきことに、日本共産党はこのとき、武器を搭載していたならば武力行使が必要な場面であった、という内なるメッセージを送っていたのである。
また、「しんぶん赤旗」にはなぜか掲載されていないが、国会においても同様のやりとりがなされていた。2000年4月18日の衆議院安保委で、日本共産党の佐々木陸海氏が「不審船」事件に関して次のような質疑をしていた。
佐々木陸海議員
ああいう不審船が来た場合に、捕まえて、そしてもう二度とそういうことができないようにきちんと調べてということをやりたいという国民の感情も、それは当然ですよ。しかし同時に、私が言いたいのは、今日本の周辺の国が、至るところの国が日本にどんどん不審船や工作船を派遣して、日本の様子を探っている、どの国か捕まえてみなきゃわからないなんという国民の意識じゃないんですよ。大体あんなことをやるのは、ああ、あの国だなというのはあるわけです、国民の合意として、意識として。そういう事態でしょう。今、世界の国々が、どの国も全部ああいう不審船を出して、互いに相手の国の動静を探り合うなんということをやっているような時代じゃないんですよ。かなり時代おくれの、ああいうことをやっている、それはどこかということは、日本国民ならだれもわかっているわけです。
そして、そういう国に対して、そういうことをやる者に対して、抑止と対話という、国際的には二つの対処方法があるということも私もよく存じています。そして、日本の対処の基本というのはどういうところにあるべきかという問題があるわけで、これは皆さんがどう考えようと、今の日本国憲法のもとでは、海上保安庁を本当に必要なだけ強めて、これを追っ払うなら追っ払うということをきちんとやるというのが今の憲法のもとでの基本的な対応方法であって、だから、自衛隊法の八十二条なんかをああいうのに発動するということになると、さっき防衛庁長官ちょっと答弁に詰まったように、まともな説明もつかなくなるようなことも起こってくるということを私は指摘したいわけです。
このように、このときすでに佐々木陸海氏は、「海上保安庁」という警察力を「必要なだけ強め」ることを主張している。いつ、どうやって、このような立場が決定されたのか? なぜ「しんぶん赤旗」には、この質疑の内容が掲載されないのか?
この佐々木発言と「しんぶん赤旗」記事とあわせて考えるならば、私たちはもっと早く指導部の変質に気付き、近い将来に日本共産党が「主権」の名のもとに日本の武力行使を容認する立場に転落する危険性があることを強く強く訴えていかなければならなかった。