本稿の「上」においては、綱領改定案の第1章と第2章を検討した。今回の「中」においては、第3章と第4章を検討する。次号の「下」では残りの第5章とそれ以外の諸問題について論じる予定である。なお、この「中」においても、『さざ波通信』の投稿欄および党の公開討論で展開されたさまざまな投稿者の議論を参照にしている。
綱領改定案の第3章「世界情勢――20世紀から21世紀へ」における最も顕著な特徴は、「資本主義の発展段階としての帝国主義」、「世界支配のシステムとしての帝国主義」という本質的・実体的概念が放棄され、「帝国主義」が事実上、特定の国がとる特定の政策に解消されていることである。この転換は、綱領改定案そのものを読むだけではあまり明らかではない。というのも、綱領改定案では現行綱領の叙述が部分的に踏襲されているからである。その改定の真の意図を知るためには、何よりも不破報告が検討の中心的対象にならなければならない。
とはいえ、綱領改定案の冒頭の一句からして、この改定案を指導した不破哲三の意図が垣間見える。現行綱領では、「世界の資本主義は、20世紀とともに、独占資本主義、帝国主義の段階にはいった」となっているが、綱領改定案では「20世紀は、独占資本主義、帝国主義の世界支配をもって始まった」となっている。このように、「段階規定としての帝国主義」という概念が否定され、帝国主義とは基本的に20世紀初頭における植民地支配の歴史的体制として把握されている。このような把握は、戦後、こうした植民地体制が崩壊し、「平和の機関」たる国際連合が結成されたことで、帝国主義はもはや資本主義の世界システムとしてではなく、特定の国がとる特定の政策の問題になったのだという認識に誘導するためである。
厳密に言うならば、現行綱領の規定も不正確である。世界資本主義が帝国主義の段階に入ったのは20世紀からではなく、19世紀後半からである。とっくの昔に帝国主義化していたイギリス資本主義のみならず、ヨーロッパ大陸の主要な資本主義国、ロシア資本主義、そして北アメリカの資本主義がそれぞれ帝国主義化し、植民地略奪競争に乗り出したのは、19世紀後半である。封建日本に開国を迫った黒船がやってきたのはまさにこの19世紀後半であり、この時期に世界資本主義は帝国主義の段階に入ったとみなすべきである。20世紀とともに始まったのは、すでに帝国主義段階にあった世界資本主義が世界の領土的分割を完了させ、再分割をめざす闘争に突入し、それがついには世界戦争にまで行き着く帝国主義戦争の時代である。
それでも、現行綱領は、20世紀が帝国主義の時代であること(つまり、個々の国の問題ではなく、世界資本主義の段階規定として帝国主義の時代であること)を正しく認識している。それは、個々の国にしぼって「独占資本主義=帝国主義」とみなすという形式的・機械的把握にもとづいているのではなく、世界資本主義が全体として――それを構成する個々の資本主義国の具体的ありようにかかわわず(その中には敗戦によって生まれた非帝国主義国がありうる)――帝国主義の段階に突入しているという歴史認識にもとづいているのである。
もちろん、帝国主義システムのありようは、この1世紀において不動のものだったわけではない。
20世紀初頭においては、この帝国主義システムは、ヨーロッパの、ひいては世界の覇権を狙う主要な帝国主義グループ間の対立を基調としていた。イギリスを中心とする古くからの帝国主義諸国と、ドイツを中心とする新興帝国主義諸国という二大グループである。この二大グループが衝突したのが第1次世界大戦であり、その結果として、ロシア社会主義革命が起こり、帝国主義の一元的支配に最初の亀裂が走った。ソ連はコミンテルンを結成し、それは先進資本主義国での社会主義革命のみならず、後進諸国、植民地諸国における民族独立をも鼓舞した。同時に、敗北したドイツ帝国主義が一時的にその軍事力を解体されたが、それによってファシズムの萌芽も生み出された。それ以降、帝国主義同士の対立と、帝国主義と社会主義勢力(ソ連および各国の共産党)との対立、そして帝国主義諸国と植民地諸民族との対立が世界的な対立構造となった。
ドイツ帝国主義の再度の覇権挑戦を担ったドイツ・ファシズムの台頭は第2次世界大戦をもたらしたが、この戦争は米英ソを中心とする連合国側の勝利に終わった。この戦争の結果は、アメリカ帝国主義の世界的覇権を最終的に確立するとともに、今度はソ連一国であった労働者国家を多くの国に広げ、いわゆる「社会主義」世界体制を生み出した。さらに、世界的な民族解放運動のうねりの中で、多くの植民地諸国の独立達成という事態をもたらしたが、それらの国々は、社会主義への道を踏み出したベトナムやユーゴスラビアなどの国々を除いて、帝国主義諸国の新植民地政策のもとで、さまざまな形態での帝国主義的従属のもとに置かれるようになった。また、連合国側の完全勝利によって、ドイツ帝国主義と日本帝国主義の脅威が最終的に取り除かれ、両国においてアメリカ帝国主義の支配下での資本主義的・帝国主義的復活が画策されることになった。
第2次大戦以降、ソ連圏に対する対抗上、帝国主義同士の対立の側面は二次的なものとなり、アメリカ帝国主義を盟主とする帝国主義同盟体制が、いわゆる「三大革命勢力」(資本主義国の革命勢力、「社会主義」諸国、民族解放勢力)と対峙するという構図が世界の主要な対立構図となった。アメリカ帝国主義は、ソ連を中心とする「社会主義」国家群と軍事的・政治的に対峙しつつ(冷戦)、正面対決を回避し、いわゆる「各個撃破政策」をとった。「社会主義」諸国のあいだでは、当初はスターリンの指導するソ連の絶対的覇権が成立していたが、ユーゴの離脱に続いて、スターリンが死亡したことで、ソ連の絶対的覇権は終焉し、ソ連と中国が世界の「社会主義」諸国と革命勢力の中で覇権を争いあうようになる。日本共産党はその中で、試行錯誤をしながらも、どちらの覇権の傘下にも入らず、いわゆる「自主独立路線」を確立していった。
この全体的な対立構図は1990年前後のソ連・東欧の崩壊によって再び大きな変更をこうむる。それによってアメリカの一国覇権体制が成立するが、それと同時に、冷戦時代には抑えられていた帝国主義間の対立も部分的に再発しはじめる。とりわけ、ヨーロッパ諸国がEUとして団結することによってアメリカ帝国に対する一定の対抗力になったことは、ヨーロッパ帝国主義が自らの相対的独自性を押し出す可能性を与えている。
いずれにせよ、帝国主義体制の内外の構図にさまざまな変化が生じつつも、全体として世界資本主義が今日もなお帝国主義の時代にあることにいかなる疑いもない。個々の特定の国がときに一見したところ非帝国主義的に見えるパフォーマンスを演じたところで、この全体としての構図にいかなる基本的変化ももたらすものではない。
さて、不破報告は、レーニンの『帝国主義論』における帝国主義認識が、直接的な植民地支配の時代にのみ当てはまるものであり、そうした体制が崩壊した戦後世界には当てはまらないものとして、次のように述べている。
「つまり、この時代[第二次大戦前の時代]には、帝国主義とは、独占資本主義の段階に到達した資本主義のことだ、あるいは、独占資本主義の国は帝国主義国となる、こう規定してほぼ間違いなかったのです。
ところが、20世紀の後半に、世界情勢には、この点にかかわる巨大な変化が進行しました。すでに見たように、植民地体制が崩壊し、植民地支配を許さない国際秩序も生まれました。さきほど、レーニンが、地球の領土的分割が完了したことを、帝国主義時代の始まりの画期としたと話しましたが、領土的分割のもとになる植民地そのものがなくなってしまったのです。それだけでも時代は大きく変化しました。こういう時代ですから、資本の輸出なども、以前のような、経済的帝国主義の手段という性格を失ってきています。
独占資本主義というのは、独占体が中心ですから、独占体に固有の拡張欲とかそれを基盤にした侵略性とか、そういう性格や傾向を当然もっています。しかし、今日の時代的な変化のなかでは、それらが、植民地支配とその拡大とか、それを争っての戦争などという形で現れるという条件はなくなりました。
そういうときに、すべての独占資本主義国を、経済体制として独占資本主義国だから、帝国主義の国として性格づける、こういうやり方が妥当だろうか。この点は、根本から再検討すべき時代を迎えている、というのが、ここでの問題提起です」※。
※注 ちなみに、このようなカウツキー主義的な帝国主義論の萌芽が最初に示されたのは、2年前に行なわれた中央党学校における不破哲三の講義である。その中で不破は、戦後世界の情勢変化という例の議論にもとづいて「独占資本主義=帝国主義」という単純な議論を見直すべきだとし、「この問題は、いまでは、帝国主義を考える一般問題として、よりつっこんだ理論的な考察を必要とするところにきていると、思います」(不破哲三『科学的社会主義を学ぶ』、新日本出版社、123頁)と述べている。そうした「理論的な考察」の回答が今回の綱領改定案というわけである。
これは、レーニンの帝国主義論に対する認識としても、戦後世界の認識としてもまったく一面的である。レーニンが、『帝国主義論』で「帝国主義とは、独占資本主義の段階に到達した資本主義のことだ」と言ったのは、あくまでも帝国主義の経済的土台が独占資本主義であるという意味で言ったのであって、上部構造をも含み込んだ概念としての「帝国主義」全体を単純に独占資本主義と等置したものではない。つまり、「帝国主義=独占資本主義」という等式は成り立っても、「独占資本主義=帝国主義」という等式を肯定したものではない(不破はこの両者を混同している)。すでに第1次大戦直後のドイツに見られるように、独占資本主義を維持しつつ帝国主義国としては解体されるような事態(戦後日本も同じ)もレーニン存命中に存在した。世界的な植民地体制そのものには何ら変化がない段階でも、独占資本主義国でありながら帝国主義ではない国は一時的であれ存在したのである。
しかも、レーニン時代にあっても、何も帝国主義による他国支配の形態は直接的な植民地化という形態をとるものばかりではなかった。レーニン自身が『帝国主義論』で、形式的には独立国でありながら金融的な網の目で他国に従属している形態を取り上げている。
さらに、レーニンの帝国主義認識はすぐれて世界的なものであって、一国主義的なものではない。個々の特定の国が帝国主義国としては解体されたとしても、それは世界システムとしての帝国主義体制を解体するものでも、それを根本的に変化させるものでもない。そのような変化を可能にするのはただ世界的規模での社会主義革命のみである。
戦後の認識としても、不破報告は、直接的な植民地体制の崩壊のみを言っているが、不破哲三と日本共産党自身がかつて口を酸っぱくしていってきたように、形式的には独立していても、さまざまな経済的・軍事的・政治的な網の目で従属下に置かれている多くの後進諸国が存在したし、今も存在しているのである(新植民地主義)。他ならぬ日本自身がその一つであった。ところが、不破報告は、日本をほとんど唯一の例外として、他のすべての国に関しては新植民地主義の現実を完全に否定し、あたかも形式的に植民地でなくなったから、帝国主義的な支配従属の関係もなくなったかのような議論を展開している※。
※注 綱領改定案でも「新しい植民地主義」という言葉が一箇所だけ使われており、あたかも、これまでと同様、新植民地主義論を否定していないかのような印象を持つ人もいるようだが、それはまったくの間違いである。この言葉が出てくる文章は次のようになっている。
「アメリカが、アメリカ一国の利益を世界平和の利益と国際秩序の上に置き、国連をも無視して他国にたいする先制攻撃戦争を実行し、新しい植民地主義を持ち込もうとしていることは、重大である」。
つまり、あくまでも、ソ連崩壊以後の、国連をも無視したアメリカの露骨な覇権戦略を特徴づける中でこの「新しい植民地主義」という言葉が使われている。つまり、現在におけるイラクでの米軍の占領統治のようなものを念頭に置いているのであって、それ以前から普遍的に見られるような、政治的・経済的・軍事的な網の目によって他国を従属・収奪する体制のことが念頭に置かれているのではない。
「資本の輸出」に関しても、不破の言い分はでたらめである。先に引用した文章の中で不破は次のように述べている。
「レーニンが、地球の領土的分割が完了したことを、帝国主義時代の始まりの画期としたと話しましたが、領土的分割のもとになる植民地そのものがなくなってしまったのです。それだけでも時代は大きく変化しました。こういう時代ですから、資本の輸出なども、以前のような、経済的帝国主義の手段という性格を失ってきています」。
何という牧歌的な把握だろうか! 領土的に植民地下に置く時代よりも、さまざまな経済的・政治的・軍事的な網の目で事実上の従属国下に置く時代の方が、むしろ資本輸出の戦略的重要性は増している。直接的に植民地的併合をする場合には、剥き出しの軍事力がものを言う。しかし、形式的には独立を達成している場合には、資本輸出を通じた経済的支配網はよりいっそう大きな役割を果たさないわけにはいかないのである。
ところで不破は、先に紹介した『科学的社会主義を学ぶ』の中で、今日の「資本輸出」が帝国主義的ではない理由として、次のように述べている。
「発達した資本主義国から発展途上国への投資は、民間投資であれ、政府投資……であれ、それがきちんと必要な条件にかなう形でおこなわれるならば、南北問題の解決をはじめ、世界的な進歩の流れに役立ちうる可能性が生まれているからです」(前掲『科学的社会主義を学ぶ』、131頁)。
「きちんと必要な条件にかなう」(何というもって回った表現!)「資本輸出」なるものが、現実の「資本輸出」から抽象的に分離されている。「資本輸出」そのものは悪くない、というわけだ。ここで言われていることは結局、本稿の「上」で紹介したように、途上国への先進国の投資は現地での経済発展を生んでいるから「帝国主義的」なものではないという俗論の親戚でしかない。すでに本稿の「上」で指摘したように、そのような経済成長は別にレーニン時代にも十分に見られたことである。資本輸出がもたらす経済成長とその帝国主義的性格とは完全に両立しうる。それはちょうど、資本による労働者搾取と労働者の生活向上とが完全に両立しうるのと同じである。途上国が経済発展しているからいいのだ、という議論は、戦後日本国民は生活が豊かになったのだから自民党政治は進歩的なのだ、というのと同じである。しかも、現実には、先進国の資本輸出はほとんどの場合、南北問題を解決するどころか、それをいっそう深刻化することにしかなっていない。戦後60年近く経ったが、南北格差は狭まるどころか、ますます増大しているのである。
ところで不破は、独占資本主義の侵略性が「植民地支配とその拡大とか、それを争っての戦争などという形で現れるという条件はなくな」ったして、独占資本主義を帝国主義と呼ぶことを拒否しているが、直接的な植民地支配体制が崩壊してからすでに数十年が経つ。にもかかわらず、わが党はその綱領において一貫して世界システムとしての帝国主義という認識を持ち続けてきた。いったいこれはどうなるのか? 数十年間も党綱領は誤った世界認識を抱き、それを党員と支持者に宣伝してきたことになる。それどころか、帝国主義支配の現実を過小評価しようとするあらゆる潮流に対してわが党は最も激しい攻撃を加えてきた。わが党はそれを最も誇るべき歴史的伝統にしてきた。そのいっさいが誤りであったと不破報告は言うのである。しかも、痛切な自己批判をともなうのでなければ、深刻な理論的転換としてでもなく、まるでちょっとした誤解を是正するかのような気軽さで。
植民地支配やそれをめぐっての戦争という形をとらなくなったことは、帝国主義が帝国主義でなくなったことを意味するものではなく(もしそうなら、アメリカも帝国主義ではない!)、その支配と抑圧の形態がより巧妙で狡猾なものに変化したことを意味するものでしかない。何よりも日本がそうであった。不破にとっては日本だけが常に例外なのである。わが祖国日本だけは帝国主義的支配下に置かれているかわいそうな従属国だが、世界の残りのすべての国はそうではない、帝国主義的支配など存在しない、君たちはすでに立派に独立している、というわけだ!
ところで、以上のような帝国主義美化論をかつて徹底的に批判していたのは、他ならぬ不破哲三本人であった。彼は、1965年に書いた論文の中で、かつての仲間であった構造改革派を断罪しつつ、次のようにはっきりと述べていた。
「帝国主義勢力は、民族解放運動の全世界的な高揚に直面して、多くの旧植民地諸国の政治的独立を形式的には認めざるをえない立場に追いこまれながらも、これらの国と民族を隷属させ、原料資源、販売市場、『資本輸出』市場を独占しようとする意図をけっして放棄しはしなかったこと、そしてまた、新植民地主義こそは、これらの国々を政治的・経済的・軍事的に隷属させ、植民地的搾取を新しい方法で保持しようとする『植民地支配の新しい形態』(モスクワ声明)にほかならず、民族解放運動にたいする軍事的弾圧や植民地戦争とも結びついた凶暴な帝国主義政策そのものであることを、だれの目にも明らかにした」(不破哲三『マルクス主義と現代修正主義』、大月書店、1965年、235頁、強調は引用者)。
これがかつての不破自身の主張であった。ところが今では過去の党と自分自身の主張を全面的に否定しさって、戦後の国際情勢の変化を唯一の理由に、新植民地主義的な帝国主義支配の現実と「資本輸出」の帝国主義役割を全面否定するにいたったのである。これは、当時の構造改革論よりもはるかに右寄りの立場である。なぜなら、当時の構造改革論者といえども、ヨーロッパの独占資本主義諸国が帝国主義国であることまでも否定していなかったからである。今や、不破は、過去に自分が最も侮蔑的かつ攻撃的に非難した旧友の理論をもはるかに越えてしまい、ヨーロッパの独占資本主義諸国を「帝国主義」の悪名から解放してやった。不破にひとかけらでも誠実さが残っているのなら、自分の過去の理論が全面的に誤っていたこと、まったく先見の明のないものであったことを白状し、かつての仲間たちに真摯に謝罪するべきだろう。