4月16日のトピックスでも紹介し批判したように、雅子の妊娠報道に対し、日本共産党の市田書記局長は記者会見で「どこの家庭でも新しい生命が誕生することはめでたいことである」と述べた。さらに、5月15日の正式発表の際には、同じ市田書記局長は「どこのご家庭でも新しい命が誕生することは、喜ばしくおめでたい」とのコメントを出し、単に「家庭」が「ご家庭」に、「おめでたい」が「喜ばしくおめでたい」にバージョンアップし、祝福度はいっそう増している。
このコメントは、他の政党の手放しの賛辞と祝福に比べれば多少なりとも控えめであり、その点は評価できるが、それにもかかわらず、今回の事態を「めでたい」とみなす全体としての風潮に抵抗するのではなく、それに追随するものとなっている。これは、日本共産党綱領の原則的立場から言っても、また現代民主主義と主権在民の原則から言っても、いちじるしく後退した立場であり、この間の共産党指導部の右傾化と歩調を合わせるものである。宮本時代の共産党なら、ノーコメントで通すか、このような大騒ぎを批判し、皇室を特別扱いするものであり、主権在民の原則に反するものだと批判したのではなかろうか?
この問題をめぐっては、本サイトの討論欄でも複数の読者から意見を寄せられ、共産党のコメントを批判するものだけでなく、それを擁護する意見も見られた。そこで、この問題に関し、いささか原則的な議論を行ないたいと思う。