綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(下)

40、社会主義的変革の内容(3)――生産手段の社会化

 綱領改定案で削除された部分についての検討は以上である。次に新たに加えられた部分について検討しよう。ここでは何よりも、綱領改定案で「生産手段の社会化」について記述が詳しくなった点について検討したい。

  生産手段の社会化の範囲と内容
 綱領改定案では、すでに引用したように、生産手段の社会化について「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す」とされている。現行綱領では「大企業の手にある主要な生産手段を社会の手に移す」となっている。
 まずもって指摘しておくが、マルクスやエンゲルスが「生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す」という意味で「生産手段の社会化」という表現を用いたことはない。引用好きの不破も、これまでただの一度も、そういう意味でマルクスが「生産手段の社会化」という用語を用いた事例をただの一度も引用したことがない。マルクスにあっては「生産手段の社会化」は基本的に資本主義的生産の発展の中で、生産手段が巨大化し、集団的な労働者によってしか使用できないものになることを指している。だがここではこの問題は本質的なものではない。われわれもいちいち別の言い方をするのは面倒なので、本稿においては「生産手段の社会化」を不破が言うような意味で使うことにする。
 まず、現行綱領での規定と綱領改定案での規定との違いの第一は、社会化する生産手段の範囲が現行綱領では「大企業の手にある」となっているのが、綱領改定案ではその部分が削除されて「主要な」という曖昧な表現だけになっていることである。この点について、「質問・意見に答える」の中で不破は、次のように述べている。

 「社会主義的変革の内容についてですが、西山さんから、前の綱領では、『社会化』の対象が『大企業の手にある主要な生産手段』となっていたが、今回は大企業という限定がなく、『主な生産手段』に変わっている理由について、質問がありました。これは、『社会主義・共産主義の社会』の全段階を頭にいれて、その基礎をなす『生産手段の社会化』を説明するところですから、人間による人間の搾取を全体的に廃止するという大目標も念頭において、より広い表現にしたものです」
 ※注 この引用文にはきわめて奇妙な表現があることを指摘しておきたい。本筋からはずれるが、党指導部とそれに追随的な党員たちの潜在意識を思わず暴露するものとして興味深い。つまり、現行綱領のことが「前の綱領」と表現されていることである。「西山さん」が実際にそう表現したのだろうが、この表現の誤りに不破自身がまったく気づかず、そのまま用いている。彼らにとっては、まだ変えられてもいない現在の綱領はすでに「前の綱領」なのである。党内討論も党内選挙も党大会での最終的決定も彼らにとっては存在しないも同然である。党指導部が提起したことがそのまま最終決定となるという経験を何十年と繰り返してきたために、党指導部による提案がそのまますでに現実となっているかのような勘違いが起こるのである。

 この説明によれば、「主要な生産手段」の方がより広い表現であり、「人間による人間の搾取を全体的に廃止するという大目標も念頭におい」たものであるとのことである。もしこの説明が本当だとすれば、この変更は改善だといえるだろう。だが、この変更は別の観点から見ることもできる。「大企業の手にある」という規定を削除することによって、社会化する生産手段の範囲を自在に伸縮することができる。大企業の手にある生産手段を一部残しておいても、「主要な生産手段」は社会化したと強弁する根拠になるかもしれない。
 第二の変更は、現行綱領では「生産手段を社会の手に移す」と簡単に表記されているのが綱領改定案では「生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す」とより詳しく表現されていることである。綱領改定案の表現の方がより正確で詳細であることは間違いない。所有のみならず、管理・運営も問題にしたことは重要である。なぜなら、形式的には所有が全人民や集団的労働者の手に移されても、その実際の決定権や管理・運営が官僚の手に集中される場合もあるからである(旧ソ連・東欧)。これは綱領改定案において表現の改善といえるごくわずかな事例の一つである。

  生産手段の社会化の「効能」
 さらに綱領改定案では続けて、生産手段の社会化の「効能」について詳しく書かれている。不破報告は言う――「続く文章は、『生産手段の社会化』が、どういう意味で、人間社会の進歩に役立つのか、その効能を、三つの角度から特徴づけています」。
 まずもって、「効能」という、あたかも問題になっているのが薬か何かの化学的作用であるかのような表現に大いに疑問を感じないわけにはいかない。たとえば、綱領改定案は、生産手段の社会化の「効能」の一つとして「人間による人間の搾取の廃止」を挙げているが、「搾取の廃止」は「効能」と呼ぶべき事柄であろうか? そこには、労働者階級による自己解放という発想はみじんもなく、どこか自然科学者的な、あるいはテクノクラート的な社会操作主義的な匂いがする。社会を身体に見立て、生産手段の社会化を薬に見立てて、この資本主義的身体にはこの社会主義的薬がよく効きますよ、といった具合である。それは、「社会の次の発展段階」として社会主義・共産主義を提示したのと同じ学校教師的なアプローチの仕方であり、あるいはまた、こうこうこういう素晴らしい効能があるから生産手段の社会化をしましょう、といった風に、まるでセールスマンが自社の商品を消費者に売り込むようなアプローチの仕方である。
 さて、不破報告によると、綱領改定案の言う「生産手段の社会化の効能」には次の三つのものがある。

 「第一。『生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす』(第15節の三つ目の段落)……
 第二。『生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の成員の物質的精神的な生活の発展に移』す。つまり、もうけのための生産から、社会と社会の成員の生活の発展のための生産にきりかわる、ということです。これによって、『経済の計画的な運営』が可能になり、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大を引き起こさないような、有効な規制ができるようになる、ということです(第15節の四つ目の段落)。
 第三。資本主義経済というのは、利潤第一主義ですから、これは本質的に不経済なものです。一方では、利潤第一主義につきものの浪費が、あらゆる分野に現れます。日本の各地に無残な姿をさらしているむだな大型公共事業の残がいは、資本主義的浪費の典型の一つでしょう。また他方では、くりかえしの不況で、せっかく生産手段もあれば労働力もありながら、それが遊休状態におかれ無活動に放置されるということも、日常の現象になっています。そういう浪費や遊休の土台がなくなりますから、本来なら、その点だけからいっても、改定案でいうように、『人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展』が、社会主義・共産主義の社会の特徴になるはずです」。

 以上見たように、「生産手段の社会化の効能」として「人間による人間の搾取の廃止」とか、「社会から貧困をなくす」とか、「環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする」といったことが挙げられている。これらは、現行綱領では書かれていない具体的な事柄であり、環境問題への言及をはじめ、そうした事柄について触れられたことはたしかに改善であるかのように見える。
 だが、ヨーロッパの社会主義政党の反グローバリズム運動を冷ややかに批判した不破自身の主張を思い起こそう。いったい、現代社会において最も「貧困」を全世界的に生み出し、「環境破壊や社会的格差の拡大」をもたらしているのは何か? 先進国労働者と第三世界人民に対する最も残酷な搾取を繰り広げているのは何か? 児童労働や人身売買を蔓延させているのは何か? それは、現在進行しつつある多国籍企業中心の新自由主義的グローバリゼーションである。ところが不破は、こうしたグローバリゼーションそのものは進歩的なものであり、これが生み出すさまざまな害悪に対する解決策を社会主義に見出そうとしたヨーロッパの諸党を侮蔑的に扱っていた。不破によれば、資本主義の枠内の民主的改革で十分、帝国主義的グローバリズムの害悪を取り除き、民主的な国際秩序を作り出すことができるはずなのだ。不破は、本稿の「」ですでに引用したように、次のように述べていた。

 「『グローバル化』は資本主義の利潤追求の現れだから、これに反対してゆく。結局、根本は、この問題も社会主義革命の目で見ているところにあるんだな、と感じました。いまのご時世では、社会主義革命論を以前のようにとなえるわけにゆかないから、国内の改革論としてはあまりそれを表に出さないのだが、『グローバル化』の害悪がはっきりしてきたのをとらえて、いわば世界の舞台でこれを押しだそう、という感じです。……
 私たちの一昨年(1999年)の東南アジア訪問は、ちょうど、国際金融資本が引き起こした金融危機で東南アジア全体が苦しめられた直後の時期でしたが、発展途上国などの経済主権をきちんと守るなどのルールをつくれ、という私たちの立場では、どこにいっても話があうのです。東南アジアの多くの国ぐにが、こういう問題で、私たちと同じ立場でたたかっている。こういう流れが国際的に合流してはじめて、国際的独占資本陣営の不当なやり方に対抗する世界的な戦線をきずきあげることができるのです。
 ところが残念ながら、ヨーロッパの党はそこへゆかないで、多くが『グローバル化反対』で止まってしまっている。
 こういう点からいっても、私たちが綱領で、当面の変革を『資本主義の枠内での民主的改革』ということで性格づけ、いろいろな問題にこの立場で取り組んできたということは、こういう国際的な経験からいっても、なかなか値打ちを発揮してきているのです」(『日本共産党綱領を読む』、116~118頁)。

 資本主義の害悪の最も集中的な現われである新自由主義的グローバリゼーションへの対処が資本主義の枠内で可能ならば、いったいどこに「生産手段の社会化」や社会主義の出番があるというのか? 不破は、教科書的な常識にもとづいて「生産手段の社会化の効能」について書きながら、現実の資本主義の矛盾に対しては資本主義の枠内で取り組むことを主張しているのである。つまり、結局は、不破にとって、「生産手段の社会化」はどこまでも教科書的な二次元世界の事柄であり、けっして現実化することのない遠い将来の「壮大なロマン」にすぎないのである。

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