新日和見主義事件の理論的切開を―書評:
 『虚構―日本共産党の闇の事件―』(油井喜夫著、社会評論社、1800円)

はじめに

 本書『虚構』は、7月末に社会評論社より刊行されたもので、サブタイトルにあるように「日本共産党の闇の事件」とも言われる「新日和見主義事件」(以下、「事件」とする)をテーマにした著書である。著者の油井喜夫氏にとっては、同テーマで2冊目の著書となる。前書『汚名』(毎日新聞社、1999年)では「事件」の当事者としての査問体験が中心になっていたが、本書は「そこから一歩すすめて理論問題に焦点をあて、日本共産党がなにを新日和見主義とし、それをどのように批判し、被処分者の『罪科』にしたのか、それを解明することにある」(まえがきより)とし、『汚名』の理論編ともいうべきものになっている。
 この数年にようやく当事者の側から「事件」の本格的な証言がはじまり、さらに「事件」を理論的に切開する第一歩が踏み出されたものとして本書を高く評価したい。すでに28年前のできごとであるが、「事件」を理論的に検証することには、きわめて現代的な意義があると思われる。
 第1に、現代日本における社会運動の低迷は、当時から衰退傾向が始まっている(特に青年・学生運動)。この時期に、日本共産党周辺の運動主体に何が起こったのかを検証することは、運動の再生にとって不可欠な作業であろう。
 第2に、民青同盟に対する党の指導をめぐって発生したがゆえに、「事件」の検証は党と民青同盟の関係のあり方を問うことになる。民青同盟の後退に歯止めをかけ、党と民青に活力を取り戻すためにも「事件」とその結果についての検証は重要な意義をもつ。
 第3に、現指導部がさらなる右転換をはかっている政治路線そのものは、当時打ち出されたものであり、「事件」はその路線を推進していく途上で発生した。当時の「右」転換と、それに対する半ば無意識の抵抗であった「事件」、およびその結果を検証することは、党の政治路線を検証する上で重要な位置を占めると考えられる。
 本書は「事件」を検証する第一歩にすぎず、本格的な理論的解明は今後の課題である。ここでは、油井氏の問題意識を共有し、彼が解明しえたものや党改革の提起などを紹介しつつ、同時にそれらの検討を通じて今後解明されるべき課題の提示を多少なりともできればと考えている。
 なお本書の終章は「党改革はいかに」と題され、党改革をめぐるいくつかの論点について油井氏の考えがまとめられている。その中にはレーニンの『国家を革命』を否定する不破委員長の最近の論文を肯定的に評価しているもの、レーニン時代の「民主集中制」についての考察など、それだけで一つのテーマとなるものが含まれているが、ここでは触れない。編集部のものではないが、すでに本サイトの党員投稿欄において、川上慎一同志による興味深い論考が掲載されているので、合わせてお読みいただきたい。

目  次

  1. 「事件」の背景
  2. 『汚名』に寄せられた声
  3. なぜあのようなひどい査問をやったのか
  4. 「新日和見主義」の実態
  5. 新日和見主義者たちはまちがったことをいっていたか
  6. 新日和見主義事件の理論的解明を

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