参院選の結果と「不破=志位」指導部の3つの破綻

1、情勢認識の破綻

 共産党の選挙での躍進が始まったのは1995年の参院選からである。それ以降、共産党は選挙のたびごとに得票数・率、議席数を大幅に増やし、ついに1998年の参院選では比例で820万票(得票率14・6%)、選挙区で876万票(得票率15・7%)を獲得するに至った。これは70年代の躍進期よりもはるかに多い得票であった。この躍進に有頂天となった不破=志位指導部は、それ以降、政権論や各種の政策をめぐって迷走をはじめるのだが、そうした迷走の認識上の基礎となっていたのは、90年代後半が、70年代以上の革新高揚期にあるという情勢認識であった。そのような情勢認識を端的に物語るのは、2000年の1月13、14日に開かれた5中総における不破中間発言である。不破委員長(当時)は、1990年代の選挙での躍進を次のように概括している。

「はっきりいって、90年代の出発点は、政治的には、たいへん後退したものでした。天安門事件のあった1989年に、参議院選挙の比例で得票率が7・0%におちました。90年の衆院選、92年の参院選、93年の衆院選と、90年代前半の国政選挙では、一定の前進や後退はありましたが、わが党の得票率は、3回とも7%台をぬけませんでした。
 95年の参院選・比例で、はじめて9・53%への前進がありました。翌年の96年の衆院選・比例では13・08%にさらに前進し、98年の参院選・比例で14・60%へと得票率が前進しました。
 つまり、90年代は、7%台というわが党の最近の歴史のなかでも押し下げられた低い水準から出発しながら、後半の5年間で得票率でほぼ2倍になるところまで前進してきた、これが大づかみな経験です。70年代の躍進という時期にも、衆院選での得票率は、72年の一番躍進したときでも10・75%、全体として11%をこえたことはありませんでしたから、数字のうえでも、今日の躍進の厚みと広がりをみることができます」。

 このように、90年代の出発点は7%台の得票率から始まったが、98年ではその倍の14%台へと倍加したことを総括し、ここから「今日の躍進の厚みと広がり」を云々している。しかし、今ではどうだろうか。今回の選挙における共産党の得票率は、90年代の出発点たる7%台に一気に逆戻りした。「今日の躍進の厚みと広がり」はいったいどこに行ったのか? 
 われわれは、『さざ波通信』を開設したはじめの段階から、90年代後半における躍進が基本的には「社会党の早すぎる崩壊」によって生じたものにすぎず、全体としての革新の総得票が減少していく中で相対的に共産党の取り分が増えているに過ぎないこと、末端では共産党の組織は高齢化によって後退ないし瓦解し、あちこちで広大な空白が生じていること、革新系の大衆運動も劣勢に置かれていること、国民意識がますます右傾化していること、などなどを指摘し、現在が新しい革新高揚期にあるのではなく、そのまったく反対に、新しいより深刻な反動期にいるのだと言うことを再三指摘してきた。たとえば、99年9月7日に発行された『さざ波通信』第6号の論文「党創立77周年記念講演会における不破演説について」の中でわれわれは、95年以降を新しい歴史段階(「新しい躍進期」)に位置づける不破氏の情勢認識を批判して、次のように述べている。

 すなわち、あらゆる指標が示しているのは、反動期の終焉でもなければ、新しい躍進期の開始でもなく、新しい水準の反動攻勢期の到来なのである。もちろん、この新しい反動攻勢は国民の多くの部分に不利益を与えるものであるので、それに対する反発や矛盾も広がりつつあるし、その一つの現われとして共産党の得票数と議席の増大にもつながっている。だが、この共産党の議席増は、革新の総議席の減少とともに生じているのである。したがって、より広い視野で見るなら、私たちいるこの時代はまぎれもなく新しい反動期なのである。
 にもかかわらず、共産党の議席の増減だけで歴史の流れを判断する不破委員長は、90年代後半に新しい躍進期が訪れたと断言している。これは危険な幻想であり、党員と支持者を欺くものである。

 この主張は、2000年総選挙における共産党の後退が生じる1年も前に書かれたものである。また、5中総を批判した2000年2月の論文「日本共産党5中総の批判的検討」では、次のように警告されている。

指導部は、実力から著しく乖離した得票数の増大を共産党そのものの実力の増大と勘違いしながらも、現実の動きにおいては、縮小した実力に基本的に規定されたマヌーバー戦術をとっている。このマヌーバー戦術は、「日の丸・君が代」問題に見られるような政治的失策を絶えず生み出すだろう。
 だが、危険性はそれにとどまらない。実力と得票数との乖離がいつまでも続くことはありえない。いずれ得票増は頭打ちになるだろう。そのとき、指導部が、いっそうの得票増をめざして政策を(そして場合によっては綱領そのものをも)いっそう大胆に右傾化させることになりかねない。ちょうど、89年の参院選で実力をはるかに越える得票をとった社会党が、その後の得票の停滞と急落に政治的衝撃を受けて、いっきに右旋回したように。この危険性こそ、現在の「ギャップ」に潜む真の危険性である。

 いったいどちらの情勢認識が正しかったかは、今では証明するまでもなく明らかだろう。科学的社会主義の「科学」たるゆえんは、現実の情勢を具体的に分析して、そこから合理的に推測可能な範囲で将来を一定度見通す能力を有している点にある。不破=志位指導部は、その点での「科学性」をまったく発揮しなかった。だがこれは、彼らの知的・理論的能力が劣っているからではない。そうではなく、歴史の歩みというものを、大衆運動や国民意識などトータルな指標から判断するのではなく、もっぱら共産党の選挙での得票という水準から判断しようとするその議会主義的本質に根ざした誤りなのである。

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