民族主義的自画自賛に終始した共産党史論
――党創立80周年の不破演説批判

3、イタリア共産党とフランス共産党

 このように、不破氏は、日本と日本共産党の戦後史をもっぱら日本と外国(アメリカとソ連)との関係だけから検討し、あたかももっぱら日本(日本国と日本共産党)が一方的な被害者であったかのように描き出している。このような一面的立場はさらにエスカレートし、ソ連との関係が、イタリア党とフランス党の現状を説明する主要な要因にまで高められている。

 「ヨーロッパではどうだったでしょうか。さきほど、チェコスロバキアやアフガニスタンの問題の時にも、ヨーロッパの諸党の間では、正面からの告発はなかったということを申しました。ソ連共産党が崩壊した後、そこからでてきた秘密文書の中には、これらの党が長い間、ソ連から秘密資金の巨額の援助を受けてきたこと、それが、ソ連の覇権主義と正面からたたかえない物質的な背景となってきたことまでが、明らかに記録されていました。
 しかし、フランスの党も、イタリアの党も、過去と真剣に立ち向かいこれを誤りとしてただす誠実な態度はとりませんでした。そのことが、それぞれの国の政局の中で、政権がらみの動きに不明りょうさがあったこととも重なって、90年代以後の政治的後退の大きな原因の一つとなったことは、疑いないと思います。
 最近のことを紹介しますと、フランスでは、この4月と6月に大統領選挙と総選挙がありました。フランス共産党は、戦後長い間、ずっと20%台の得票を維持してきた政党ですが、4月の大統領選挙では、得票率3・4%、16人の候補のうち11番目。6月の総選挙では、得票率4・9%。フランスのマスコミの間でもまさに党の存在を問われるという、大後退を喫しました。
 イタリアは、共産党が、ソ連問題に正面から立ち向かうのではなしに、90年代のはじめ、共産党の名前も科学的社会主義の理論も捨てることで、つまり、社会民主主義政党の一つに変わることで、ソ連とのいわば悪影響を断ち切るというやり方をとりました。そのとき、左翼民主党と名前を変えたのです」。

 まずもってイタリア共産党についてだが、イタリア共産党の主流派がイタリア左翼民主党に衣替えして、現在の不破路線を先取りする右傾化路線をとった主要な理由は、ソ連共産党に対する態度が曖昧だったからではまったくない。多くの元「共産主義者」は、わが党が「ソ連崩壊歓迎論」をぶち上げるはるか以前からソ連完全変質論を媒介にして、反共リベラリストの立場へと移行している。イタリア共産党が1991年以前からソ連完全変質論をとっていたとしても、そのことは、イタリア共産党主流派の右傾化を促進することはあっても、それを押しとどめることにはならなかったろう。
 事実、このイタリア共産党主流派の右傾化に最も抵抗してイタリア共産主義再建党に結集したのは、ソ連追随派として有名であったコスッタ派であった(後にコスッタ派はイタリア共産主義再建党から分裂)。この事実を不破氏はいったいどう説明するのか? あらゆる問題をソ連との関係だけから裁断しようとする不破氏の歪んだ歴史観の無理がここにはっきりと示されている。
 またフランス党の最近の選挙での没落についても、不破氏はソ連に対して同党が追随的であったことでもって説明しようとしている。だが、すでに前号の『さざ波通信』の雑録「フランス大統領選――ルペンの勝利が教えるもの」で明らかにしたように、今回の選挙での敗北の主要原因は、10年以上も前に崩壊したソ連との関係では何らなく、現在、不破=志位指導部が追求している「資本主義の枠内での民主的改革」路線がしかるべき成果をあげることができず、左右のより断固とした勢力に挟撃されたことにある。『しんぶん赤旗』でさえ、フランスの選挙を論評した記事の中で、そうした読面が大後退の主要な理由であったことを認めていた。にもかかわらず、不破氏は、この決定的な要因については「政権がらみの動きに不明りょうさがあったこと」というきわめて曖昧でお茶を濁したような表現でごまかし、もっぱら自党に都合のよいように事態を描き出しているのである。
 もう一つ指摘しておかなければならないのは、この不破講演においては、フランス党の没落やイタリア共産党の変質が、何か喜ばしいことであるかのように持ち出されていることである。不破氏は他の党の混迷と没落をどこかで喜んでいるようなふしがある。それによって、曲がりなりにも40万の党を維持している日本共産党の相対的地位が浮上すると思っているのだろう。何という民族主義的傲慢さであることか! 他の国の人民のことはどうでもいい、自分の党の評判さえ上がればそれでいいのだ、これが不破氏の「共産主義的」感覚である。

 この講演のそれ以外の部分では、すでに私たちが繰り返し批判してきた論点が繰り返されているので、それについては過去の『さざ波通信』を参考にしていただきたい。最後にもう一度言っておきたいのは、歴史を自党にとって(いや党官僚にとって)都合のいいように歪めて自画自賛するような歴史観からは、何ら積極的なものは生まれないこと、それはただ共産党をいっそう腐らせ、民族主義的うぬぼれを骨の髄まで浸透させるだけである。

2002.7.20 (S・T編集部員)

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